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「自分で判断しなさい」20230806
「自分で判断しなさい」20230806
聖書 ルカ福音書 十二章五十四節〜五十七節
近頃の天気予報は当たるようになってきましたけれども、気象庁がなかった頃は、自分の知識や感覚で予想していたにもかかわらず、命に関わることだったので、かなり正確だったようです。人間の感覚は馬鹿にできません。
イエスは、時を見分けることも命に関わることなのだから、しっかり観察して、自分で判断しなさいと教えました。世界の動きについて勝手な予報をする人が多いですけれども、今にも嵐が来そうな状態だとぼくは感じられます。
【七十八年前の人体実験】
丁度、七十八年前の八月六日に広島にウランを用いた原子爆弾リトルボーイが投下され、九日には長崎にプルトニュームを用いたファットマンが投下されました。これらは異なる組織で開発されたもので、それぞれの威力や影響を日本人で人体実験するために、日本が降伏する前に急いで実施されました。
一九四五年末までに、おおよそ広島で十四万人、長崎で七万4千人が人類始まって以来の大量殺戮兵器の犠牲になったのです。
日本人一般庶民を無差別に殺戮した核爆弾投下を指示したアメリカ大統領ハリー・トルーマンは戦争犯罪人です。敗戦国は常に謝罪と賠償責任を求められますが、戦勝国であれ敗戦国であれ、無差別大量殺戮兵器を使用したことは、戦争犯罪として問われるべきです。日本は戦争犯罪を攻められてばかり来ましたけれども、外国の戦争犯罪を、しっかりと丁寧に批判すべき責任もあるはずです。
ところが、岸田文雄総理は、G7で核廃絶を強調しました。世界の状況は核配備が進められているにもかかわらずです。核なき世界などできるはずもない現状の中で「日本は核装備をしません」と公表したに過ぎません。なぜここまで卑屈に見えるスピーチをするのでしょうか。核という大量殺戮兵器による戦争犯罪を犯したアメリカを非難してから核廃絶を唱えるべきでした。
それが対等な国同士の話し合いです。それほどの気概(きがい・困難を乗り越えようとする強い意志)を、日本国の代表はしっかり持つべきです。岸田文雄総理大臣のような気質の弱い人を代表にしておくのは日本国民の恥です。
【戦争犯罪を忘れるな】
核兵器による戦争犯罪を問うことなしに、敗戦後は戦勝国アメリカの核の傘の下で守ってもらえる、などと喜んでいた日本人は、あまりにも脳天気だったのです。
日本人が脳天気であることを良いことに、日本を属国にし続けるために、アメリカは日本に核を持たせないことにしてきたのです。
アメリカの核の傘の下にいなさい、と言われて、日本は軍備にお金を使わずに経済成長だけしていれば良いのだと考えて喜んで来た日本人は脳天気だったのです。アメリカ人が日本人よりお人好しなんてことはあり得ません。お金を吸い取るために日本に儲けさせていたに決まっているじゃありませんか。軍隊を出せないのだから金ぐらいは出せということです。
守ってもらっているのだから当然だと言わんばかりに一九七〇年代からは、いわゆる「思いやり予算」(在日米軍駐留経費負担)を日本が「自主的に(?)」負担しているということになっております。
同盟強靭化予算(どうめいきょうじんかよさん)は、在日米軍の駐留を円滑かつ安定的にするための施策ということです。
このように漢字がたくさん並んでいる文章も、最近のようにカタカナ語がたくさん入っている文章も判りにくいですね。
とにかく、要するに、日本は守ってもらうのだから、アメリカ軍を手厚くもてなすのは当然だという考えで、一応は互いに理解し合っていることになっております。
ふだんはあまり目立って取り扱われていませんが、そのための予算は年間二千億円以上なのです。日本は本当に「おもてなし」と「思いやり」の国なのであります。これだけで平和が保障されるのであれば安上がりですけれどもそんなはずありません。
【平和と言われると意見しにくい】
この時期になりますと、日本全国の教会や団体で平和集会が催されます。
戦争反対は全員の願いです。ただ、平和を願うからこそ、他国からの侵略を許さないだけの自制心のある統一のとれた軍事力を持つ必要があると思います。しかし、キリスト教会の団体などが主催する平和集会では、軍事力を持たない平和が主張されます。軍事力を持たないでよいのであれば持たないに越したことはありません。しかし、隣国が軍事大国である以上は、自衛の策を講じる必要があります。政治的にも経済的にも、インフラの面においても、攻め込まれる隙が多過ぎます。攻め込まれる余地のない国を作ることが急務です。外国の脅威は例えば電子戦においては、すでに被害を被(こおむ)っているのですから、これらに対してもっと真剣に対処すべきです。現実の危険を度外視して、あまりにも脳天気に平和を唱えている場合ではないのです。自衛するしかないのです。
すべての国の平和を護るために作られたのが国際連合だと教えられて来ましたけれども、第二次世界大戦後に組織された国連は、すべての国の平和のために組織されたものではなくて当時の戦勝国の連合なのです。
国連から見れば、今だに、日本は理不尽にも敵対国の縄目を解かれていないのです。
中国もロシアも国連が組織された当時とは国の組織が変わってしまっているのですから、常任理事国ではあり得ないのに今だに名を連ねているのも異常です。はっきり言って国連などはすでに崩壊しているのです。
ぼくは小学校で、世界の平和を護るために国際連合が組織されたと習いましたが、嘘でした。よく言っても、勘違いです。何から何まで、ごまかされて来たのです。
戦後に一気に伝えられたキリスト教も、一つ一つ検証すれば、いい加減な内容ばかりだったのです。ぼくたち庶民は、上から教えられたことを鵜呑みにしてはならないことをぼくはこの歳に近くなってようやく気付いて、反論することもできるようになりました。
【ぼくたちは】
反論するのは難しいのですが、すべてのことに疑問を持ちつつ学問する必要があることは確かです。そのよう基本的な学問を提供できる場は何と言っても教会です。なぜなら、キリスト教会が主と呼んでいるイエスは、ユダヤという強烈な宗教社会において、自分の感覚を大切にして、社会に一石を投じた人だからです。このようなイエスに気づくことはキリスト教会にとっても難しいのですけれども、こんな時代にあっても、なおも教会はイエスに目を注ぎ続けているのです。そうだとすれば、イエスの伝えた福音を見出す可能性が一番高いのは教会です。
教えられるがままに信じ込むのではなくて、天気でも社会の動きでも、自分の目で見て、自分の感覚で判断しなさい、というのがイエスの基本的な教えです。世の中、嘘で溢れかえっているからこそ、ぼくたちはイエスの福音に目を注ぐことにいたしましょう。