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「傘がない」20230723
「傘がない」20230723
聖書 マルコ福音書 十三章一節、二節、十四節
終戦記念日が近づきました。ぼくたちはいつまで騙されているんでしょうか。心配です。今日は、災いから守ってくれるアメリカの傘も神の傘も無い、という話をします。
【日本の現状】
一九四五年八月十五日の玉音放送(ぎょくおんほうそう・戦争の終結について昭和天皇の声がラジオを通して流されたこと)以降、七十八年間、日本はアメリカの占領下にあります。
日米は安全保障条約(一九五二年)を結びました。日本が侵略されないようにアメリカ軍が守ってくれるのだと日本人は信じてきました。だから、沖縄を初め日本の各地に米軍基地があっても不思議に思いませんでした。確かに極東最大の米軍基地があるおかげで、沖縄本土に中国がちょっかいかけてこないのは事実です。しかし離島を乗っ取ろうとしています。これに対処すべきは日本海軍であるはずですが、憲法九条を理由にして日本政府は尻込みしています。有事になればアメリカ軍が助けてくれると思っているようです。しかし、力が弱くなったことを理由にして世界の警察を降りたアメリカに中国を押し留める力はありません。アメリカ軍に直接の被害が及ばなければ、日本の小島を取られてもアメリカは手出ししません。
膨大な武器弾薬や資金をウクライナに送ってしまったアメリカに日本を守る余力はありません。日本が将来、中国、ロシア、北朝鮮から核の恫喝(どうかつ)を受けたとしても、アメリカは日本を守りません。日本がたとえ核ミサイル攻撃を受けても、アメリカが日本のためにカウンター攻撃するわけありません。なぜなら、日本を守るために自国が核攻撃される危険を犯すことなどあり得ないからです。常識的に考えれば判ります。ここから判ることは、日本はアメリカの核の傘で守られているという考え方は嘘、迷信だということです。核の傘で守ってやるというのは、日本を属国にしておくためにアメリカが作った御伽話です。早く独立しなければ、アメリカと共に潰されてしまいます。日本は自立しなければなりません。自立しましょう。
【イエスの時代】
さて、現代の日本がアメリカの属国であるように、イエスが生活していた当時のユダヤは、ローマ帝国の属国でした。
イエスは殺害される一週間ほど前に、仲間を連れて、今は無きエルサレム神殿を訪れています。後に弟子と呼ばれるようになった仲間たちは、その建物の荘厳さに圧倒されました。
過越の祭りのために巡礼者がたくさん集まった神殿の中庭で、イエスは自分の考えを宣伝し始めたのです、そこにいた律法の専門家たちと議論になったことは容易に想像できます。
その後、イエスが神殿の境内を出ようとしていた時に、仲間の一人が「先生、ご覧ください。なんと立派な石ですね。なんとすばらしい建物なんでしょう」と感嘆の声をあげたのです。
するとイエスは「これらの大きい建物を見て感激しているが、この石の一つも他の石の上に重なって残ることはない。(つまりバラバラに壊される時がくる)」と言ったんです。ぼくもけっこう不吉なことを言いますけれども、イエスも不吉なことを平気で言う人でした。
神殿を出て小さな谷を挟んだ反対側にオリーブ山と呼ばれる小さな丘がありまして、そこがイエスのお気に入りだったようです。
オリーブ山に座って神殿を眺めていたイエスに、ペトロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレという四人の仲間が近寄って、「教えてください。そんなことはいつおこるんですか。どんな前兆があるんですか」と、不安げに尋ねました。
そこでイエスは、まるで世の終わりを告げる黙示録のような内容を話し出したというのです。すなわち「人を惑わす者や、偽(にせ)イエスが現れる、とか戦争、地震、飢饉が起こるが、それはまだまだ始まりにすぎない。君たちは自分のことに注意しなさい。君たちは地方法院に引いて行かれ、総督や支配者の前で弁明させられる。そのようにして、福音が伝えられるんだから、最後まで耐え忍べば救われる」というようなことを話して聞かせたのだそうです。
このような内容は、後の教会が経験した迫害の様子そのものです。ですから、イエスが語った言葉ではなくて教会の言葉だと思います。
マルコ福音書が書かれた頃には、この神殿はすでに破壊されていました。一つの石が他の石の上に乗っかっていない現実を見たマルコが福音書を書いたのです。
エルサレム神殿を失い、迫害を受けて、苦難の只中に置かれていた教会が、イエスの口に乗せて伝えることができたのは、ただ一つ「とにかく最後まで耐え抜け」という言葉だったのでしょう。しかしこれは民衆を静かにさせておくための言い回しに過ぎません。
これに続く十四節に興味深い表現があります。「憎むべき破壊者が、立ってはならない所に立つのを見たなら・・・読者よ悟れ・・・とにかく逃げなさい・・・」「多くの苦難の後・・・栄光を帯びた人の子が雲に乗って現れ、・・・自分が選んだ人々を、天使によって、四方から集める。」「苦難が起きたなら、人の子は戸口まで近づいていると悟れ。・・・天地は滅びても、わたしの言葉は滅びない」とイエスは力強く語ったことになっております。しかしこの時点で、イエスがこんなことを言うわけありません。ここには、後の教会が経験した苦難の事実と、最後には救われるに違いないという希望が述べられているに過ぎないと思います。
紀元七十年にエルサレム神殿がローマ軍によって破壊された現実を受けて「読者よ悟れ」という言葉が書き込まれているのです。
神殿の崩壊をイエスは予感していたでしょうが、世の終末を預言したとは思えませんから、記述の多くは後の教会の宣教内容でしょう。
七十年以降のユダヤ人は国を失くした民として世界中に散らされました。これらのことは決して忘れられない出来事として民族に記憶されているはずです。国土を失くしたユダヤ人は、強大な他国を陰で操る民族になったのでしょう。
【ぼくたちは】
日本はサンフランシスコ講和条約によって一九五二年に主権が回復したかのように思わされてきましたけれども、事実はアメリカの属国にされ続けてきました。敗戦直後にマッカーサーの指導の下で作られた(そのこと自体が国際法違反であるにもかかわらず)憲法の一言一句さえ変えられない日本人はそのうちに隣国に国土も奪われそうです。忘れないでください。その時にアメリカの核の傘はありません。
世界の終末には救い主が天から現れて、自分が選んだ者だけを救ってくださる、という終末思想は現実的じゃありません。
終わりまで耐え忍んでも、天からの救い、すなわち、神の傘もアメリカの傘もありません。ですから、神殿で律法の専門家たちに対峙したイエスが、ただ耐え忍べと言うわけありません。
個人も民族も、隣人のために生きることを望みつつ自立することをイエスは求めています。目覚めて準備しておきなさいとイエスが語っているように、迷信から目覚めて、それぞれが自立して備えなさい、とイエスは語ったのです。実在しない傘など当てにしないで、自立しましょう。