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「染脳を洗脳する」20250608

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「染脳を洗脳する」20250608

聖書 使徒言行録 二章一節〜十四節

 

 今日は教会歴ではペンテコステ(五旬祭)と呼ばれる祭りです。外来語が好きな人はペンテコステと言うのですがギリシャ語で五十番目という意味です。イエスの復活から七周を数えた翌日、すなわち五十日目に、弟子たちの上に聖霊が降ったことを記念する日とされております。

 聖霊を受けた弟子たちが、この日から「イエスがキリストであった」と伝道し始めたので教会の誕生日として祝うようになったと言われます。

 この祭りは、キリスト教徒のものではありませんでした。古くは旧約聖書において「過越の祭り」から七週後の五十日目に祝われる「七週の祭り」(出エジプト記二十三章十六節、レビ記二十三章十五節〜二十一節)に当たり、農耕の初穂の収穫を祝う祭りでもあり、加えてユダヤ教ではモーセがシナイ山で十戒(律法)を授かった日として記念されていました。キリスト教会はこの日を弟子たちが聖霊を受けて伝道を始めた教会の誕生日と定めたのです。祭りを利用する人々は、時代や民族によって祭りに新たな意味を付けるのです。

 律法に従わなければ神から義とされないというユダヤ民族だけの宗教の時代は終わって、律法が与えられた記念日に聖霊が与えられ、聖霊に導かれる新しいイスラエルとしての教会の時代が到来し、世界中を巻き込む教会が始まったのだとキリスト教会は主張したかったのです。

 すなわち。旧約では律法が与えられイスラエルの民が形成された日であったものが、新約では聖霊が与えられ教会が形成された日として、イスラエルと教会を対比させているのです。

 このように歴史的な出来事のタイミングが重なり合って見えるのは、奇跡でも偶然でもありません。宗教家は神の摂理だとか言いますけれども、そうではなく、意図的に仕組まれているのです。

 不思議な出来事を全部神がなさったことだと説明するのは簡単です。神の業だと言う証拠もそうではないという証拠もないのですから、議論する価値もありません。

 喜ばしい事も悲しいことも、すべてを采配している神がその背後に居ると言い放つのは簡単ですが傲慢です。なぜならば、神の摂理という答えは、悲しい出来事に遭遇した人を納得させられないし慰めもしないからです。苦悩の現実を受け入れるしかない人を沈黙させるのは暴力です。

 

【聖霊を登場させたのはルカ】

 世界中に散らされていた離散のユダヤ人(ディアスポラ)が五旬祭(ペンテコステ)のためにエルサレムに集まっていたのです。その中にイエスの弟子たちもいました。

 そこにイエスが約束していた聖霊が降って弟子たちは突然外国語で証しを始めたのだそうです。「聖霊」を定義することはできませんけれど、とにかく神の霊だと考えておいてください。ルカ福音書二十四章四十九節によれば、復活したイエスは四十日間姿を表した後、天に昇って行かれる前に「私は父が約束なさったものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは都に留まっていなさい」と約束なさったとルカは教えます。「ガリラヤに行けばあの方(復活のイエス)に会える」と伝えたマルコ福音書の言葉とはぜんぜん異なって、「都に留まっていなさい」とルカはイエスに言わせたのです。

 復活のイエスを伝える福音はガリラヤでなくエルサレム教会から始まったのだと主張する意図をもってルカがこの物語を書いたことは明白です。

 エルサレムに居た弟子たちが霊の力に覆われたことにより教会活動が始まったのだと主張するためにルカは使徒言行録を書いたのです。使徒言行録はルカ福音書に続いて書かれたものですから、エルサレム教会がかなりの権力を得ていた頃であることは確かです。

 使徒ペトロに教会を代表する権威を持たせるためにルカがペンテコステの事件をこの場所に書き込んだと考えるのが妥当でしょう。

 

【ペトロに信条を語らせたのはルカ】

 聖霊が降ったという衝撃的な出来事に続いて、人々の騒ぎを制して聖霊を受けたペトロが、十一使徒を代表して、大観衆の前で、「イエスがメシアである」ことを大胆に説教したことになっております。

 この出来事はイスラエルの裁きと回復と「主の日」の到来を予言した預言者ヨエルの言葉の成就であるという解釈から始められたペトロの説教は「父・子・聖霊という三位一体の神」を述べ伝えているキリスト教の信条そのものへと繋げられています。あまりにもでき過ぎであることを考慮すれば、後のキリスト教会が造ったフィクションであると考えるのが妥当です。

 思い出してください。このペトロは、「お前はイエスの仲間だろ」と言われた時に「そんな男は知らない」と宣言してイエスを置き去りにして逃げた一番弟子のペトロです。そんなペトロが歴史的で神学的に順序だった説教を即興で出来たというのは筋が通りません。十字架事件から、たかが五十日後に、イエスを裏切って逃げたペトロが、これほどまとまりのある説教をしたとは常識的に考えられません。しかし、信じられないからこそ聖霊の働きなのだ。これこそ聖霊の働きの証拠なのだと伝統的な教会は教えるでしょう。信じるか信じないかはあなた次第です。

 

【ペンテコステを望まない】

 現在のキリスト教会の宣教は、ペトロの説教同様に、キリスト教を造り出した教会の神学者たちがまとめたキリスト教の信条を、世間の多くの人々に認めさせようとするものです。そのスタート地点にペンテコステ(聖霊降臨祭)を持ってきたのは教会にとって都合の良いことでした。

 しかし、歴史的に見れば、ペンテコステ(聖霊降臨祭)が独立して教会で祝われるようになったのは、ニケア公会議以降、すなわち、教会歴が整えられた頃だと考えるのが妥当です。そうだとすれば、ペンテコステ(五旬節)と教会の実際の宣教活動開始の時期は大きくずれているはずです。ペンテコステは教会の誕生日などではありません。

 

【ぼくたちは】

 罪人という意識を刷り込まれ「染脳(せんのう)」された人々を思い込みの奴隷状態から解放するために脳を洗い流す洗脳をしようとなさったのがイエスです。このイエス自身がお伝えになった福音を、教会は受け継ぎませんでした。キリスト教の信条を信じさせようとするのが教会です。

 「人間イエス」と、キリストに祭り上げられた「イエス・キリスト」とは違うものです。

 ぼくらはキリスト教を伝えるのではなく、人間イエスがなさったように「染脳(せんのう)」された人々を「洗脳」するために働きましょう。

 

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