説教の題名を押して下さい

「土台がズレています」20220515

D6728DC0-7C85-4844-8073-AF6E12F92832.jpeg

「土台がズレています」20220515

先週は、概念の神を捨てなさい、と話しました。捨てなきゃならない理由は、確かめることができない神は概念の中だけにしか存在できない神であり人間が想像した神、つまり、本物じゃないからです。

 世界のどんな民族もや、それに準じる信仰の対象を持っています。民族によって想い浮かべる神のイメージが全然異なるのは、神とは人間が作り出した概念だからです。

 日本古来の宗教の教えによれば、太陽や月や山だけでなく、草木や全ての自然の背後に神を感じます。ユダヤ教が教える天地万物の創造者なる唯一の神のイメージとはぜんぜん異なっています。ですから宗教が異なれば、一緒に祈ることさえままならないのが現実です。多神教の日本で、一神教のキリスト教を伝える事が難しいのも納得できます

 源流を辿れば同じ神に行き着くはずのユダヤ教とキリスト教であってさえお互いが持つ神のイメージを受け入れられずに敵対するのが現状です。すなわち、それぞれが持っている異なる神のイメージが紛争の種になっているのです。人間に確認しようがない神をそれぞれが持ち出せばどこまでも平行線を辿るほかありません。人間の問題は神を持ち出さずに、あくまでも人間の問題として取り組めば、解決の見通しはずです。ですから、確定することできない「概念の神」のイメージを捨てなさい、とぼくはお勧めしているのです。

 もちろん人間の関わり方だけを話し合っても、全体主義が良いという人も民主主義や個人主義が良いという人もいて千差万別です。しかし、得体(えたい・正体)の知れない神を議論から外すことによって、見える人間同士の話し合いが可能になれば、いつか解決の道が開かれることが期待できます。独裁者人間でから、間違いを証明して独裁をやめさせることができるようになるはずです。

 

【ユダヤ教の神のイメージを壊した】

 何度も言いますように、イエスもイスラエルあり、ユダヤ教徒でした。幼少期から教えられたユダヤ教の神を信じて熱心に仕えようとしていたようですしかし、律法学者やファリサイ人たちが教えた律法に従って生きていたのでは、救われるどころか、心の重荷が増していくばかりであることを自覚したイエスは、ユダヤ教の教えが嘘であることに気づいたのでしょう。教えに従う生き方をきっぱりとやめました。当然、ユダヤ教から学んだ概念の神のイメージもきっぱりと捨てたはずです。ユダヤ教の神によ罪人と認定された人々に、イエスは救いを宣言することができたのはこのような背景があったからで

 

【弟子たちはイエスを理解していなかった】

 ユダヤ教の指導者たちが持っている概念の神のイメージをイエスは捨てただけですから、きな犯罪を犯したわけではないのですが、ユダヤの社会構造を壊すことになったのでユダヤ社会から抹殺されましたイエスが殺されたこのような理由をしっかり理解しておくことは非常に大切です。しかし、イエスの間近にいた弟子たちは、イエスが考えた事やなさった事の意味を理解していなかったようです。

 イエスはユダヤの官憲に捕らえられて、ユダヤとローマの形だけの裁判にかけられて罪人認定され、十字架に掛けられて殺されました。この現実を間近で見ていたはずの弟子たちは、誰も捕まっておりません。なぜなら、イエスを捕らえた権力を恐れて逃げてしまったからです。権力横暴から民衆を救うためにイエスが語った福音を弟子たちが理解していなかった証拠です。

 ルカ福音書によれば、イエスの十字架事件の後、エルサレムに残っていた弟子たちによって最初の教会がエルサレムに誕生したことになっております。教会というのは、権力に負けて、イエスを見捨てて逃げ出した弟子たちが中心になって作ったことになっているのは驚きですイエスを見捨てた弟子たちが、イエスが伝えた福音を土台にし教会という新しい組織を生み出した、なんて信じられません。弟子たちにグループを組織化する能力があったと思えません。弟子以外の誰かが、教会組織の誕生に深く関与したに違いない、と考えられます。

 

【教会を組織した人】

 現在の教会の組織ユダヤ教の組織と似ていますし、教えや宗教的な生活習慣ユダヤ教に似ていることから、教会組織化の中心を担ったのはユダヤ教の強い影響下にあった人だと想像できます。イエスの弟子たちもユダヤ教の強い影響の下にあったのは確かですが能力不足です

 さて初代エルサレム教会には「ヤコブとケファとヨハネ」が「柱と目される主だった人々」(ガラテヤ二章九節)であった記録されております。さらに、「ケファは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、異邦人と一緒に食事していたのに、彼らがやって来ると、割礼を受けている者たちを恐れてしり込みし、身を引こうとした・・・」(ガラテヤ二章十二節)という記録からも、イエスの兄弟ヤコブがエルサレム教会においてペトロを凌(しの)ぐ重要人物になっていことが判ります。このようなことから、イエスの弟ヤコブが教会の組織化を指導した中心人物であっただろうと想像できます。

 しかし、イエスの弟ヤコブは、弟子ではありませんでした。それどころか福音宣教を始めたエスを取り押さえにきた身内の者たち(三章二十一節)の中心人物であったはずです。

 イエスの弟ヤコブや母マリア教会で重要視されるようになっのは、イエスと血が繋がっているということだけでしょう。

 イエス殺害されてから二十年ほど後に活躍したパウロの手紙によれば、エルサレム教会の中に割礼を受けなければならないと強調するグループがあったことは確かで、このグループを代表する人物が主の兄弟ヤコブだったのです。これらのことを総合すると、ヤコブイエスの福音を受け継いでいなかったことは確かです。

 ユダヤ教徒たちにも義人と称されていたほどのヤコブはユダヤ教影響から逃れきれていなかった人物だったと思われます。つまり、ユダヤ教の信条に対立したイエスに対して、ヤコブはユダヤ教の強い影響下にあり続けた人です。このようなヤコブの下で教会組織されたのだとすれば、今に続いている教会の土台が怪(あや)しいのではないでしょうか。

 明確にイエスが対立なさったユダヤ教の概念の神や神学を、現在の教会の神学が、受け継いでしまっているのだと思います。つまり、イエスの福音に反する考え方が教会の土台になっているとぼくには思えるのです。

 

【ぼくたちは】

 こんなことでは、すなわち、主の兄弟ヤコブが組織化したユダヤ教的な教会の教えを土台に据えた教会を通して救われる(罪人の自覚から解放される)ことはあり得ません。みな心の重荷を増すだけです。

 ぼくたちが土台にえるべきなのは、ユダヤ教の神のイメージを捨て人をいわれなき罪意識から解放したイエスが伝えた福音です。今のぼくたちは、イエスの福音を土台にして、ぼくらの生き様を建て直しつつあるところなのです。

1
Today's Schedule
2024.05.03 Friday