説教の題名を押して下さい

「差別は無くせない」20230618

13650367-F316-4788-885D-41F76676081E.jpeg

「差別は無くせない」20230618

聖書 ヨハネ福音書 章一節〜

 

 今日の話を結論から申し上げますと、法律なんかで差別無くせないということです。

 LGBTと言われ出してから、急に差別が取り上げられるようになりましたけれども、法律を作っても、差別無くません。性の違いができてから、性は戦い続けているからです。

 性の相違だけが差別を生んでいるわけでないにもかかわらず、男性と女性のなぜかこの時代にことさら強調されるようになったことがわたしには不思議です。何か魂胆(こんたん・悪だくみ)があるとしか思えません。

 性に由来するものだけでなく差別は昔から平然と行われていました。学校教育では、テスト結果で差別されて来ました。科目を平均的に学ぶように指導されて、ぼくは五段階で評価されたんです。自分の得意な分野を伸ばすことが許されずに、あるがままの自分が認められないまま抑圧されてきました。

 

【基礎知識が足りない】

 専門的な知識を別にして、一般的に小学校と中学校で教えている内容が理解できていれば、社会生活上で苦労することは無いと思います。ですから、その程度のことを学ばせるのはとても良いと思います。義務教育と称してそのような基本的な学習をさせられて来た日本人の基礎学力が高いのは当たり前です。とは言うものの、全員が基本的学力を十分に修得しているわけでないことは、現実を見れば判ります。

 中学校卒業までに修得すべき漢字を全部書ける人はこの中にもいないはずです。多くの人は中途半端で次の段階に進まされたはずです。

 先月二十四日にバーベキュに参加していた専門学校生が火傷のために死亡した事件がありました。弱い炭火を強くしようとした職員が炭火の上に消毒用のアルコールを振りかけたのが原因です。小学校の理科修得できていれば、こんなことは起こらなかったはずです。常識的なことがまったく理解されていないんです。そんな大人がいっぱいいるから多くの事故が起きるのです。基礎学力があればこれほど多くの事故は起きないはずです生きていく上で大切なことは教えることになっているんですが、一人一人が十分に学習できていないのが現実です。

 ぼくは理科が得意でしたから、勉強しないでも適当に点数を取れました。他の科目はほとんど苦手でした。得意なことを特化して延ばしてくれていれば、得意な科目を勉強するために、得意でない科目も自分で勉強するようになったと思っています。得意不得意を考慮せずに、いつまでにここまでを覚えなきゃならないとか理解しなきゃならないと押し付けて、できる人とできない人を分離差別して来た教育体系よって、ぼくたちは差別され続けてきたんです。

 こんな学習についていけない者は差別されて、自分はアホなんだと思い込まされてきました。他にも社会の邪魔者のように扱われて来た生徒たちをぼくはたくさん知っています。

 大工を養成する職業訓練校で学科を教えるのを手伝っていた頃があります。学力が身についていないために高校に行けない中学卒業生を受け入れていました。大工には数学が必須です。理解できない子をそのままにしておけませんから、どこから理解できていないのかを探りながら掛け算、割り算、分数小数点を使い分ける意味などじっくり教えましたら、構造力学の基礎計算までできるようになりました。学科試験の問題を読めなければ正しい答えを書けませんから、授業の初めには毎回漢字ドリルのテストもさせました。できなかった生徒には、復習とテストを何度も繰り返して、百点になるまで帰しませんでした。そしら少しずつできるようになったんです。学科と実技の技能検査に合格して、修了式には札幌市長賞をいただいた生徒が何人もいます。彼らは勉強できないダメ人間じゃなくて、決められ時間平均的に学習することが苦手だっただけで、学校現場から捨てられていたです。これは現代の学校教育による社会的な差別です。他も、ぼくたちは社会的な差別を当たり前のように受けているのです。

 このように、たくさんの差別が罷(まか)り通っている社会で、男女の性にさまざまな社会現象を混ぜあわせて、差別はあってはならないという耳障りの良い言葉を使って、性に対する姿勢をクローズアップして法律を整備するというのですから、この法を作ることこそ差別です。

 

【男が女を差別】

 ある日、律法学者やファリサイ派の連中、つまり律法の専門家たちが、姦通の現場を押さえられた女を、イエスの前に引いて来て、「こういう女は石で撃ち殺せとモーセは律法で命じているが、君はどう思うかとイエスに詰め寄りました。

 イエスはしばらく時間を置いてから「君たちの中で罪を犯した経験のない者がまず石を投げなさい」と冷静に答えてその場を収めました。

 この物語には大事な事実が抜け落ちています。まず、姦通の現場を抑えられたのだとすれば、当然そこには男と女がいたはずです。男が抜け落ちています。律法の専門たちの言葉にも抜けがあります。モーセ律法の言葉には「姦通した男女は石で撃ち殺さなければならない」とあるからです。意図的に男が抜かれています。

 法律が認めた関係でなければ性交してはいけない。それ以外の禁断の関係を持った男女を共に石で撃ち殺して民族から断たなければならないことになっていたにもかかわらず、姦通した男が抜け落ちているのです。姦通の相手であった男は、男集団の後ろに隠されているとしか思えません。この物語全体の背景に女を差別していた社会がということです。

 女が遊女であったとは言い切れません。しかし、当時も遊女がいたことは確かです。遊女がいたということは、モーセ律法によって石打ちにされるべき男たちがたくさんいたということですそうだとすれば、男たちは互いに庇(かば)い合っていた可能性浮かび上がって来ます。女だけが罪を問われているのは、男が女を差別してい証拠です。

 男たちは女が悪いと決めてかかっていのです。姦通の姦という字も奇妙です。悪事や不義を行うことを意味する言葉ですが、女を当てがってるのですから、この字の由来にも女性蔑視があることは確かで

 女にだけ罪を被せようとしているのは、女は力においても経済的にも弱者であったからです。

 

【ぼくたちは】

 このように、人間の性に絡(から)んだ複雑な関係は古代からあったのです。性の関係は法律で善悪決めることができない関係です。だからイエスは「後ろめたくない者がまず石を投げなさい」と言ったです。イエスは誰も罪人に定めませんでした。ですからもちろん誰にも「赦」と言っておりません。イエスは「全員に罪を自覚させた後に、女を赦した」などと解釈するのは間違いです

 社会的に差別され蔑視されてきた、さらにモーセの律法を待ちだして裁こうとしていた男たちに、イエスは男たちの不甲斐無さ気づかせてこの場を収めただけです。法律で差別は無くせません。法律に任せずに、互い思いやれば差別に負けることはない、とイエスは伝えたかったのだと思います。

1
Today's Schedule
2024.05.03 Friday