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「イエスはヘロデが首を刎(は)ねたヨハネだ」20240310
「イエスはヘロデが首を刎(は)ねたヨハネだ」20240310
聖書 マルコ六章十四節〜二十九節
前回は、イエスとキリストは別物だと話しました。「イエスこそメシア(キリスト)である」と告白したペトロに対して、イエスは「サタンよ退け」と叱った逸話を話しました。イエスはメシア(キリスト)になるつもりはなかったし、当然キリスト教会を作るつもりもなかったのです。イエスの福音とキリスト教の福音はまったく別物だという話もしました。メシアになろうとしていなかった人間イエスを知ってもらうために、マルコは福音書を書いたのだと思います。ですから、マルコ福音書に登場するのは人間イエスです。メシアもキリスト教会も登場しません。この事実から判るのは、弟子を中心に組織されていた教会を批判するためにマルコは福音書を書いたということです。
【マルコは人間イエスを強調している】
イエスは自分の活動を始める前に、バプテスマ(いわゆる洗礼)を授ける者つまりバプテスト、と呼ばれたヨハネの下に行って、洗礼を授けてもらっています。そういう意味で、バプテスト・ヨハネはイエスの先駆者、イエスの先生です。
イエスは早々にヨハネの下から抜け出したと思いますが、そんなイエスに、元々は先生であったヨハネが逮捕されたという事件報告が届いたのですから、イエスは衝撃を受けたでしょう。マルコ福音書はこの事件報告から始まっているのです。(マルコ一章十四節〜十五節)
見過ごしている人が多いのですが、ここには、イエスがガリラヤに行って独自の福音宣教活動を始めたきっかけは、ヨハネが逮捕されたからだ、というマルコ福音書を理解する上でとても大切な情報が書かれているのです。
【イエス活動の動機】
世間で起きるどんな事件にも動機があります。どんな刑事事件でも、容疑者の動機解明に心血が注がれるのは、動機を知ることが事件の真相を知る手掛かりになるからです。
そういう意味でマルコは、イエスが独自の活動を始めた動機を福音書の初めに書いたのです。大切なことだから何度も言っておきます。イエスが独自の福音宣教活動を始めた動機は、先生であったヨハネが逮捕されたからなのです。これはマルコ福音書を理解する上で大変重要な情報です。
【イエスは民衆の支持を得た】
イエスはガリラヤ湖の辺りで仲間を集めます。仲間とは、後の教会で弟子と呼ばれた人々のことですが、当初は師弟関係ではなくて、数人の仲間を作った程度のことです。
イエスはすぐに、律法の規定にお構いなく病人を癒したり、教師の資格も無いのに、当時の社会では罪人とされ差別されていた群衆に教え始めました。間もなく、イエスの活動に共感した人々が増え、目立つ存在になり、領主ヘロデの耳にまでイエスの噂が届いたようです。
独自に始めたイエスの福音宣教活動が追い風を受け始めた頃に、イエスに訃報がもたらされます。その内容は、逮捕されていたバプテスト・ヨハネが獄中で殺されたということでした。
ヨハネが虐殺された経緯(いきさつ)は、「サロメ」という戯曲の原作になっているほどスキャンダラスで有名な物語です。そのまま戯曲の原作になるほどよくできています。というよりもできすぎで、浮き上がって見えます。
たとえば、ヘロデの宮殿や牢獄での出来事の描写、ヘロデとヘロディアとサロメの会話が細かく描かれていることなどから、単なる事件報告ではなくて、戯曲の台本そのものです。この後に表現されるヘロデの心の動揺を説明し、読者を納得させるために作られたフィクションに違いありません。いずれにせよ、イエスの先駆者ヨハネが獄中で殺された事実を明確に示すと共に、もう一つの伏線が置かれているのです。つまりこの事件はイエスの行末(ゆくすえ)を暗示しているのです。
【ヘロデの告白】
戯曲を登場させたために、時系列が乱れておりますから整理しておきますと、ヘロデはヨハネを斬殺(ざんさつ)した後に、イエスの噂を耳にしたのです。
不思議なわざと斬新な教えによって民衆の支持を集めつつあったイエスの噂(うわさ)が、領主ヘロデに届いた時に、噂について、部下たちに問いただしたヘロデは、部下たちの報告を遮(さえぎ)って「わたしが首を刎ねたあのヨハネが生き返ったのだ」と言ったと書かれています。福音書著者マルコは、自分が最も伝えたい内容を、領主ヘロデの口から言わせたのです。
たとえこのような出来事があったとしても、多くの人が集まっている部屋で話されたわけではないでしょう。どちらかと言えば、王の部屋とでも言うべき密室の出来事であったはずです。後のキリスト教会の関係者がヘロデの告白を直接聞いていたとは考えられません。そうだとすれば、十字架に対面していたローマの百人隊長の告白と同様に、福音書著者マルコがヘロデに言わせた言葉に違いないでしょう。
他の誰でもなくて、ヨハネを捕え、首を刎ねたヘロデ自身の口で言わせたことによって、この告白の意味を強調しているのです。
【ヘロデの告白こそが復活を示している】
この時点で活動しているのは、活動できなくなったヨハネを引き継いだイエスであることを福音書の読者の誰もが知っています。それを、事件の責任者であるヘロデ本人の口から「あれ(イエス)は、わたしが首を刎ねたヨハネが生き返った姿なのだ」と告白させたのです。
殺されたヨハネがそのまま生き返ってくることなどあり得ません。イエスの活動が、まるでヨハネが生き返って活動を再開したかのように、ヘロデには思えた。これが現実の復活なんだとマルコは主張しているんです。
昔の預言者イザヤのようにヨハネが荒れ野に登場し、首を刎ねられたヨハネが生き返ったかのようにイエスが活動している。このような復活の生き様を引き継いでいない弟子たちとその教会をマルコは痛烈に批判しているのです。
【ぼくたちは】
ヨハネやイエスの生き様を引き継いでいない弟子の活動を恐れる支配者はいません。そんな弟子に危険は及びません。しかしそんな弟子たちを中心に組織されたキリスト教会に民衆を救う福音はないとマルコは警告しているのです。
さて、これからぼくたちはどのような生き様をしましょうか。今月末の復活祭に向けて、考えをまとめていきましょう。