説教の題名を押して下さい
「事実は神話より奇なり」20231029
「事実は神話より奇なり」20231029
聖書では、最初の人アダムの長男カインが嫉妬の故に弟アベルを殺した場面に初めて「罪」(創世記四章七節)が登場します。神話の神様が大切に育てた「善悪を知る木」を食べた事件が「罪」と呼ばれていない事は注目すべき事実です。
神の命令に背いたためにエデンの園を追い出されたアダムとエバは、痩(や)せた土地に住むしかありませんでした。それはまるで「あなたが土地を耕しても、土地はあなたがたのために実を結ばない。あなたは地上の放浪者となる。(創世記四章十二節)」と神が言った言葉が成就したかのようです。しかし、勘違いしてはいけません。神の言葉が成就したのではなくて、過酷な現実が先にあったのです。なぜこれほどにまで過酷なのだろうという疑問に答えるために、神に従わなかったからであると説明する神話が生まれたのです。こんな神話を作るから、神は従わなければならない恐ろしい存在であるという恐怖心が刷り込まれたのです。宗教家は神話を通して恐怖心を庶民に植え込み、恐怖を利用して庶民を操ることに成功したのです。神の言葉が成就して現実になるのだと宗教家は言いますけれども、それは逆です。先に事実があって、それを説明するために神の言葉が後付けされただけです。常識的に考えれば判ります。人を呪う神の言葉を聞ける人はいませんから、神が仰(おっしゃ)った言葉というのは、神話を書いた著者(人間)の言葉に過ぎません。
【えこひいきする神】
実り豊かなエデンの園を追われたアダムとエバには息子が二人生まれました。希望通りに実らない土地でも、働けば、それなりに、幸せな家庭を築くことができるという現実が反映されているように感じられます。しかし、せっかく成長して、それぞれ一人前に仕事ができるようになった息子たちの関係に事件が起こりました。ここにも神話の著者は神を関係させています。兄と弟の捧げ物を見た神が弟を依怙贔屓(えこひいき)したことになっております。神話の著者が想像している神は依怙贔屓する神なのです。
長男カインは、次男アベルに嫉妬(しっと)したことが原因で弟を殺します。嫉妬は殺人につながるというのも現実的です。
兄カインは神から評価されたいと願っていたんですが、神は弟の捧げ物だけに見惚(みと)れたんです。神が依怙贔屓するなんておかしいと多くの日本人は感じますけれども、神話の著者たちの想像する神は依怙贔屓するんです。過酷な現実に遭遇した著者たちは、そう考えることしかできなかったのでしょう。たとえそうだとしても、神が創造者であり主(支配者)だとすれば、がまんするしかしょうがないと著者たちも思っていたのでしょう。このようにして、神と人は初めから主従関係なのだと読者たちは教え込まれます。そういう立場の違いを教え込んでおいてから神の言葉を告げるものですから、読者は神の言葉が成就するという筋書きの中に引き込まれるのです。しかし、思い出してください。神の言葉というのは神が語った言葉ではなくて著者の言葉です。漫画の主人公が語る言葉を風船のような「吹き出し」に入れるように、神の言葉が「吹き出し」に書き込まれているようなものです。すなわち、神話を書いた作者の思いが神の言葉として吹き出しの中に書き込まれているのです。人間が神話の神に語らせているということです。神話を創った人の考え方が書き込まれているのだという立ち位置から足を踏み外さないで読み進める必要があるのです。
【意地悪な神話の神】
さて、そういう注意を怠(おこた)らずに神話の神が語った難解な言葉を見ましょう。
主(支配者である神)は、弟アベルに激しく嫉妬した兄カインに対して「どうして怒るのか、どうして顔を伏せるのか。お前が正しいならば顔を上げられるはずだろう。正しくないなら、『罪』がお前を狙って、戸口で待ち伏せている。お前はそれを支配しなければならない。」と言います。
「支配しなければならない」という言葉を「お前は罪を自分のものにするしかないようだな」という意味に考えるか、「お前を狙っている罪に捕らわれないように、お前の怒りを胸の内に治めなきゃならんぞ」という意味に考えるか。昔は説教で後者の考え方を示しましたけれども、今では、神話の神はそれほど優しくないと感じます。
結果的にカインは弟アベルを殺します。これが物語の筋です。神はカインを止めませんし弟アベルを守りません。兄が弟を殺すというのが話の筋書きなのです。兄弟殺しの事件が終わってから、事件の顛末(てんまつ)を知っている主がカインに「お前の弟はどこにいる」と問いかけます。どうしようもなく意地悪な神です。そして「お前は弟の血を吸ったこの土地から呪われたから地上のさすらい人になる」と言われたカインは故郷を追放されるのです。その時に、「わたしがさすらっていれば、わたしを見つけた誰もがわたしを殺すに違いありません」とカインは主に泣きつきます。そこで主は「お前を殺す者には、わたしが七倍の復讐をしてやる。それを示す印を付けてやろう」と言って、額(ひたい)に焼印でも押したんでしょうね。知りませんけど。
しかし、おかしいですね。地上最初の人アダムの長男が故郷を追われて放浪したら死ぬまで一人だったんだろうと思ったらそうではなくて、他に人がいるようです。どこからきたんでしょうね。話の筋が通りません。「筋なんか通らなくてもいいじゃないか」というのが神話の面白いところです。
事件の後に、アダムにはもう一人の息子セトが生まれて、アダムの系図を受け継ぎ、その子孫に方舟で有名なノアがいます。洪水ではノア一家だけが生き残り、その他全員滅んでしまうんですから、今につながる一族だけが残ればいいという態度です。筋が通らないことも全部チャラです。
【ぼくたちは】
神話の著者が伝えたいことは、ノアの息子セム、ハム、ヤフェトの内、セムが後継になったのは神の計らいであったという理屈だけです。セムの子孫からアブラハム、イサク、後にイスラエルと改名したヤコブが出ており、今のイスラエルにつながるのだと主張しているのです。
現在の戦争の火種になっているイスラエルを神と結びつけているのがこの神話です。しかし、神話は民族ごとにあり、神話の神の言葉はそれぞれの著者たちの言葉です。すべての民族がそれぞれが教えられてきた神話の神の呪いの言葉を振り払う必要があります。ぼくたち人間は、神話の神の言葉に立つのではなくて、子どもの命を大切にする母親の現実に立って、隣人との生き方や付き合い方を根本的に考え直すべき時に来ています。