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「履歴書で人柄は判りません」20220703
「履歴書で人柄は判りません」20220703
聖書 第一コリント 十五章 一節〜五節
【福音書は面白い】
役に立たない病人だということで差別され、社会から引き離されていた人に、条件を付けずに「あなたの罪は赦される」(マルコ二章五節)と言い切ったイエスの物語を読むと、イエスが伝えたかったことが具体的に判りますし、自分との関連も想像できます。ですから、福音書は聖書の手紙類よりも楽しく読むことができます。直接に知らない誰かに当てて書かれた昔の手紙を読むこととは遥かに違います。
とは言いますものの、福音書はイエスの死後随分経ってから書かれたのです。イエスの物語を書いた福音書を持っていなかった初代教会の人々は、教会でどのような説教を聴いていたのでしょうか。ちょっと気になります。
【新約聖書が書かれた順序】
時系列では、まずイエスの生涯があって、イエスは殺されたけれども復活させられたということから、イエスをキリストであると告白する教会が誕生しました。それから教会に当てた手紙類が書かれた、というのが出来事の流れです。
これを示すために、新約聖書が編集された時に、最初にイエスの物語を記録している福音書が置かれ、次に教会の誕生と発展を伝える使徒言行録が置かれ、続いて教会に宛てた手紙を置き、最後に世の終末を予言する黙示録が置かれたのでしょう。しかし、実際に書かれた順序は、まったく異なります。ぼく自身もそんなことにまったく興味がなかったので、考えたこともありませんでしたが、実際の著作の順序は、パウロの手紙(真正の手紙七つ)が一番早いのだと教えられた時に驚いたことを今でも覚えています。
新約聖書中で著作年代が最も早いのはパウロの手紙類で、紀元五十年前後に書かれたものです。これに比べて、イエスの行状を記録した福音書は、早いものでも、パウロが教会宛の手紙を書いた頃より二十年も後、遅いものは五十年も後に、教会の中で書かれたのだろうと聴いて、さらにびっくりしました。
教会の中で書かれたと言いましたが、そうだとすれば、著者は、所属している教会の都合が良いように書いたであろうと想像できます。これも驚きです。
イエスの行状を描いた福音書の内で執筆年代が最も早いのはマルコによる福音書だと言われております。そんなマルコ福音書でも、パウロの手紙より後に書かれたことは確かです。マルコ福音書は七十年代に書かれたと考えている学者が多いのですが、それはマルコ福音書の記事の一つがその根拠と考えられているようです。紹介しますと、イエスの後を追って荒野に出て来た人々が男だけでも五千人以上いて、その飢えた人々にイエスがパンを分け与えたという記事があります。この状態がローマ軍によってエルサレム神殿が破壊された後に荒野を彷徨(さまよ)うユダヤ人たちの様子を反映していると捉えるのです。マルコが紀元七十年のエルサレム神殿崩壊を知っているのだとすれば、七十年以降の著作だということになります。これと関連がなければ、もっと早い時期に、たとえば五十年代に書かれた可能性もあります。いずれにしても、パウロの手紙よりは後であったと思います。というのは、文書の系列としては全く異なるものの、パウロとマルコには共通する神学を感じますから、マルコはパウロの近くにいて、強く影響された人であったと思えるからです。
ただし、パウロの宣教の姿勢にマルコは同調できなくなったんでしょう。このような背景があるので、キリスト教の教えを信じなければ救われないという教会の福音宣教とは全く異なる福音を伝えるために、手紙とは全くジャンルの異なる福音書を書いたのだろうと思います。
【教会の福音はパウロよりも前に有った】
パウロが回心したのが四十年前後だとしてもそれより前に教会がすでにあって、信者が信じるべき福音として、教会が短く纏めた言葉があったのです。その証拠に、パウロが五十四年ごろに書いたコリント人への第一の手紙十五章には、パウロ自身が伝えられた(三節)福音が紹介されており、これを、信じていれば救われる(二節)と書かれています。
先週は新約聖書の手紙類には、イエスの生き様が語られていないので読んでいて味気なくて興味が湧かないと言いました。同じように、パウロが回心する前にすでに教会が纏めていた福音の言葉は、誰もが覚えられる程度に短く纏められているのですが、イエスの生(なま)の物語がない故に興味を引きません。
パウロ自身も伝えられた福音と呼ばれている言葉は「キリストは聖書に従ってわたしたちの罪のために死んで、埋葬された。そして聖書に従って三日目に起こされている。そしてケファに現れ・・・」と続いています。
これを福音と呼び、これを信じていれば救われるというのですが、ここにはイエスの名前さえ出て来ません。キリストしか出て来ていないのです。だからここで福音と呼ばれている言葉が意味しているのは教会の福音であることは明白です。そしてこれはとても短い条文なのです。大切な内容を綺麗にまとめた文章だとしても、物語がない条文でしかないのです。
【条文はまるで履歴書】
この条文のように、これこそが真理である、と教会が公に教えている内容を教会の教義というのですが、この教会教義というのが今日紹介した第一コリント十五章一節〜五節に書かれているのです。パウロの手紙が新約聖書中の最古の資料であるのですから、ここに残された教会教義は初代教会の教えを示す第一次資料です。
この教会教義資料に残されている言葉を読んでいる時に、ぼくは「履歴書」という言葉を思い浮かべました。キリスト教が「福音」と呼んでいる教会教義はまるで「キリストの履歴書」のようだと感じたのです。
キリストは、一、死んだ。二、葬られた。三、三日目に起こされている。四、ケファ(ペトロ)に現れ、次いで十二人に(現れた)。最も大事なこととしてパウロが伝えられ、コリント教会の人々にパウロが伝えた教会の福音の中心は、このように短い「キリストの履歴書」だけなのです。これでは、心が動かされません。「キリストは・・・」と書かれているように、殺されるまで地上で生活していた人間イエスの生き様がまったく書かれていないのです。短すぎて履歴書とも呼べないほどの言葉を信じる(自分のものとして受け止める)だけで救われます、と言われても腑に落ちません。
【ぼくたちは】
教会が伝えた短い福音の言葉ではイエスが伝えた福音を何も感じることができないと悟ったマルコは、イエスの生き様の全体が福音であることを示す文書を書いたのだと思います。「これがイエスの福音です」という言葉で、マルコが人間イエスの生き様を残してくれたから、今だにぼくは教会でイエスを伝えておれるのです。
教会の教義を信じれば救われるのではなくて、人間イエスの声かけが、自分のものだと気づくだけで救われる、とぼくは思います。あなたを救う言葉をイエスが語りかけているように、あなたのすぐそばで、あなたを救う言葉を語りかけてくれる人にも気づけば、救いが現実のものになるはずです。