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「具体的に救う」20210530

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「具体的に救う」20210530

聖書 マルコ福音書 六七節〜十三

 

 先週は五旬節(ペンテコステ)と呼ばれている日の出来事を紹介しました。

 ルカが書いた使徒言行録によりますと、この日に弟子たちは聖霊に満たされたから、急に元気になって「イエスこそがメシア(キリスト・救い主)」であった、と大勢のユダヤ教徒の前で告白したことになっております。この弟子たちというのは、イエスに魅了されて生活を共にしてきたにもかかわらず、イエスが捕らえられた時に、全員が逃亡したあの弟子たちです。

 マルコ福音書三十三節〜十九によれば、イエスは特別に十二名の弟子を選んだのだそうです。十二という数はイスラエル十二部族に由来しているでしょう。彼らを「遣わされし者」という意味で、特別に「使徒」と名付けた、と説明しています。しかし、この時点でイエスが彼らを「使徒」と名付けたとは考えらません。「使徒」という呼び名は、教会組織の中で「使徒職」が定義されるようになってから使われるようになったはずです。そうだとすれば、この箇所は、後の教会の加筆だと思います。十二人を「使徒」と呼ぶルカの呼称が、遡ってここに挿入されたのだと思います。

 ですから、ぼくは今日の説教のために、マルコ六章七節〜十三節を選びました。これこそが重要だと考えたからです。なぜならイエスが弟子十二人を近隣の町や村に「派遣」した時の様子が記されています。これこそ、弟子たちが「遣わされし者」になった物語だからです。

 イエスが弟子たちを派遣した意味を探ってみる必要があると感じました。

 

【ルカは護教学者】

 ルカは福音書の最後に復活したイエスが弟子たちを派遣した、と書いています。それによると「彼(メシア、キリスト)の名において罪の赦しに至る改心が、エルサレムから始まって、もろもろの国民に宣べ伝えられる。君たち(弟子たち)は、これらのことの証人になる。父の約束を私は遣わす。君たちは高きところからの力をまとうまで、都(エルサレム)に座していなさい(二十四章四十六節以下)」と書いております。この続きとして使徒言行録では、五旬節に、父の約束通り高きところからの力に満たされた弟子たちが、罪の赦しに至る改心を宣べ伝えた、と説明しています。このように伝えることによって、エルサレムから始まった宣教と教会組織と使徒職の成立を、復活後のイエスの最後の命令に起因させているのです。恐ろしいことです。

 しかし、実際に教会組織がある程度の形を整えるまでには、少なくとも数ヶ月、あるいは数年を要したはずです。ルカが使徒言行録に書いたような順調な滑り出しではなかったと思います。初代教会の初期の状況について使徒言行録から知ることは難しいでしょう。なぜならば、ルカは教会の護教学者のような立場で、五十年も前の記事をまとめているからです。

 

【真正と偽物】

 初代教会の初期の様子をうかがうためにはパウロの真正(しんせい)の手紙を見なければなりません。なぜなら、これらはほぼ五十年代に書かれており、新約聖書の中で成立年代が最も早い書物であるからです。

 ちなみに、いま「真正(しんせい)」という聞き慣れない言葉を使いました。本物であると言う意味です。ということは、パウロじゃない人が、パウロの名前を使って執筆した偽物のパウロの手紙も正典新約聖書の中にあるということです。

 第二パウロ書簡とか第三パウロ書簡とか呼ばれるものは、パウロの弟子たちが書いたものだと言われておりますが、内容的にずいぶん違うので、著者たちがパウロの弟子だとはぼくにはとても思えません。とにかく、偽書があることだけは覚えておいてください。

 ついでに、お伝えしておきますと、パウロの名前で書かれている手紙は、新約聖書の中に十三あるのですが、その内パウロの真正の手紙は、いわゆる第一テサロニケ、第一・第二コリント、ガラテヤ、フィリピ、フィレモン、ローマの七つだけです。

 このように、真正のパウロ書簡が初代教会の初期の様子を一番正確に伝えていると言える訳です。たとえそうであったとしても、イエスが十字架によって殺害されてから二十年も後に書かれたものですから、この間の教会の初期のことは、詳細には判らないので憶測する他ないというのが正直なところです。

 

福音書によってイエスの意図と異なる

 ルカは、教会の誕生から地方への拡大の様子をまとめたつもりだったとしても、ずいぶん時間が経っていますから。時事刻々と変わる状況を記録しているパウロの手紙とルカの記述に具体的な違いがあるのは当然のことです。

 教会誕生の背景にはイエスの生き様があるのは確かです。これに関しては、イエスの出来事から四十年以上も後に書かれた福音書を通してしか知り得ないわけですから、一筋縄ではいかない現実もしっかり抑えておいてください。

 さて、ぼくは、今日もマルコ福音書を取り上げました。それは、福音書というジャンル(様式)を初めに開拓したのがマルコだからです。

 マルコ福音書も、急に登場したのではありません。各地方やグループに伝え残されていた物語を、時系列を考慮しながらまとめたのがマルコ福音書の著者です。なぜそのような構想を練ったのかということにも興味を惹かれます。

 そこでまず考え得る重要なことは、マルコはいわゆる教会生活をしていたということです。

 マルコが書いた福音書の内容は、紀元三十年頃のごく限られた期間のイエスの活動です。三年間ほどだったという人もいますけれども、一年程度だったろうとぼくは考えております。いずれにせよ短期間の出来事です。

 福音書の中身は、マルコが伝えているエピソード以外に、マタイとルカに共通している物語とそれぞれが独自に載せている物語があります。それらをぜんぶ合わせたとしても、ごく短期間にイエスがなさったことです。そして、どんな物語であろうとも、福音書の著者たちは、それらを直接体験していません。このことも覚えておくべきことです。それぞれの福音書著者たちは、伝え聞いた物語や書き留められた断片を、独自の視点でまとめ上げただけです。

 それぞれの福音書とイエスの出来事の間には少なくとも四十年の空白がありますし、それぞれの著者には、特有の時代や団体や各個の教会の影響があるわけです。

 そういう複雑極まりない状態で書き残されたもの、途中で加筆されたり、削られたり、誤写されたりしたものを、読んでいるんだということも考慮しておく必要があります。ということは、言葉のひとつひとつに注意を払う必要があるとしても、細かなことにだけ目を奪われるのではなくて、大きな流れを汲みつつ、小さな違いに気づいていくことが必要だということです。

 

【エルサレム教会批判】

 マルコも教会で育てられた人です。背景に教会があるにもかかわらず。エルサレム教会や弟子たちに対して批判的です。

 マルコ福音書には、十二弟子が褒められる物語がありません。

 マタイ福音書ではペトロが褒められている箇所でもマルコでは褒められるどころか叱責されているように思えます。

 マルコだけは、復活したイエスは弟子たちに姿を現しません。と言うよりも、復活に弟子たちは無関係です。

 エルサレムに教会を誕生させ、エルサレムから教会の宣教は拡大して行ったと教えるルカに対して、マルコは教会がエルサレムで誕生したことを想像させません。むしろ、ガリラヤを目指すようにという伝言を弟子たちに残しているだけです。

 これらのことから、弟子たちがエルサレムから始めた教会の宣教活動に対して、マルコは、かなり批判的であることが判ります。

 おもだった弟子たちがエルサレムの教会にいたことは判っています。そして、そのエルサレム教会から来た人が、五十年頃のパウロの宣教活動を妨害したことも判っています。そういうことから推測すれば、マルコの教会もエルサレム教会から妨害されていたのかもしれません。

 そうだとすれば、マルコが弟子たちに批判的であったことも納得できます。

 

【イエスの救いは具体的】

 イエスが十二人の弟子を選んで「彼らに使徒という呼び名を与えた」というマルコ三章の記事には弟子たちの任務が具体的に示されていないので、唐突に感じます。ですから、マルコが重点を置いているのは、少し後の六章にある弟子十二人をイエスが近隣の町や村にお遣わしになった、という記事だと思います。なぜならここには具体的な任務が示されているからです。

 ここには、病人を癒し、悪霊を追い出すために、近隣の町や村に十二人を派遣したという具体的な指示が示されています。これは重要なことです。

 もろもろの国民に君達が証人になって宣べ伝えるように、とうながすルカのイエスや、あらゆる異邦人を弟子とし、彼らに父と子と聖霊の名によるバプテスマを授け、君たちに指示しておいたすべてのことを守るように教えよ、と命じるマタイのイエスも抽象的な命令をしたように伝えられております。

 しかし、十字架上で殺害されたイエスを、すべての人の罪の贖いであったと信じ、殺されたイエスが、特別な身体を手に入れて個人的に復活したと信じ告白してバプテスマを受け、教えを守り生活するように宣教せよなどという抽象的な命令をイエスが出したはずはない、とマルコは考えていたんでしょう。

 

【マルコのイエスの希望・・・ぼくたちは】

 マルコのイエスは、自分自身が弟子たちの前でやってみせたのと同じことをするようにと弟子たちを近隣の町や村に送り出しただけです。

 実際にイエスが弟子たちに望んだことは、このような具体的なことだった、とマルコは主張して、エルサレム教会の宣教を批判しているのだとぼくには思えます。

 エルサレム教会が組織として目指した野望は、この世に生きたイエスと関係ない、という教会組織と使徒制度に対する批判が、マルコが福音書を生み出した理由だと思います。マルコだけが正しくイエスの意図を汲んでいるとは言いません。しかし、弟子を中心にした教会の野望は簡単な救いを実現できなかったんじゃないでしょうか。

 教会が組織立てた教会教義を広め信じさせることをイエスは望んでいません。イエスが望んだことは、人の悩みに具体的に関わることだったはずだ、とマルコは弟子たちにも助言したかったのだと思います。たとえ小さな歩みであっても、実際の生活を助けることだったように思います。

 具体的な課題に関わるイエスの生き様に立ち返ることによってぼくたちの生き様も明るく開かれて行くのだと思います。

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