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「飼い葉桶の中に」20211219
「飼い葉桶の中に」20211219
聖書 ルカ福音書 二章 三節〜十二節
わたしたちの教会では勘違いしている人はおりませんが、クリスマスは、イエスの誕生日ではありません。誰も誕生日を知らないのです。
クリスマスは、クリス(キリスト)とマス(礼拝)の合成語であることから判るように、キリストがお生まれになったことをお祝いする「お祭り」です。神の子とされたキリストにぼくは興味ありません。人として生まれ成長し、多くの人に影響を与え、殺されたけれども、人々の中に生き続けている人間イエスに興味があります。「人の子イエス」と「神の子キリスト」の人格は全く別物です。
人間イエスを好きなぼくは、キリストがこの世に来てくださったことをお祝いするクリスマスという祭りを嫌いになりました。みんながクリスマスと呼ぶ祭りをぼくが「イエスの誕生祭」と呼び替えるのは、そういう理由からです。
しかし、世界中の子どもたちがクリスマスはプレゼントをもらえる日だとかサンタさんが来る日だと勘違いして覚えているのですから、ぼくがどう足掻(あが)いても、みんなの考えを変革などできないでしょう。
日本人は全員がクリスマスを知っているでしょう。しかし、イエスが誕生した意味はほとんど知られておりません。
本当の意味は、あなたを救うことができる「イエス」がお生まれになったことを喜ぶ日だ、とぼくは伝えたいのですが、誰も聞いてくれません。イエス抜きのクリスマスの方が流行っているのです。イエスがお生まれになった当時も、そのことを知っている人はいませんでした。
【ルカの主張】
ルカは、イエスが生まれた喜びを知らされる役割を担わせるために羊飼いを登場させました。もちろん天使が顕れたというのは作られた神話です。とはいえ、嬉しいことばかりを描く童話としてではなく、羊飼いを登場させていることをぼくは高く評価しています。
宗教の専門家や熱心な律法学者たちが天使のお告げを受けたんじゃなくて、返って、社会の底辺に住む嫌われ者の羊飼いが天使のお告げを受けたという場面設定にルカが言いたいことが示されているに違いありません。
アブラハムにせよモーセにせよ、羊飼いでしたから、羊飼いが忌み嫌われた職業であったとは言えませんが、新約時代のユダヤでは尊敬されていなかったはずです。天使がお告げを知らせる相手として、そういう人々をわざわざ選んだのですから、ルカは当時の社会に対する批判を抱いていたに違いありません。
「羊飼いたち」の仕事は、餌場に羊を連れて行くのはもちろんですが、それだけではなくて、もっと大切なのは、襲われないように羊を守ることです。羊は安全な囲いの中ではなくて、外で飼われていましたから、襲われる危険が一番大きいのは夜です。そうだとすれば、羊飼いたちは夜も安心して寝ておれないのです。それどころか、夜の仕事が一番大切だった、と言って過言じゃありません。多くの人が休んでいる間に責任の重い仕事をしなければならない羊飼いは楽な仕事ではなかったのです。
生活が少し楽になればいいなあと思っていたのはこんな状況にいた人々だったはずです。
【人々の本音】
しかしほとんどの人は世の中の変化を期待していないんじゃないかなあと思います。ちなみにあなたは、何がどう変わればいいかを具体的に考えていますか。何かが変わればいいなあと漠然と考えているだけじゃ何も変わらないでしょう。このままでもいい、しょうがないよって、多くの人は思っているんじゃないでしょうか。
生活がちょっと上向きになればいいなあと考えている人はいるでしょう。しかし、ガラリと変わると聞かされると不安になるはずです。大きな変化を望まない、というのが多くの人の本音であるように思います。
寝る前は月も星も見えていたのに、一夜開けてみると真っ白な銀世界に変わっていた、ということをわたしたちは何度も経験しています。自然の中で生活させてもらっているぼくたちは世の中が一瞬にして変わってしまうことを経験しているように、人間社会も一瞬にして変わってしまうことを知っておくべきです。
二年余りの感染症の経験もありますように、いつ何が起きるか判りません。
温かいベッドで寝ていた多くの人は気づきませんでした。しかし、外で夜を過ごしていた羊飼いたちは、夜空の変化に敏感でした。このような人だけが天からの知らせに気付いた、とルカは書きました。このような設定が面白いですね。
「救い主がきみたちのために生まれた。そのしるしは、あかちゃんが飼い葉桶に寝かされていることだ」と天使が伝えたというのです。
信じがたい言葉でした。でも、羊飼いたちはそのお告げが正しいかどうかを見に出掛けて、本当に飼い葉桶に寝かされている赤ちゃんをみつけたのだそうです。
【神話の中の事実】
何もかもが信じられないことのようですが、イエスが馬小屋(馬だけではなく、他の家畜もいる家畜小屋)で生まれたのは事実でしょう。
夜勤をしている底辺の人々のために生まれた赤ちゃんが飼い葉桶の中に寝かされていたのも事実だと思います。救い主は、だれも望んでいなかった時に、考えもしなかった所でお生まれになった。この信じがたい出来事が事実としてあった、とこの物語は伝えています。
世界の片隅で、人々の期待を超えた現実が起こった。誰も知らない所で、社会の変化が始まった。そして知るべき人たちはぬくぬくと寝ていて、阻害されていた人たちだけが気づいた。これは現代も同じです。
ぼくたちは、とても立派に見えることや大きな出来事に目を奪われがちです。今も、どこかの大きな商業施設に立てられた大きなクリスマスツリーの下で、たくさんの人が楽しそうに過ごしているでしょう。けれども、いえすはそんな所で生まれません。今も、誰も知らない、社会の隅で生まれているでしょう。そのことに気付けるのは、夜勤している人たちだけかもしれません。
見る方向、見るべきものは高い所にいる偉い人たちだと教えられることが多いですけれども、ぼくたちが常識だと教えられてきたことが間違っているかも知れない、と疑ってみる必要があるということを、ルカは教えていると思います。大切なことは、下の方、みんなが普段の生活の中で見落としている所、それぞれの生活がかかっている所、そんな所にある、ということです。
【ぼくたちは】
絵本の馬小屋のように可愛くて綺麗な所ではない本当の家畜小屋で、イエスは生まれました。迎え入れてくれる場所はそこにしかなかったからです。そんな人は今もどこかにいます。そんな人を大切にできるような社会になればいいなあと思います。でも、そうなればいいなあ、とただ思っているだけではなくて、上ばかり見ないで、下も、周りも見るように、あなたの見方を変えてみましょう。このような視点の変化を、あなたも体験してくださいますようにと願ってルカは羊飼いを主人公にした物語を書いたのだと思います。