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「人をゆるす!神なしで!」20240114

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「人をゆるす!神なしで!」20240114

聖書 マルコによる福音書 二章節〜十

 

 元旦に能登半島地震、二日には航空機事故が起きたことを受けて、先週神も仏もあるものかと題し説教いたしました。「神も仏もない」言い切ったぼくの結論に、多くの人が賛同して下さるものだと思っていたのですが、それほどでもありませんでした。多くの日本人は、特定の宗教に属していませんけれども、何らかの信仰心を持っているからでありましょう。特定の宗教に凝り固まるのは嫌いだけれども、どんな宗教の祭りでも受け入れて、楽しければいいじゃないか、というのが日本人気質のようです。

 日本には、昔から八百万(やおよろず)の神がおられるのだと申します。大のような有機物だけじゃなくて、無機物の岩にさえ命を感じる日本人は、傲慢な神を嫌います。

 日本人想像する神には山の神、海の神、火の神、水の神など、得意分野があるようです。落語には貧乏神さえ登場します。神話を作った古代の日本の人々は神にもユーモア(滑稽さ)を持たせ、聞く人を和ませることも忘れなかったように思えます。おれ一人が全部を仕切っているんだ。媚(こ)びへつらう者には分け前をやるが、逆らう者は滅ぼしてやる、などと言全知全能で唯一の創造主など胡散臭(うさんくさ)くて受け入れられないようです

 日本の神様たちは、年に一度、十月ごろに国中から出雲(いずも)集まって情報交換話し合って決め事をなさるのだそうです。その間、誰かに留守を頼むようですが、神様がいなくなるので、神無月(かんなづき)と言うようです。そんなふうに、日本は、神代の昔から合議制を大切する国だったということです。

 小学生の時には、みんなで話し合って多数決で決める民主主義をアメリカが日本人に教えてくれたんだ、などと教えられましたけれども、嘘だったんです。終戦当時建国一七年も経っていなかったアメリカが指導してくれなくても、日本は神代から合議制だったんです。ということはすなわち神話ができる前から日本社会は、独裁者を嫌う合議制の社会だったということです。ちなみに、神様たちの中心的な存在である天照大神(あまてらすおおみかみ)は、太陽の女神です。女性蔑視であった西洋文化から性差別の言いがかりをつけられる筋合いはありません。

 

【日本人は自負心を持つべきです

 先の大戦後、日本は民度が低い未開の国だったとGHQから教え込まれましたけれども、全くの嘘だったんです。敗戦後にこれほど馬鹿にされても、大震災に遭っても、庶民が取り乱すこともなく、暴動も起こさないのは、互いを思いやる民度の高さがあってこそできたことです。ですからこれからは、先祖が育んできた国土自分に自信を持って、日本人の善さを世界にアピールするように努力すべきす。

 盗まない。嘘をつかない。弱い者を助ける。んな、ぼくら庶民にとって当たり前のことが社会を作る基礎には大切なのだと、世界に教えなきゃならない時代が来ているのだと思います。

 盗み、嘘をつき、弱い者を踏みつけても、成功すればいいのだという価値観に踊らされて来た敗戦後の日本人の民度かなり下がったのも事実です。ねじ曲げられた報道とその間に流される嘘のコマーシャルで溢れてい今のテレビを見ても判りますこの辺で、教え込まれた嘘を跳ね除けて、真実を見分ける目を育てましょう。

 

【神様も金儲けに駆り出されている】

 本当は人間が神さんを利用しているだけなのですが、近代、露骨な金儲けのためにさん駆り出されております。

 大阪では一月十日に今宮戎(いまみやえびす・えべっさん)の祭りがあり「商売繁盛で笹持って来い」と囃(はや)します。参拝者は「賽銭持って来たら商売繁盛させてやるぞ」という意味にとっているようですが、ぼくには「商売を繁盛させて、ぎょうさん賽銭を持って来いという意味に聞こえます。実際に、あの祭りの数日で一番金儲けしているのは、えべっさんを担(かつ)ぎ上げている神社なのであります。

 いつでもどこでも、口の上手いのが嘘をつき、心優しい人が騙されるということです。しかし日本の庶民の偉いところは、たとえ騙されていることに気づいても、すぐにけたたましく騒ぎ立てたりしないで、じっくり見てからやり返す時を伺っていしたたかさを持っていることです。これは、逃げも隠れもできない小さい島国でじっくり養った知恵だと思います

 

【イエスの言葉を聴き分ける】

 さて、聖書の中には、本当はイエスが話されたんじゃない言葉が、まるでイエスご本人が話したかのように書かれている箇所が、けっこうたくさんあるのです。「あなた方も悔い改めなければ、皆同じように滅びる」とイエスが語ったかのように書かれている言葉も、実はルカ福音書の著者の言葉だと先週言いました。

 今日紹介する言葉はそこまではっきり言えるかどうかわかりませんが、おかしい表現だなあとぼく自身がずっと感じていた部分です。これを後代の教会が書き加えた言葉だと理解すれば、スッキリ筋が通ることが判りましたのでお伝えすることにしました。ぼくが好きなマルコ福音書の中でも最も大切だと考えている物語です。

 

【君の罪は赦される】

 取り囲む人々に阻まれてイエスに近づくことさえできなかったので、四の男が家の屋根を剥がして、中風の男をイエスの前に吊り下ろした場面です。その四人の男たちの信頼の深さに感心したイエスは、中風の男に対して「君の罪はされる」と言ったのです。この場に居合わせた律法学者たちが「いやいや罪を赦すことができるのは神だけだ。この男は神を冒涜(ぼうとく)している」と考えたのだそうです。

 この後の部分をぼくも何度も取り上げて来ましたが、これは蛇足だと今回は読ました。「君の罪は赦される」とイエスがおっしゃった言葉で、この物語は完結しているはずです。

 なぜなら、「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう」など言ってからイエスが中風の男を癒したんだとすれば、しと身体の癒しさらに、権威まで直結させてしまいます。

 イエスの福音は権威主義に対する抵抗です。神や権威や奇跡に縛られている人を解き放つためにイエスは福音を語ったのですそうだとすれば、中風の男に「君の罪は赦される」と、何の権威もない人イエスが言い切ったことが最も大切な出来事です。

 地上で罪を赦す権威を持った人の子だとか、病気を癒す奇跡簡単に起こして証明して見せだとか、見た人々感嘆して神を讃美しという記述は、権威や神の呪いから病人を解放したイエスの福音を台無しにしてしまいます。だからこれは蛇足なのです。

 

【ぼくたちは】

 病を癒やせなくても、権威の後ろ盾なくても神への賛美せなくても、罪に囚われている病人にただの人であるイエスが「君の罪は赦される」と宣言した。この衝撃的な言葉だけで十分なのです。これだけが大切なのです。これイエスの福音であるからこそ、ぼくらも、イエス真似ることができるのです。

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