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「知りまへん、そんな男」20230226
「知りまへん、そんな男」20230226
聖書 マルコ 十四章六十六節〜七十二節
二月は逃げると申します。閏年(うるうどし)は来年ですから、今月は二十八日でおしまいです。なぜ二月が短くなっているか知ってますか。古代ローマで紀元前七百年頃に採用されたリトルリア暦は一年が三月から始まり二月に終わっていたなごりで二月の終わりに帳尻を合わせることにしたんでしょう。知らんけどね。
紀元前四十六年にユリウス・カエサルの改革によって、一年は一月に始まり十二月に終わることになったらしいですが、それから四年に一度二月二十九日を加えて調整したようです。知りませんが、とにかく今年の二月は二十八日ですから短いのです。小学生時代にこのような話しを聞いていれば、興味が湧いてぼくはもっと勉強していたでしょう。けれどもそうじゃなかったので、ほとんど勉強しませんでした。むしろ、なんとか学校を休みたいと考えていました。
近頃は、特殊な風邪やインフルエンザのために学級閉鎖になったとよく聞きますが、ぼくが小学生の頃はあまり聞きませんでした。そんなぼくでも学級閉鎖になった経験があります。ある朝、点呼の時に、三、四名が急な発熱で休んでいることが判りました。二時限目か三時限目に二名ほどが急に具合が悪くなって保健室に行った後で家に帰されたんです。先生たちはあたふたしていたので、自主学習ということになりました。自主的に学習するなんて有り得ませんから、自主的な話し合いが始まりました。その時に、クラスの二割か三割がインフルエンザで休んだら学級閉鎖になるらしいと誰かが言いました。よくもそんな情報を持っている奴がいるもんだと感心しつつ、情報に基いて計算すると、あと三人ほど休めば学級閉鎖になることが判明したのであります。俺とお前らと、大事をとって念の為にもう一人、お前の四人を選んで、気分が悪くなってきたから早退させてください、と言いに行くことに決めました。ぼくたちはクラス全員に三日間の学級閉鎖を勝ち取ったのです。
来週はもう三月ですから、寒さも和らいでくるでしょう。しかし、確定申告だ、年度の締めだなどと、忙しくて三月もすぐに過ぎてしまうでしょう。教会暦によりますと、今年の復活祭は四月九日です。伝統的な教会はイベントで結構忙しいもんです。
そこで、ちょっと早いですけれども、ぼくも復活祭を視野に入れつつ、説教を組み立てているこの頃です。ちなみに、復活祭をイースターと表現する教会が多いのですが、もともと太陽神の春の祭りのことですから、ぼくは使わないようにしています。
【イエスは殺害された】
さて、イエスの復活について考えるためには、まずイエスの死の事実を確認しておかなくてはなりません。というのも、イエスの死と言いましたが、イエスはただ死んだのではなくて殺害されたからです。
先週の説教では、神殿運営で生活していた宗教家が、イエスの教えによって自分たちの経済基盤を壊されることを恐れて、イエスを殺すことにしたのだ、と言いました。今の世界と同様に、既得権者は邪魔者を簡単に処分いたします。
【イエスと弟子たちの関係】
イエスを殺す計画が進められているというのに、イエスの弟子たちは何をしていたのか、とぼくは疑問に思いました。
既存の教会では、イエスは弟子たちと親密な関係であったように教えておりますが、実際はそれほどではなくて、弟子たちはイエスを十分理解していなかったとぼくは考えております。
なぜならば、イエスが殺された後の弟子たちは、イエスが命を賭けて伝えた情報を、正確に伝えていない、と感じるからです。
マルコ福音書は、イエスが弟子たちを褒める様子を伝えていません。むしろ、弟子たちは叱られる役割を与えられているようです。これによってマルコが弟子たちに対して批判的であったことは確かですが、イエスがマルコが言うほど本当に弟子たちに批判的であったかどうかは判りません。マルコ福音書もフィクションです。
マルコ福音書が書かれたのは五十年から七十年頃だと思われます。そうだとすれば、イエスの十字架事件から二十年あるいは四十年経っていることになります。教会は、すでにある程度の組織と権力を持っていたと思われます。
そんな状況でマルコが教会の重だった人々を批判したのですから、風当たりも強かったでしょう。その証拠に、マルコの弟子批判に対峙するかのように、他の福音書には弟子を褒める記事が載せられております。弟子たちに強い反感を持っていたマルコの気持ちがマルコ福音書に強く反映しているのは確かです。しかし、それが即イエスの思いそのものであったとは言えないと先ほど申しました。けれども、教会組織と教会教義の進展が、イエスの意思を反映していないように思えますので、教会の重鎮を批判しているマルコこそが、イエスの気持ちを十分に汲み取っている、とぼくは考えております。
【イエスから離れる弟子たち】
マルコ十四章からは、弟子たちの気持ちがイエスから離れていく様子を感じます。
初代ローマ教皇と呼ばれるようになったペトロと裏切り者の代名詞とされるようになったイスカリオテのユダ、この二人をマルコは取り上げています。彼らに対する後の教会の扱いはまったく異なりますけれども、裏切り者という点では同じだからでしょう。
弟子の中に自分を売り渡そうとしている者がいることを察知したイエスが、弟子たちに向かって、いよいよ危なくなってきた、と伝えた時にペトロは「たとえ、みんながつまづいても、わたしはつまずきません」と豪語しました。これに対してイエスは「まことに言っておく。今日、今夜(ユダヤでは夜が明けるまでが一日)ニワトリが二度鳴く前に君はぼくのことを三度知らないと言う」と諌めました。ペトロはさらに力を込めて「たとえ、一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとはけっして申しません」と言い返したのだそうです。
捕えられたイエスの後を、大祭司の屋敷の庭までこっそり追って行ったペトロを見て、イエスの仲間だろうと指摘した女中に対してペトロは二度も否認しました。居合わせた連中から「ガリラヤ人だから、お前はあの連中の仲間に違いない」とも指摘されました。気が動転していたペトロは、ガリラヤ訛(なま)りを隠せなかったんでしょう。「君たちの言っていることがなんのことやら、わかりまへん。知りまへん、そんな男」とでも言ったんでしょう。ペトロもユダと同じ裏切りの弟子です。そんなペトロが重鎮になっている教会の片隅で、弟子とその教会を批判するために、マルコはイエスの福音を書いたのですから、ただじゃ済まなかったと思います。しかし、そうせずにはおれなかったのでしょう。
【ぼくたちは】
マルコのような不器用な生き方がイエスを彷彿(ほうふつ・ありありと思い出す)させます。自己保身のために「知りまへん」と弁明したペトロのようにならないで、イエスやマルコやパウロのように、ぼくたちは不器用に生きてよいのだと思います。本当に人を幸せにする情報は不器用な生き様の人によって継承されていくように思うからです。