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「事実だけを認める」20221113

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「事実だけを認める」20221113

聖書 マルコ福音書 四十四十五

 

 十一月八日の夜時過ぎから月が欠けはじめまして、完全に地球の影に入ってしまう皆既月食になりました。今回は天王星がその月の裏に隠れて見えなくなるという現象が起きました、すなわち、太陽と地球と月と天皇が一直線上に並んだということで、このような状況になるのは四四二年後らしいです。だれも生きていませんから関係ありません。

 それにしても改めて夜空を見ますと、よくも月のようなものが夜空に浮いているなあと感心しました。自分たちも浮いているというか飛ばされているわけです。広い宇宙のほんの片隅での出来事ですけれども不思議です。むかしはその宇宙空間には何もないと思っていたんですがそうではなくていろんなものがあるらしいです。見えているものは全体の五パーセント程度だということです。ぼくたちは知らないことばかりの中でなぜか生きているのです。

 知らないことばかりですが、それでも悪霊なんてものは実在しません。人格的な悪霊なんて居るはずないとぼくは何度も言って来たのでありますが、人格的な悪霊があるのかなあ、という疑問の声が聞こえて来ましたので、もう一度はっきり言っておきます。人格的な悪霊なんて存在しません。神とサタンの対戦なんてものもあり得ません。

 悪霊とか悪魔と呼びたくなるような悪人がいることは確かです。誰にとっても、敵対する人物はお互いに悪霊憑きのようなものだと言いましたが、それはどこかに悪霊が存在するという意味ではありません。恐れを抱いている人の中に概念として存在させているだけです。

 宗教に凝り固まった人も、宗教間で争っている人もお互いに相手はまるで悪霊が憑いているのであろう思うほどひどいことをする、と感じているだけのことです。

 何かの概念、例えば宗教や主義に取り憑かれている人を、そのこだわりから解き放って心を開放したのがイエスだと思います。その時にイエスが用いたのは、本当のことを伝えるという方法でした。真実の情報(事実)をイエスはお教えになったのだと何度も言って来ました。

 先日、イエスが伝えた真実の情報って何か、という疑問を聞きました。何度も言っていることなんですが、まだまだ伝わっていないようなので確認しておきますと、イエスが教えた真実の情報は、あたりまえの考え方です。たとえば、実態をもった人格的な神も悪魔もいないという当たり前のこと、これが真実の情報です。

 完全に証明不可能なことを理屈を捏(こ)ねて宗教は証明しようとしますけれども、確かめようのないものですから、の心を混乱させて巻き込むために作られた嘘(うそ)や罠(わな)です。人々の心を操作するために嘘を教える人は多いのですからそのようないいげんな言葉に騙されないために生物の長い歴史の中で生き続けて来た本当に常識的な考え方を知っておくことが必要なのです。なりすまし詐欺に騙されないために必要なことと同じです。

 

差別用語を消してはならない

 いま読んでいただいた、みなさんお手持ちの新共同訳聖書では重い皮膚病を患っている人が登場します。この翻訳では、どのような病状なのかはまるで伝わってきません。しかし、口語訳聖書や岩波訳聖書はらい病人と伝えております。言葉の選び方で、伝わってくる響きが恐ろしいほど違うのです。

 近頃は差別用語を使わないという意図で言葉を選ことが多いようです。しかし当時は明確な差別があったのです。差別を表現するために使われていた言葉があったのです。その実態を知るためには、差別用語そのまま使わなければ状況把握ができない、とぼくは考えています。現在では重い皮膚病をアトピー性皮膚炎だと思った人もいるくらいです。当時の人々が、らい病の伝染性を恐れて、発病者を隔離し差別していたことを伝えなくては差別の実態が伝わって来ません。まるで差別がなかったかのように表現することこそ現代の差別である、とぼくは考えています。

 

律法主義が差別を生む

 今日の物語に登場しているのは、社会から隔絶させられていた「らい病であることを確認しておいてください。その上でのお話です。

 ひとりのらい病人がイエスの所にやって来ました。これだけで事件なんです。旧約聖書のレビ記十三章四十五節〜四十六節によれば、祭司によってらい病人だと認定され者は、自ら「汚(けが)れた者です」と言わなければならないことになっていますし、宿営の外で住まなければならないことになっているからです。

 差別撤廃と叫ぶ人々によって、最近の感染症になった人も差別されましたけれども、おさら治療方法が全くわからなかった時代ですから、数日間ではなくて死ぬまで隔離されるかもしれなかったのです。これがユダヤの法律で決められたことだったのです。

 そのように差別されていた「らい病人がイエスのに来たのです。イエスの周りには多くの人が居たはずですから、そんな場にらい病人が出てくること事態が律法違反の罪です。村の外に追い出されて殺されることを覚悟して、この男はイエスの前に出たので

 この男は「らい病を癒してください」などと素直に願い出ることもできませんでした。「あなたが望んでくだされば、清めていただけます」などと言ったので煮え切らない回りくどい言い方で、何を言いたいのか判りませんそれほど、この男は引け目を感じていたのでしょう

 

【イエスの反応】

 その有り様を見たイエスは「深く憐れんで」と訳されていますけれども、かわいそうに思ったなどという生やさしいことではありません。この箇所を岩波訳の佐藤研(さとう みがく)訳では「腸(はらわた)がちぎれる想いに駆(か)られ」と表現されているのです。この訳がぴったりだと思います。イエスはそれほどの苦しみを自分の身に感じたからこの男に手を差し伸べて触ってから「もちろんだ、清くされなさい」と言ったのでした。イエスはこの男に触れることによってらい病人と連帯し一体になって「清くされよ」と言ったのです。すると、らい病の男は清められました。らい病ではないとイエスが判断したのかも判りません。ただ男が社会復帰したことは事実でイエスは男に誰にも何も言う必要はない、と口止めした上で、体を祭司に見せて病気が癒やされたことを証明してもらい、決められた捧げ物をするように伝えました。そのようにして差別隔離されていたらい病人を社会復帰させたのです。

 

【ぼくたちは】

 被差別者と一体になったのもイエスの真実の情報の一つです。信じるも何も難しいことを考える必要はありません。愛する者のためにはみなさんも進んで受け入れなさいますでしょう。当たり前のことをイエスはなさっただけなのです。判らないことを判らないまま認めてはだめです。ただ事実を認めるだけでいいのです。

 真実の生き方は事実を認める生き方です。事実でないことを受け入れることは騙されることです。ぼくたちが騙(だま)されないために知っておかねばならないのは真実の情報です。

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