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「政府と国民が対立しない神の国」20241110

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0「政府と国民が対立しない神の国」20241110

聖書 マルコ 十章二十三節~二十八節

 

 楽しい奇跡話なら聞いてくれる人も多いでしょうが、ぼくの話は奇跡への期待をぶち壊すことが多いので、拡散するのが難しいようです。奇跡話を言葉通りに信じ込むことが信仰だと思っている人が多いのですけれども、それは間違いです。

 「信仰」は「思い込むこと」ではなくて受け入れることです。残念ながら、これらを勘違いしている人が多いのです。

 自分で考えないで、教えられたまま信じ込むことは、詐欺師に騙されることと同じです。そんな状態を昔から「妄信(もうしん)」と呼びます。言われたままを信じるのは盲信で信仰ではありません。

 しかし、日本には古代からいろんな宗教が伝来していたからでしょう。一つの宗教や一神教の神を盲信している人は少ないようです。これは国民が分断されないために幸いなことだと思います。

 世界には八百万の宗教がありますから一つの宗教、一つの神に固着して他者を否定する宗教に真実なんてありません。自分の生き方は宗教に頼らず、自分で考え決定するしかないのです。こんなことを言うと、何をやってもいいという個人主義だと誤解する人がおりますけれども、そうではありません。宇宙から孤立した人などいません。個人といえども、家族、社会、国、世界という繋がりの中でのみ存在できるのです。周りとの関係を考えた上で、個人的決定をしなければならないということです。

 簡単じゃないと思うでしょう。自分と周りの命が掛かっていることですから、簡単でないのは当たり前です。真実はその辺に転がっていないので、勉強するしかないのです。。

 

【神の国に入るのは難しい】

 今日のイエスの言葉、すなわち、「金持ちが神の国に入るのは本当に難しいものだなあ」とイエスが言った言葉は、この物語の前に置かれていた資産家の若者が財産を手放せずに神の国に入ることを断念した物語の最後と完全に対になっております。

 「むつかしいものだなあ」といイエスは感想を漏らしただけですけれども、弟子たちはイエスの言葉を聞いて驚いたのです。その驚きに輪をかけるように「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」とイエスが言ったものですから、弟子たちは仰天しております。

 このような強烈な表現をするのがイエスはお好きなようです。ぼくはイエスのこのようなオーバーで過激な表現が好きなのですが、好まない人が多いようです。いずれにせよ、このようなイエスの感想でこの物語は締めくくられていたはずです。

 

【弟子たちの尋常じゃない驚き】

 ところが、輪をかけてイエスが言った言葉に、弟子たちは尋常じゃない驚きを見せたことにぼくは興味を引かれました。弟子たちは「それなら誰も救われないじゃないですか」と怒っているからです。

 イエスと生活を共にしていた弟子たちは定職を持たず、イエスと放浪していました。そんな弟子たちの周りにいた人々は大金持ちじゃなかったはずです。そうであるならば、「それなら、誰も救われないじゃないですか」などと怒らなくてもいいはずですのに、弟子たちが怒ったというのは奇妙です。

 この物語に登場している弟子たちは、イエスと共にいた弟子たちではなくて、マルコの時代の弟子たちが想定されているのではないでしょうか。

 つまり、イエスと共に放浪していた頃には何も持っていなかった弟子たちが、それから四十年ほど後には、教会の中では金持ちの部類に入っていたのかもしれません。そんな背景があったとすれば、「そんなことなら、『だれも』救われないじゃないですか」と弟子たちが怒った、というマルコの表現も納得できます。

 

【神は何もできない】

 狼狽(うろた)えている弟子たちを安心させるように「人間にはできないが、神にはできる。神は何でもできるからだ」と全てをカバーするようなイエスの言葉が続いているので、安心したクリスチャンも多いでしょう。しかしぼくには奇妙に聞こえます。

「そうだよ。神は何でもできるんだよ」と素直に喜べる人は「神は何でもできる」という言葉を誤解している凝り固まったクリスチャンぐらいです。聖書には「神は針の穴にらくだを通すことができる」とは書かれていません。

「神は何でもできる」という言葉はプロパガンダです。多くの人が信じておられる神がもしも存在すると仮定しても、「神は何もできない」というのが事実です。もし神がいるなら、世界中の多くの人の祈りを叶えて、今の戦争を止めてもらいたいです。しかし、この世界に力ずくで介入できる神などいません。権力のある人間は無理矢理にでも自分のしたいことをします。しかし、そんな人の心を入れ替えることができる神はいません。

 

【針の穴にらくだを通せない神】

 「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」という言葉は、金持ちは神の国に入れないという現実を誇張した表現です。それほどイエスの嘆きは大きかったのです。

 この言葉を聞いて「それでは、だれが救われるのだろうか(誰も救われないじゃないか)」と怒った弟子たちは、そんなことでは自分たちも救われないじゃないかと怒っているマルコ時代の弟子たちを揶揄(やゆ・からかう)した表現だと思います。

 

【対立する人間関係を変えられるか】

 衆議院選挙以降、財務省が庶民からお金を巻き上げて苦しめて来たという事実が、今までになく露呈しています。財務省の役人も国民ですのに、庶民と対立するのはなぜでしょう。政府や行政と国民が対立する背景には、権威欲、経済欲、支配欲など、「欲」が関連しています。欲が欲を加速させることで、社会が分断されています。これを止めるには、欲を自制する必要があるのです。しかし、自制するどころか欲が欲を生む権力闘争の後ろ盾に「宗教の神」がいるのですから、このままでは問題が解決するはずありません。らくだが針の穴を通れないように、対立する欲の壁を壊すことはそれほど難しいのです。

 

【ぼくたちは】

 しかし、庶民が平和に生活できる状態、すなわち「欲がぶつかり合わない『神の国』」を諦めるわけにいかないのです。そうだとすれば、イエスのように、「なんと難しいことよ」と嘆くことは良いとしても、無理だと決めつけずに、(最近では針の穴に糸も通しにくいのですが)針の穴に糸を通すような努力をするしかないのです。「神には何でもできる」というプロパガンダを忘れて、ぼくたちは神に頼らず、「蟻の一穴」が堤防を壊すように、チマチマと、しかし希望をもって、着実に穴を開けて広げていくしかないのです。これを可能にするのは神ではなく人間の日々の努力だけです。

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