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「アナザーストーリー第三話」”占星術師”20221218

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「アナザーストーリー第三話」”占星術師”20221218

聖書 マタイ福音書  一十二

 

 降誕祭(クリスマス)を目指して、マリアの婚約者ヨセフとイエスの母マリアについて話しました。今日は全く違う視点から考えてみましょう。

 

 司会者に読んでいただいた聖書には占星術の学者が登場しております。星の動きを観察して占いをする人のようです。今の時代で言う天文学者とは少し違います。それでも天体の動きには敏感なたちだったようです。

 十一月八日の夜に、満月が一時的に地球の影に隠される皆既月食をご覧になった方は多いでしょう。ニュースでその情報を聞いた私も夜空を見上げました。

 このようなニュースが流れない限り、ぼくたちは夜空を見上げる機会がめっきり少なくなりました。星空に気を取られなくなったのは、街の灯がまぶしいほどに明るくて、星が目立たなくなったからです。

 四年前(2018年9月6日)に発生した北海道胆振東部地震の影響で、北海道が大停電になった時は、多くの人が、夜空には無数に輝く星があることにあらためて気付いたのではないでしょうか。

 イエスがお生まれになった2000年ほど前、電気の灯りがない時代の雲のない夜空には、満天の星が瞬(まばた)いて見えたでしょう。

 見つめていると、星が動いていくように見えます。ですから、大昔から、星の動きを研究する人々がいたようです

 小さく輝いているように見える星のほとんどは、太陽のように自ら熱と光をっている恒星(こうせい)です。太陽に一番近い恒星でも四光年以上離れています。つまり、ぼくたちがこの星を今見たとすれば、その光は、四年以上も前に発せられたものだということです。それほど遠くにあるから小さく見えているのですが、本当はとてつもなく大きい星です。そしてぼくたちはそのような星が爆発した時に出来た元素の集合体なのだそうです。いわゆる星くずなんです。宇宙には想像もできない時間や出来事があふれているのです。

 

星に導かれて

 二千年ほど前、イエスがお生まれになった頃に見慣れない星の動きがあったのかもしれません。それを見た東方の占星術師たちが、地上にも新しい出来事が生まれたと考えたようです。たくましい想像力の持ち主たちです。彼らは、星に導かれて、今のイスラエルの首都、ユダヤのエルサレムに来たのだそうです。

 困っている人や悩んでいる人を救う新しい王様が生まれたのだとすれば、宮殿で生まれたに違いない、と考え占星術師たちはユダヤの王ヘロデが住んでいる宮殿を訪問しました。

 「新しくお生まれになった王にお目にかからせてください」と彼らは尋ねましたが、誰もなんのことか判りませんでした。

 これを聞いたヘロデ王は、自分の王座が奪われる危険を感じ、ユダヤの学者たちを集めて、メシア(救い主)はどこに生まれるのか、と問いただしました。学者たちが調べた結果、ベツレヘムという小さな町であると判ったそうです。ヘロデ王の館(やかた)で話されたことを聞いていた人がいたとは思えません。ですからこの逸話はフィクション(創作物語)です。

 

【ユダヤの指導者を批判したマタイ】

 マタイによれば、全ての人を救いにみちびくことができるイエスがお生まれになった時、救い主がお生まれになるという希望に、最初に気づいたのは、ユダヤ教の下で育ったユダヤ人の学者ではなくて。異邦人(見ず知らずの外国人)、しかも、その中でも預言者たちによれば、神が忌み嫌う占い師であったと言うのです。

 ユダヤの国で起こった大切な出来事を、国の中枢にいた王も家来も学者も、つまり、偉いと言われていた人たちの誰も気づいていなかったと言っているのです。

 現在の日本でも、国の指導者たちが、今この国で起こっている大事なことに気がついていない事態と似ています。

 さらに、イエスが生まれた場所は、小さな田舎町ベツレヘムだったというのですから、マタイはエルサレムという大都市を無視し、ユダヤ教の学者たちの危機意識の無さをタップリと皮肉っていることは確かです。そういう批判を込めてこのような物語をつけ加えたのでしょう。

 力が強くて、周りの人を自分の思い通りに動かすことができる権力の強い人が王様だと思っている人がほとんど。だから占星術師たちも間違えて王宮に行ったことになっているのでしょう。しかし、みんなが予想した場所と関係のないところでイエスは生まれたのだと伝えられています。その意味はイエスは多くの人が考えるような、国民を支配する王様ではないということです。

 

【偉大な人とは優しい人】

 本当に偉大な人というのは、もっとも弱い人を大切にする人です、たとえば、寒さに強い人がこの場の温度設定を決定するならば、多くの人は寒くて困ります。そこに、寒さに弱い子どもがいれば、自分の都合を先行しないで、たちが気持ちよく過ごせるように温度設定してくれる、そんな人が偉い人です。イエスはそんな人でした。そんな人になれたのは、イエスご自身が、小さなの片隅で生まれて、寒いことも暗いことも、お腹が減っていることも経験していたからでしょう。

 イエスは新しい王様としてお生まれになったのだと言われますけれども、力を振りかざす王様ではなくて、小さく弱いものを大切にする本当に偉いとして生まれたということです

 

ぼくたちは】

 イエスがお生まれになった頃のように、寒くて暗いところに生まれる子供たちが今もいます。戦争のために光も暖房もなく夜空の星を見ている人がいるでしょう。寒くて暗くて心細い人たちが、ぼくたちに見える星と同じ星空の下にいるのです。ぼくたちは、自分が置かれている状況に感謝するだけでなく、光を失った人々に、光を届けられるように、弱い者を大切にする人になることがクリスマスには求められているのだと思います

 ルカ福音書では、小さなベツレヘムで生まれたイエスは馬の餌を入れる飼葉桶に寝かされたと書れています。王宮ではなくて、人々の目が届かない状況イエスは生まれたのです。からこそ、小さく弱い人の気持ちも判り弱い人を救うことができる人になったのでしょう

 大きく立派に見えることばかりに目を止める癖(くせ)がぼくたちにはありますけれども、むしろ小さいものに目を留め必要があるのです。よくなければ見えないほど小さく瞬(まばた)いている星が、本当はとてつもなく大きくて、太陽の何十倍何百倍も輝いている星であるように、見かけの大小に惑わされない目を養いましょうそんな大事なことを教えたかったからこそイエスの誕生の時や場所について物語をマタイは描いただと思います。

 絵本のような情景を思い浮かべるのではなく、マタイが本当に知らせたかったことを探りながら聖書を読むようにいたしましょう。

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