説教の題名を押して下さい
「脱 自虐史観」20230820
「脱 自虐史観」20230820
聖書 マルコ福音書 二章一節〜十二節
宗教に差別は付きものです。差別反対を唱える宗教者は多いですけれども、信じる者は救われ、信じない者は救われないと教えているのですから、これこそ究極的な差別です。イエスはそのような差別は間違っていると感じて、宗教を根っこから問い直した方です。当時のユダヤ社会では、病人や障害者は神から罰を与えられた罪人だと考えられていました。しかし、命令に従わない者を罪人に定める神がいるという教えを、イエスは根底から否定して、目の前に連れてこられた病人に「君の罪は赦される」と言い切ったのです。「人には罪を赦す権威がある」とさえ言い切っておられます。
このように、昔からの言い伝えを振り切って自分の考え方を表明したイエスこそ今日の主題にした「脱自虐史観」を実践した人です。
【開戦への道筋】
この一週間の夏休みの内に、撮り溜めてあったビデオを見ました。
戦後七十年に制作されたNHKの番組を見て、心の底から怒りを覚えました。それは、八月十四日に放送された「NHKスペシャル選日本人はなぜ戦争へと向かったのか4 リーダーたちの迷走」と題した番組です。
内容は、当時の日本の行方を決定することのできるリーダーたち、すなわち大本営政府連絡会議を組織していたリーダー達の、戦後の証言テープを元に、彼ら全員が膨大な国力の差があるアメリカを相手に戦争をすれば必ず負けることを知っていたことを語っていました。
アメリカと戦争したら勝ち目がないことを知っていながら、自分達の力関係や利権を守りたいという浅ましい欲望の中で、各組織の長たちは事実を表明しなかったのです。互いに責任を押し付けあい、決議を先送りしている間に、アメリカに経済封鎖という先制攻撃を受けた日本は、引くに引けない精神状態に追いやられて、開戦に突入してしまったということでした。
敗色が濃くなってからも、国民を鼓舞し、学徒動員までさせて、若者を戦場に送り出した東条英機の映像が残っています。敗戦間近になっても、なおも国民を戦場に送り込んだ首脳陣は、全員が戦争犯罪人です。よくもあのような真似ができたものだと、まことに腹が煮え繰り返る思いをいたしました。
日本のリーダーたちは、言うべきことを言わなかったのです。そのために日本人だけでも三百万人以上が犠牲になったのです。
不甲斐ない人間をリーダーにしておく国は滅亡するのです。しかも、戦後は国民もろとも戦勝国アメリカに飼い慣らされているのですから、現在は先の戦前よりも更に危機的な状況です。
【過ちは繰り返しませぬ】
前回の説教では、人種差別されていた日本人は核の人体実験に使われたのだと言いました。その被害を最初に受けた広島市のホームページから原爆死没者慰霊碑(公式名は広島平和都市記念碑)についての言葉を紹介します。
「昭和二十年八月六日、世界最初の原子爆弾によって壊滅した広島市を平和都市として再建することを念願して設立したもので、ここに眠る人々の霊を雨露から守りたいという気持ちから、埴輪(はにわ)の家型に設計されました。中央の石室には原爆死没者名簿が納められており、石棺の正面には、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれています。この碑文は、すべての人びとが原爆犠牲者の冥福を祈り、戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う言葉であり、過去の悲しみに耐え、憎しみを乗り越えて、全人類の共存と繁栄を願い、真の世界平和の実現を祈念する『ヒロシマの心』が刻まれているものです」とあります。
この碑文には間違った言葉は書かれていません。我々は、愚かな殺し合いの戦争が繰り返されないようにします、という自分の決意は大切です。しかし、再び広島に原爆が落とされるような悪いことはもうしません、という意味にも採れます。もう、あのような過ち(戦争行為)は繰り返しません、という自己反省ではなくて、全人類への呼びかけであるはずです。そうであるにもかかわらず、原爆を落とされてもしょうがないほどの戦争を始めた日本が悪かったのだ、という考え方が滲(にじ)み出ているように感じるのは、ぼくだけではないはずです。
今ぼくは思います。「間違いは繰り返しません」という言葉の意味は悲惨な戦争を起こしません、という意味だけではなくて、「もう二度と原爆を落とさせません」という積極的な意味付けが必要だと思います。
確かに人格的資格のない日本の首脳陣たちの暴走を止められなかった国民にも責任はあるでしょう。しかし、負け戦であることを隠されたままで戦地に送り出された兵隊や、原爆の人体実験に使われなきゃならないほどの責任と罪が日本国民にはないはずです。あれほどの仕返しをされても当然だと言うのは、戦勝国の身勝手な、あまりにもひどい言いがかりです。
【アメリカのリーダーも戦争犯罪人】
世界覇権を望んだアメリカのリーダーたちは、長期計画によって、生地無しの日本の首脳陣を脅したり煽ったりしながら、日米開戦へと扇動したのが事実でしょう。
勝つにせよ負けるにせよ、多くの人命が失われるのです。それを承知の上で戦争に踏み込んだという意味では、どちらの国のリーダーも戦争犯罪人です。
アメリカは必ず勝つという計算の上で、日本と戦争したのです。「窮鼠猫を噛む」ということを知っていて、その上を行って、ネズミを誘い出して食ってやるつもりで戦争したに違いありません。日本の暗号がすでに解読されていましたから、先制攻撃があることも理解していたはずです。それにもかかわらず、自国の若者が死ぬことを承知の上で、日本軍が先制攻撃するのを待っていたなんて、人間として許されることではありません。
戦争の目標は勝利です。勝てば官軍、負ければ賊軍になるのです。だから勝つためになら何でもしたのです。戦争の大義は勝者が後から付けたのです。
【WGIP】
アメリカは、日本を敗戦に追い込んだ後に、日本占領を確かなものにし、それを末長く続けるために、War guilt information program(ウオー・ギルト・インフォメーション・プログラム)戦争犯罪情報宣伝計画を実施しました。これは、日本人に自虐史観を埋め込むための洗脳計画で、戦争が始まってすぐに練られました。
日本の軍部が悪かったのだと教え、言論統制し、自主防衛もできない民主憲法に変え、教育制度も教科書も変えられました。
問題なのは、GHQにより直接統制されていた期間は三年間ほどだったのですが、それを過ぎた後は、日本人自らが自己統制するようになっていたことです。三年以上直接統制する必要がないほどにGHQが負わせた頸木(くびき)は、日本人をしっかり締め付けていたのです。
これらの計画により、昔から日本人が育て上げてきた文化は否定され、善なるアメリカが教え込まれたのです。
しかも、手回しのいいことに、占領国アメリカは、かつては敵であった日本を守ってくれるとまで信じ込ませることに成功し、独自の軍隊を持つことなど考えもしない日本人を作り出すことに成功したのです。アメリカの傘下から逃げ出そう、などと思いもしないほど、日本人は、しっかりアメリカの奴隷になったのです。
事実から目を逸らされた日本国民は真実に対して無知になり、自らを育んできた日本の歴史や文化から断絶され、劣等感に苛(さいな)まれ、自尊心を失くしてしまったのです。このように日本人は自虐史観(じぎゃくしかん)に囚われたのです。自虐史観に囚われた現在の日本人は、平和ボケ、漫画ボケ、飽食ボケ、携帯ボケになって、アメリカに守ってもらわなければ生きていけないという思い込みから、アメリカが望む貢物(みつぎもの)を贈り続ける国民になっているのです。
今や日本は、まるで、貯めた金をおれおれ詐欺で騙し取られるお人好しの老人のようです。
LGBTなど唱えている場合じゃありません。ぼくら日本人は戦争を始めた下等な悪の敗戦国と決めつけられ、馬鹿にされ、差別されつづけているのです。戦後すぐに教え込まれた自虐史観によって差別を跳ね除ける気力も失くしているのです。
【脱自虐史観】
いつまでも罪人だと言われ続けている理由などありません。自虐史観に囚われて生きるのはもうやめましょう。周りからいじめられようとも、人間としての気概(きがい)と自尊心を持って、自立して生きることにしましょう。
まるでモーセ律法を神から与えられた民族でもあるかのように、上から与えられた憲法に縛られたまま、自ら進んで自分達が罪人だと認める必要はありません。
ぼくが言いたいのは、人間の尊厳を取り戻そうということです。時代が作った憲法も、時代に合わせて変える必要があるということです。
自分の国の憲法は自分で作るべきです。そうすれば独立した国になれるはずです。
国を守るために軍隊も作りましょう。混同しないでください。国防のために軍隊を持つことは軍国主義になることとは全く違います。
アメリカが作った憲法の下で、アメリカの属国として生きることをやめましょう。
アメリカの奴隷の鎖を、ぼくたちは自分で切りましょう。アメリカが嫌がっても自分で外せるだけの力はあるはずです。たとえ不安でも自尊心を奮(ふる)い立たせましょう。
【ぼくたちは】
病気ゆえに罪人と断定されて、自分では何もできないと思い込んでいた人に、「床(とこ)を畳んで、自分の足で家に帰れ」とイエスは言いました。罪人だと決められて寝込んでいるのをやめなさい、とイエスは言ったのです。
君が罪人だと誰が言ったのか。そんな罪は赦される、罪なんかぼくが赦してやる、人間には他人(ひと)を赦す権限があるのだ、とイエスは言ったのです。これ以上の言葉なんか必要ありません。神の裁きも赦しも、誰にも判りません。神の言葉に保証はありません。人は人に赦されればそれで十分です。それ以上のことは必要ありません。世の中、勝者が作った嘘で溢れ返っているのです。ぼくたちには、神による断罪も赦しも必要ありません。他人の判断に身をまかぜずに、何事も恐れずに、自分で決断すればいいのです。それを赦してくれる人がいればそれで十分なのです。
自立する人間には尊厳が生まれます。尊厳のある人を馬鹿にできる人などいません。
他人に言われるがままに寝そべっていてはだめです。「自分の足で立って、自分の家に帰れ、とイエスが言った言葉は、まさにぼくたちへの励ましの言葉でもあるとぼくは受け取りました。皆さんも、自分で考えてみてください。