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「発表するためにエルサレムに向かった」20200322
「発表するためにエルサレムに向かった」2020年3月22日
聖書 マルコ 十章三十二節〜三十四節
未知のウイルスによる感染症で世界中が未曾有(みぞう・経験したことのない)の混乱に陥っているのを目の当たりにすると、文明というものが、見かけによらず、脆(もろ)いもの、であることが暴露されたように思えます。このような出来事によって、自分の目標や生き方を持っていない人の脆さも浮き彫にされたんじゃないでしょうか。
しかし、今日紹介するイエスは、明確な目標を持っていたかどうか判りませんが、自分のしたいことをはっきり認識していて、ブレない方向性を持っておられたことがわかります。
【伝統的な教えに納得できなかった】
イエスといえども、青年時代には、地域社会の教えにしたがって、神様に仕える良い人になろうと思っていたように思います。熱心だったイエスは、伝統を守る生活だけでは飽き足らず、青年期を襲う欲望を、無理にでも抑えようとして、禁欲生活を奨励していたバプテスト・ヨハネの下に行って、バプテスマを授けてもらったんでしょう。その後、ヨハネの教えを受けながら、ヨハネと共に禁欲生活に励んだんでしょう。しかし、荒野での修行僧のような生活に、途中で見切りを付けて、イエスは、街に戻って、自由な生活をしたようです。側で見ている人には、禁欲生活を始めた以前よりも、更に堕落した生活に入ったように映ったことでしょう。
イエスが、バプテスト・ヨハネの下を去ったのは、ヨハネが目標としていた禁欲生活では心の満足を得ることができなかったからに違いありません。禁欲生活を貫くことによって神様に従おうと考えたヨハネと、同じ目標を持てなかったイエスは、荒野に背を向けて、街に戻ったんだろうと思います。すなわち、修行によって禁欲することが、神様に仕える生活じゃない、と悟ったので、イエスは、庶民の生活に戻ったんだと思います。
イエスが「安息日は人間のためにある」とおっしゃったことからも分かるように、律法というものは、人間の生活を支えるために作り出されたものであって、神に仕えるために定められたものじゃない、と考えていたことは明白です。
ですから、神様に仕えるために律法を守らなければならない、と教える当時の伝統的な地域社会の教えに囚われて自由に生きられなくなっている人を律法から解放する、という生き方の方向性を、イエスは決めたんでしょう。
律法の教えがいくら厳しくても、律法に即した生き方ができる、と言える人などいません。地域社会の伝統的な教えに、建前上は従って歩んでいる振りをすることができるとしても、律法を厳格に守ることなど至難の技です。特に庶民には、律法に従う生活など諦めるしかなかったんじゃないでしょうか。
律法の要求に応えようとしてもできない自分に、少なからず、後ろめたい気持ちを持っているのが一般的な庶民の状況だったろうとぼくは考えております。一般庶民であってさえそうだとすれば、ましてや、病人や障害者や、嫌われた職業の人々は尚更、心苦しく生きていたことは想像に難くありません。
そんな人々の所にイエスは出かけて行って、罪の呵責(かしゃく)から人々の心を解放することができる福音を解きながら、歩かれたんだと思います。
【イエスはなぜユダヤで教え続けたのか】
活動の初めの頃は、シナゴーグと呼ばれる会堂でイエスは、自分がたどり着いた福音を伝えています。シナゴーグ(会堂)というのは、いわゆるユダヤ教の礼拝堂です。伝統的な教えをするつもりじゃないのに、なぜ、なおも、礼拝堂で話すことにこだわったんでしょうか。なぜだと思いますか。
それはね。地域社会の伝統を教える会堂で、イエス自らも教えられ、育てられてきたからです。
今ね、シナゴーグを説明する時に「いわゆるユダヤ教」と申しましたのは、意味があります。
ユダヤ教という呼び名は、いろいろな宗教を並べて比較し、それらを区別するために、誰かが勝手に付けた呼び名です。他の宗教の他の神々を認めない地域社会で育った人にとって、自分たちが信じている神様だけしかいないんですから、自らユダヤ教だと名乗る意味がありません。自分の神様を信じている者だけが神の民であり信仰者です。その他は、信仰など持ち合わせていない者ということになるはずです。ですから、自分たちの信仰の在り方を、あまたある宗教の一つとは考えていません。
キリスト教という呼び名も同じです。バルナバとパウロが一緒に働いたアンテオケで、弟子たちが、初めてキリスト者(クリスチャン)と呼ばれるようになった、と使徒言行録十一章二十六節に書いてあります。弟子たちって誰のことかわかりませんが、とにかく、それまで聞いたことのない新しい教えを説いている人々が、何があっても「キリスト」「キリスト」って言ってるやつらだから、あいつらは「キリスト野郎だ(クリスチャンだ)」と揶揄(やゆ・からかわれ)された呼び名です。弟子たちが「わたしはクリスチャンです。キリスト教徒です」などと言ったわけじゃありません。たとえそんなことを言っても「何のこっちゃ」てなもんで通じませんしね。
要するに、イエスも、ユダヤ教徒であるとは考えていません。育った土地に根差した神様に従った生活をしようとしていただけです。
イエスは、純粋なユダヤ人とも言えなさそうです。クリスマスに読まれる誕生物語では、イエスはユダヤのベツレヘムでお生まれになったとされていますが、故郷はイスラエル北部のガリラヤ地方にあったナザレだという記事があります。イスラエルの伝統的教えを継承していたとは言え、中心地エルサレムとは微妙なズレがあったはずです。(大阪と兵庫でも異なっているようにね)
イエスも、いわゆるユダヤ教の教えを受けて育ったはずです。そして、それを極めようとして、挫折したのがイエスです。かっこよく言えば、満足できなかった、となりますが、そこで、イエスは独自の新しい福音に目覚めたということです。
何が言いたいか、と言いますと、いわゆるユダヤ教の教えや律法主義の厳しい戒律があったおかげで、イエスは独自の福音にたどり着くことができた、ということです。だから、イエスは、伝統的な教えを伝えてくれた地域社会から逃げ出すことなど考えたこともないでしょう。それどころか、むしろ、律法主義に対して自分が到達した考え方を持って、イエスは、会堂に行き、礼拝するために集まっていた人々の前で、発表(宣教とか言われますけれど)したんだと思います。小さい頃から育ってきた地域社会の会堂こそが、イエスの宣教の場だったんです。
ただし、イエスの地盤であった地域社会を指導していた知識人や指導者たちは、イエスの福音を受け入れませんでした。これも当然のことです。イエスは会堂から追い出されて、道端や野原や個人の家で語ることしかできなかったんです。
イエスの発表を聞いて喜んだのは、当時の地域社会で、罪人扱いされていた人々だけでした。そして、まさに、イエスの福音を聞いて、当時の教えから解放されねばならなかったのは、そのような人々だったんですから、イエスの福音は、必要としていた人々に届いた、ということです。
イエスは、良し悪しにかかわらず、自分を育てた地域社会の中で、自分が気付いた福音を発表したんです。それは当然のことでした。それしか考えられなかったんです。
【律法主義の神に代わる神を求めていない】
イエスは神様を模索したり、新しい神様を創造しませんでした。神様に仕えるには、律法を守るしかないのだと教える律法主義を批判しただけです。その過程で、律法主義が描いた概念の神を否定しなければならなかったのは当然のことです。
他の福音書はいざ知らず、マルコ福音書のイエスは、神という言葉を使いません。驚くほどです。律法主義者が作り出した概念の神から、イエスは民衆の生活を引き離そうとしているようにしか思えません。「アッバ(お父ちゃん)」という呼びかけでイエスが祈ったことにも、概念の神への反発があることは確かだと思います。
このようなイエスの言動は、いわゆる現代のキリスト教会の中でも受け入れにくいんじゃないでしょうか。なぜなら、キリスト教の教義として教えられてきた内容に対立さえするからです。
ぼくは説教の中で、キリスト教の神という言葉をできるだけ使わないようにしていますし、キリストという称号も、努力して使わないようにしています。神格化されたキリストじゃなくて、人間イエスしか信じられないからです。
そんなふうに、神やキリストの概念を否定する説教をし続けるのであれば、キリスト教会の牧師としてじゃなく、教会を出て、もっと自由に話せばいいじゃないか、という声も、正直言って聞こえてきます。しかしね、それはできないことです。なぜならば、功罪を別にして、今のぼくを育ててくれたのは、キリスト教会だからです。
そういう状態に置かれて来たからこそ、この社会が作り出してきた概念の神に異議(反論)できるようになったんです。この社会が作り出してきた概念の神の子キリストに異議できるようになったんです。
イエスがそうであったように、生まれた背景を背負いつつ活動するのは当たり前のことです。
【イエスの福音にブレはない】
活動の終盤でイエスは、覚悟を決めてエルサレムに向かって突き進んでいきました。その途中で、「自分は、エルサレムで迫害を受けて殺されるけれども、三日目には復活する」と弟子たちに三回も語ったことになっております。教会が後に付け加えた事後予言と言われておりますけれども、イエスが危険を承知の上でエルサレムに向かっていたことだけは事実だと思います。その姿勢があまりにも真剣だったので、弟子たちは怖くてその意味を尋ねられなかった、と書かれているほどです。
ただし、教会で教えられているようなことをイエスが考えていなかったことは確かです。すなわち、みんなの罪を背負って、罪を贖(あがな)う供犠になるために、十字架にかかって死ぬために、エルサレムに行くんだ、などとイエスが考えていなかったことは確かです。
危険は承知の上でありましたが、イエスが自分の考えを正面切って表現する場所は、政治と民衆を扇動する教えの中心になっているエルサレム神殿しかないとイエスは悟っていたはずです。だから、イエスはエルサレムへと進んでいったんです。みんなの罪を被って死ぬためじゃなくて、刷り込まれた理不尽な教えから、民衆を解放するためです。
【ぼくたちは】
人が洗脳されている状態は今も同じです。あなたも洗脳されています。そして今も、イエスが発表した言葉は、あなたの洗脳を解きます。
生活のためには、地域の伝統的な知恵が必要だ、ということもあるでしょう。しかし、人を盲目的にして操縦するために刷り込まれた思想に気がつくためには、嘘を暴(あば)く真実を語ってくれたイエスの言葉を聞く必要があると思います。イエスの言葉に真摯(しんし・まじめでひたむき)に耳を傾けてみましょう。