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「変われないあなたが好き」20210822

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「変われないあなたが好き」20210822

聖書 マルコによる福音書 二章五節〜七節

 

 最近の説教をまとめてみますと、「神話の実在しないという内容です。

 創世記の天地創造物語から連続で「勝手はさせない」「反発も良し」「神が悪い」「神が後悔」と批判を続けてきました。

 絶対主権者であると自称する創造者を信じ込まされて来ましたけれども、そんな神は神話の中だけに登場するキャラクターに過ぎないのであって、実在していないことをみなさんも理解していただけたでしょう。

 神話の中の登場人物は実在しません。人物という表現はふさわしくないので言い換えますと、特殊な性格というか持ち味の役割を与えられた創作話の中だけの出演者です。

 他の出演者たちとはかけ離れた役割を持った存在として描かれているので理解し難いだけです。人が持っている創造者のイメージは、千差万別ですから、概念を統一することは不可能です。これほど掴みどころのない出演者をプロファイリング(人物像を割り出す方法)することはできません。

 ユニコーン(一角獣)や龍(りゅう)のように、実在しないものは、何とでも表現すること出来ますから統一したイメージを作ることはできません。

 無駄な詮索はめて、少しでも可能性のあることに努力いたしましょう。

 

創造者を否定するドラマ

 創造者を否定している間に数年前に見たアメリカのドラマを思い出したので見直しました。PREACHER(プリーチャー、牧師)という題です。「牧師」という題名が付けられたドラマですけれども、信仰的な話ではなくて、血や内臓が飛び散るグロテスクな場面が満載で、宗教に対する皮肉たっぷりのドラマです。

 疲れたゴッド天国を離れてどこかに行ってしまったようす。主人公の牧師がゴッドを探して旅に出ます。ゴッドはジャズが好きだという話を聴いてニューオリンズに行くと、さっそく酒場の地下のような所にいるというので、いかがわしい人たちに案内されて行ってみると、目の前に現れたのは、ダルメシアンの犬の縫いぐるみを着て座っているゴッドでした。GODDOGの格好をしているんですから、猛烈な皮肉だと判ります。

 原作のコミックをドラマに仕立てたものらしいです。このドラマ批評している人たの投稿を見ますと、キリスト教や聖書の世界観を知らない人ばかりだからでしょう、このテーマの面白さが全く判っていないように感じました。それにしても、宗教をここまで徹底的に批判することができる時代になっていることに驚きました。

 面白いので話の筋をちょっと紹介しておきますと、創造者被造物に試練を与えてテストしたり、新たな被造物を創造しようとするんですが、うまくいかないので、気に入らないものを滅ぼすために世の終わりを計画します。

 イエスを気に入っていなかったゴッドイエスの子供をメシアにして、自分気に入らない世界を滅ぼ計画をしていたことを知ったバンパイアが、それを阻むためにイエスの息子をしてしまいましたしかたなくゴッドはイエスをメシアにしようとするのですが、イエスメシアになることを断ったので、最後の審判の計画は頓挫し、宗教組織も壊れてしまいます。世界滅亡の日を逃したゴッドは、また何処かへ逃げてしまうのです

 それから数年後に見つけ出されたゴッドに牧師はいろいろ問いかけますたとえば癌の問題に対してゴッドは、試練は人を強くするとか、病人が死んでも、その家族を強くするとか、ありきたりの応えしかしません。牧師の父も牧師でした厳しかった父を地獄に送って欲しいと祈った祈りは聞かれたのか、と尋ねると、真面目だったお前の父は天国にいる。お前の祈りは無視したとゴッドは答えます。しかしさまざまな場面を経験させたのは、お前を愛していたからだ、とゴッドは愛を強調します。後はお前が私を愛していると言うだけでいいのだ促(うなが)しますが、自分が愛されたいという目的のために全てのことをしてきた身勝手なゴッドを、牧師は愛さないと言い、もう天国には関わるなと言い放ってゴッドの元を去っていきます。

 世界の滅亡が、人間の罪のせいだと教えられたまま信じていた牧師も、最後には、神も天国もサタンも地獄も宗教捨ててしまいます。

 一つ意味がはっきりしないんですが、妻と病気で失くし、憎悪だけ生きているセイントオブキラーズ(殺し屋たちの聖者)という無敵のガンマンが地獄で自分勝手に振る舞っていたサタン天の王座に座って身勝手に振る舞っていたゴッド、撃ち殺してしまいます。

 ゴッドもサタンも宗教家も必要ない、そんなもの全部殺しても、人間を含む世界の営みは続いて行くというメッセージだと思います。

 

【イエスの話は人間の話】

 とにかく、実態のない訳の判らない話は終わりにして、イエスを主役にした物語に移ましょう。なぜなら、イエスは実態のある人だったからです。

 二千年も前の人ですからほとんど捉えられないかもしれません。けれども、なんと言ってもぼくらと同じ人間だったということが重要です。ユニコーンや龍やゴッドやサタンのような想像物語の出演者じゃないことが重要です。おぼろげに見ることしかできないとしても、少しの足跡を辿(たど)り、人物像を少し思い浮かべることできる可能性があります。

 

【イエスとキリストは違う

 ここで、注意しておいていただきたいことが一つあります。それは「イエスの話」「キリストの話」は異なっているということです

 キリスト教のキリストはギリシャ語です。ヘブル語ではメシアで日本語では救い主と訳されております元々の意味は「油注がれし者」です。預言者や王が選ばれた時に、就任と祝福の儀式としてに香油が注がれたようです。ようするに、民を救いに導くために「選ばれ者」のことです。

 イエスは選ばれし者(メシア、キリスト、救い主、油注がれし者)である、というのが初代のキリスト教徒の告白内容であったと思われます。そして「イエスそがキリストである」という告白を土台として設立されたのがキリスト教会です。やがて神の子と呼ばれたことから神と同格の存在だと認識されるようになり、「神の子イエス・キリスト」は、神へと昇格させられたのでしょう。神と同格に扱われることにより、神の子キリストを中心にした神話が作り出されたことも想像できます。

 このような事実を踏まえると、イエスが登場する物語の中に、事実とは程遠い神話がると考えざるを得ません。すなわち、新約聖書には、キリスト・イエスを神話の神として登場させた作品があるので、注意して読まなければならないということですたとえば「キリストは・・・」「キリスト・イエスは・・・」「イエス・キリストは・・・」という表現が使われている部分はキリストの神性が強調されています。手紙類の中で多く使われています。これに対して福音書には、「イエスは・・・」という表現が使われています。福音書は人間イエスを主人公にした物語を描いているからです。中でも、人間イエスについての情報をより素朴な形で、しかも物語形式で与えてくれるのがマルコによる福音書です。マルコには、イエスが誕生する前の神話がありません。十字架で殺されたイエスが復活して登場する神話もありません。これはマルコが、人間イエスを知ってもらいたいと思っていたからでしょう。イエスを初めからひとりの人として登場させているのは、マルコの誠実さの現れであると思います。ですからぼくはマルコ福音書を取り上げることが多いのです。

 

ゴッドは人を赦せない

 聖書の律法を教えているような箇所をあまり読まないのは、頑張れる人しか救われないような内容が多いからです。

 でいる人少ないのが現実です。助けが欲しいとか救われたい思っているのは、喜べない状態の人です。頑張る気力すらない人こそ救われたいのです。そうだとすれば、命令に従うことができない多くの人を律法は救えません。

 律法を教えていたそれまでの宗教は、「あなたの今の状況はあなたが罰を受けている証拠だ」とでもいうようなことばかりを話していたんでしょう。こんなことを聞かされる人々は萎縮(いしゅく・小さく固まってしまう)するばかりです。

 条件を満たすことが出来る人だけを救うゴッドには誰も救えません。ゴッドの律法は救うどころか、むしろ人を脅して裁くだけです。

 

【人間イエスが人を赦す】

 そこに登場したのがイエスです。イエスの教えは、律法的な宗教の教えに反して、そのままのあなたが赦されている。そのままのあなたが愛されているという福音でした。

 イエスは、病気の人、障害のある人、差別されている人のところに出かけて行って、あなたの現状あなたの罪の結果ではない、ということを感じ取らせるために「あなたの罪は赦される伝えました。

 んな慰めは救いにはならないと多くの人は言うでしょう。しかし、イエスは人を慰めるために嘘を言ったんじゃありません。

 ゴッド実在しないのですから「あなたは赦される」と誰が言っても嘘じゃありません。むしろゴッドに成り代わって「あなたが今のままなら罰せられる」と教える人こそがつきす。

 イエスは律法の書を詳しく調べ直したわけではないでしょう。ただ宗教が教えて来た社会的な差別ときを無視して、人は責められる存在ではなくて愛される存在なんだとイエスは示しただけです。

 律法はそのままの人をさずに裁きます。かし、イエスは変われない人を、そのまま愛して育てました。創作物語のゴッドと実在した人間イエス決定的に違うところです。

 

【ぼくたちは】

 時には、創造者この世をコントロールしているかのように感じることもありますけれども、騙されてはなりません。律法の命令に従わない人に罰を与え、頑張れない人に罪意識を植え付けるゴッドは実在しません。フィクション(創作物語)の配役に過ぎません。

 これに対して、実在した人間イエスは、変化の無いままの人に、「あなたの罪は赦される」と明言しました。変化できないそのままのあなたを受け入れるというのがイエスの福音です。イエスは、あなたが刷り込まれた罪意識からあなたを解放します

 ぼくはイエスの言葉を信じています。あなたが変化しても受け入れますが、変化できないあなたも受け入れます。あなた自身も今のままの自分を受け入れてください。

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