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「神も仏もあるものか」20240107
「神も仏もあるものか」20240107
聖書 ルカ十三章一節〜五節
元旦に、令和六年能登半島地震が起きまして、心まで揺り動かされました。二日には航空機事故の知らせが飛び込んで来ました。すごい年明けになったものであります。
なんでこんなことになるんだろう。神も仏も無いものか、と思った方もおられるでしょう。そこで私の結論をまずもうしあげておきましょう。その通り、神も仏も無いのでございます。
【祈りを聞く神はいない】
年末年始に神社仏閣で家内安全を祈願なさっていたであろう人々の上に、このような自然災害や人災が襲いかかったのですから、神も仏も無いという言葉は真実に近いはずです。
このような災害や事件を意味付けしようとなさる人が多いですけれども、こんな出来事に意味などあろうはずありません。偶然や必然が重なって、間の悪いことに大きな出来事に遭遇してしまった、と言う他ありません。
自然災害に理由はありません。人災に関しては、原因を追求することができます。今後の人災を減らすために原因を追求することは必要です。しかし、そのような災難に遭わなければならなかった理由などあるはずないのです。
【受難に対するイエスの理解】
イエスは、災害に遭った人たちは、自らの罪が原因で災難に遭った訳ではない、と明確に言い切っておられます。ローマ帝国のユダヤ総督ピラトによって殺されたガリラヤの人たちも、シロアムの塔が倒れた時に犠牲になった十八人のエルサレムの人たちも、そのような災難に遭ったのは「彼らが罪深い者たちであったからではない」と明言なさいました。
イエスがこのように言わなければならなかったのは、災難に遭うことと、罪を結び付けて教えた社会背景があったからです。
神が全てを支配して、全ての現象を神が采配なさっていると信じている人々は、災難は神の裁きであると解釈するようです。
我々凡人には理解できなくても、神がそうなさったからには、理由があるはずだ、などと教えられていたのでしょう。神を信じている人の恐いところは、判らないことを神の責任にしてしまう姿勢です。
一方、こんな事件が起こるなんて神様はいるのだろうか、と問う人もおられるでしょう。けれども、理解不能な出来事に決着をつけるために、神や仏を持ち出してはなりません。普段の生活の中では神や仏の存在を無視しているにもかかわらず、心の深いところで、多くの人は、神や仏に対する恐怖に怯えているように思えます。無神論を唱える人の中にも神への恐れが巣くっているように思えます。
【宗教はイデオロギー】
多くの人は、社会のさまざまな場面で教え込まれた宗教概念に囚われていると思います。有史以前から、人間の理解を超えた出来事に理由づけをし、無理な説明を付けて来たのが宗教です。
頭の良い権力者は自分の立場を強固にするために、宗教を利用してきたことから、宗教はイデオロギー(社会的立場を決める思想、生活様式を決めるための概念、思想)だと判断できます。
宗教は社会を説明するために人間が作った論理、哲学の中の一つに過ぎません。とは言え、何万年も試行錯誤を繰り返し、改良を加えられて来た論理でありますし、千差万別に枝分かれしているものですから、これらを一つひとつ論破するのは不可能です。しかし、宗教が立っている基礎を考えれば、宗教が人間の思考から作り出された社会理念の一つに過ぎず、人間界から跳び抜けた存在でないことを理解すれば、畏れずに、宗教的な社会の抑圧を振り払うことができるでしょう。
神であれ仏であれ、宗教は、誰も確認できないものを基礎にして論理が組み立てられているのです。宗教の指導者、専門家たちは自分の知らない事を、熟知しているかのように話しているだけです。このような偽善者に騙されないようにしましょう。
【偽専門家に気をつけて】
航空機に詳しい専門家を呼び出し説明を求めるテレビ局もテレビ局ですが、その質問に答える専門家も専門家です。
事実を確認できていない状況ならば「まだ何も答えられません」と専門家の立場から答えるべきです。報道陣の逸る(はやる・あせる)心を抑えるのが専門家としての義務であろうとぼくには思えます。ところが訳のわからない内から勝手なことを言うのですから、自分の気持ちを抑える理性を持った専門家がいないというのが現状です。知らない事、訳の判らないこと、説明しようのないことを得々と話す専門家は嘘つきです。
【苦難を与える神などいない】
イエスは災難と罪は関係ないと言い切りました。
今回の事故には確かに人的な過ちもあったでしょう。警告灯の整備不良もあったのかもしれません。そのような人間が犯した過ちはあったとしても、それらは神に対する罪などとは全く関係がない、とイエスの思想からは言い切ることができます。
言い換えれば、災難は神の審判などとは関係がないということです。
神を持ち出すグループには論拠がありません。誰も確認したことのない神を持ち出しているからです。その点で言えば、ぼくの言葉の方が真実に近いはずです。なぜならば、誰も確認したことのない神についてぼくは話していないからです。
【イエスは悔い改めを求めていない】
「あなた方も悔い改めなければ、皆同じように滅びる」という言葉がイエスが語った言葉であるかのように記録されておりますけれども、これはイエスの思想と何の関係もない言葉です。つまり、ルカ福音書の著者の言葉です。「罪深い人が災難に遭ったのではない」と言ったイエスが「(罪を)悔い改めなければ滅びる」と言ったとすれば論理矛盾です。「罪による裁きから逃れるためには悔い改めが必要である」と考えているルカの挿入句に違いありません。聖書を鵜呑みにせず、その成り立ちを考えながら読むことが本当に聖書を大切に扱うことです。そうしてこそ、本当のイエスの福音を汲み取ることができるのです。
【ぼくたちは】
正月の初めから起きた数々の事件で災害に遭われた人々の悲しみに心を痛めます。
そこで、受難された人々を更に苦しませないために「受難は人の罪などとは一切関係ない」とおっしゃったイエスの言葉を送ります。
宗教的抑圧をかけてくる社会から抜け出して、社会による宗教的抑圧に押し潰されなさいませんように願っております。