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「ぼくたちの主の晩餐」20200202
「ぼくたちの主の晩餐」2020年2月2日
聖書 第一コリント 十一章十七節〜三十四節
西野バプテスト教会では、毎月第一日曜に「主の晩餐式」をしています。「主の晩餐式」と言うのは、イエスと弟子たちが一緒に食べた「最後の晩餐」を儀式化したものです。
宗教は儀式をするのが好きです。行動を儀式化することで、出来事を忘れないようにシンボル(象徴、記号)化できるからでしょう。しかし、儀式化すれば、形骸化したり、特殊化することになります。そうなると、普段の生活の中で、いつでもどこでも起こり得る事ではなくなってしまいます。普段の生活からかけ離れたものになってしまうことが、儀式化の最も大きい弊害である、とぼくは考えています。
儀式化され、特殊化された「主の晩餐式」も、「晩餐」と言う言葉が示している通り、元は「夕食」です。弟子たち、あるいは、その他、多ぜいの人々と共に、イエスが食べた夕食が基本にあるはずです。
「最後の晩餐」は、たまたま、弟子たちとイエスが一緒にした最後の夕食です。最後だったからこそ、弟子たちの記憶に、特別に鮮明な印象を深く刻んだんでしょう。
一緒に食べることは、仲間意識を育てるために、大きい効果を持っていることは、誰もが認めるでしょう。ここ半世紀ほどの間に、核家族化が進んだ日本では、親子三代が一緒に食卓を囲むことが少なくなりました。さらに、ここ数十年では、親子で食卓を囲むことさえ少なくなりました。家族関係が希薄になっている理由が、このあたりにあると思います。
友人との食事も、最近では、それぞれが、コンビニで買ってきた自分の好きなものを勝手に食べるとか、レストランでそれぞれが注文した物をたべるということでは、共生の食事とは感じられません。
ぼくが小中学生の頃は、好き嫌いがあっても、母親が準備して作ってくれた物を、「いただきます」と言って、みんなで食べました。今日はおばあちゃんの好物、義博の誕生日には義博の好物、などと、好き嫌いを置いて、それぞれの好物を、みんなで、一緒に食べたもんです。今でも、どんなものでも美味しくいただけるのは、そんな経験を小さい時からしてきたからだ、と思っています。
イエスも弟子たちや多くの人と身分を問わず、食事を楽しんだ、と思われます。そのようなイエスの食卓を偲(しの)んで、教会では「主の晩餐式」がおこなわれていたようです。
今ほど形は整っていなかったと思いますが、教会に集まって「主の晩餐」と呼ばれる食事会をしていた様子が、イエスの十字架事件から二十年ほど経った頃に書かれたパウロの手紙に記録されています。
【パウロ】
ちなみに、パウロはイエスの弟子じゃありませんでした。弟子どころか、イエスを救い主(メシア、キリスト)と信じている人々を捕らえては、イエスに対する信仰を捨てさせるために拷問していた人だったようです。そして、いわゆるキリスト教徒を迫害している最中に、イエスの福音に触れて、回心させられてしまった人です。
ですから、初めのうちは、教会の中でもキリスト信者とさえ認められませんでした。元いた社会からも裏切り者と見なされ、命さえ狙われて逃亡しなければならなかったほどの人です。
パウロ(当時はサウロと呼ばれていた)が、生まれ故郷のタルソという町に戻ったのは、エルサレムの宗教社会から追われ、教会にも受け入れられなくて、行くところがなかったからでしょう。
だからパウロは、キリスト教徒を迫害する中で気づいたイエスの福音に根ざして、独自の活動を始めるしかなかったんだろう、と思います。
数年後にエルサレム教会から、アンテオケ教会に派遣されたバルナバ(慰めの子)は、アンテオケ教会を指導する人材としてパウロがいいと思ったんでしょう。そして、アンテオケ教会が、パウロの活動が、目につかないほど、エルサレム教会から遠くにあったことを幸いに、パウロを教会の活動に戻したんでしょう。バルナバはパウロをタルソに探しに行き、アンテオケに連れてきて、一緒に二年間ほど活動したようです。
パウロはそんな人でしたから、エルサレム教会にとっては、よそ者の異端児でしかありません。迫害者でさえあったもんですから、当然、弟子の一員に認められるはずもありません。
今では、教会で「使徒パウロ」と呼ばれていますが、エルサレム教会に言わせれば、とんでも無いことです。使徒(アポストロス・遣わされし者)と言われ得るのは、生前のイエスと生活を共にした直弟子であり、復活のイエスを見た者だけだと決められていたようです。ですから、生前のイエスと面識のない元迫害者パウロが「使徒」と呼ばれるはずありません。パウロは「使徒パウロ」と、自称しているだけです。パウロ自身の言葉に引きずられて、現代の教会はパウロを「使徒」扱いしているんですが、当時のエルサレム教会がそれを知ったならば、怒り狂うはずです。
ところが、面白いことに、初代教会の本流じゃなかったパウロが、異邦人を中心にしたいくつかの教会に宛てて書いた手紙群が、現在の新約聖書におさめられた文書の中で、最も早く書かれたものです。この事実は重要です。そうであるにも関わらず、驚くことに、この事実を知らない信者が多いのも事実です。紀元三十年頃にイエスが活動なさったことを書いている福音書は最初に書かれたマルコ福音書でも、たぶん七十年代の著作です。それよりも二十年ほど前の五十年代にパウロの手紙は書かれているんです。
もう一つ、重要なことを、付け加えておきましょう。それは、パウロの名前が冠されている十三の手紙群の内、本当にパウロが書いたもの(真正パウロの手紙)は七つだけです。十三の手紙をごちゃ混ぜにして、パウロの考え方を知ろうとしても無理なんです。パウロの考え方を知る上で、これは重要なことなので、しっかり覚えておきましょう。
【人を分けるものだと思っていた】
さて、「主の晩餐」という主題に戻ります。
「主の晩餐」は今や教会で重要な儀式です。ぼくたちは、「主の晩餐式について」という文章を独自に創って二〇〇七年九月から使って来ました。二〇一〇年にも取り上げましたけれども、それからでも十年近くなります。忘れた頃でしょうから、もう一度、「主の晩餐」について考えておきましょう。
さて、中学二年でぼくが初めて教会に行った大阪の教会では、「主の晩餐式」のパンとブドウジュースは、礼拝の後で、その教会の会員信者だけに分け与えられる方式でした。ぼくが信者でなかった頃は、礼拝堂の後ろのホールに行かされて、主の晩餐式が終わるのを待っていたもんです。その頃は、差別されていると感じたことはなくて、それを当たり前のように受け取っていました。そのような教会が今でも多いと思います。
信者になってから、パンとブドウジュースを受け取る時の方が違和感がありました。というのも、「だから、ふさわしくないままでパンを食し主の杯を飲む者は、主の体と血とを犯すのである。だれでもまず自分を吟味し、それからパンを食べ杯を飲むべきである。主のからだをわきまえないで飲み食いする者は、その飲み食いによって自分にさばきを招くからである。あなたがたの中に、弱い者や病人が大ぜいおり、また眠った者も少なくないのは、そのためである。」(口語訳、Ⅰコリント十一章二十七節以降)という聖書の言葉が強調され、とても厳粛な気持ちにさせられたからです。
一人ひとり、「主の晩餐」を受けるにふさわしい者であるか、自分を吟味しなさい、と言われますと、前回の主の晩餐式から一ヶ月間、反省すべきことがあったよなあ、と緊張させられたもんです。
高校一年生でしたから、品行方正であったはずありません。許してもらえないんじゃないかなあ、と感じながらも、恥ずかしくて誰にも相談できませんし、断る勇気もありませんでしたから、後ろめたい気持ちのままで、いただいていたのが事実です。
そんなことでしたから、心配しましたね。何がって。だって、「主のからだをわきまえないで飲み食いする者は、その飲み食いによって自分にさばきを招く」とか「あなたがたの中に、弱い者や病人が大ぜいおり、また眠った者も少なくないのは、そのためである」なんて書かれているんですからね、「このために病気になって死ぬことになるのか」なんてね。恐る恐るフグ料理を食べた後のような気持ちになったもんです。
【恐れから解放する聖書解釈を】
そういう恐れがなくなりましたのは、東京の神学校を卒業後、二十四歳で福岡の西南学院大学神学部に編入した後のことです。神学部で二年目を迎えた春に、スイスからお戻りになった青野太潮先生が赴任なさいまして、それまで習ったことと全然違うことを教えてくださいました。正直言って、面食らったんですけれども、おかげで、聖書を読むことができるようになったことを、今も本当に感謝しているわけです。
青野先生は、当時まだ日本語訳されていなかったドイツ語の本の一部を、授業の中で読ませて下さいました。聖書を社会学で読むという試みをしていたゲルト・タイセンという学者が書いたものでした。その中で、主の晩餐について、それまでとは違う解釈に出会いました。いま思えば、別に難しいことではなかったんですけれども、聞いたことも考えたこともない角度から聖書を読むことを教えていただいた驚きを鮮明に覚えています。
聖書は一般的普遍的に書かれたものではない、という当たり前のことを、その時に教えられました。
パウロが書いたこの手紙の宛先はコリント教会です。そこには、いろんな階層の人がいた、ということです。
「食事のとき各自が勝手に自分の分を食べてしまい、空腹の者がいるかと思えば、酔っている者もいるという始末だ」(十一章二十一節)と書かれています。自分の分を食べるのは、いいじゃないか、とも思っていたんですが、どうもそうじゃないらしい。ぼくたちも持ち寄りの食事会をしますけれど、確かに自分が持ってきたものを好きなだけ食べたりいたしません。ところが、コリント教会では、お腹いっぱいで酔っている人がいるかと思えば、後から来た人には、何も残っていないような状態であったようです。たぶん、遅れて来たのは裕福でない人たちなんでしょう。考えたこともありませんでした。
その様子を聞かされたパウロは、そんな集まりは「主の晩餐」と何の関係もない、そんな食べ方は、主の身体、すなわち教会を愚弄している、「待ち合わせなさいよ」と怒っているんです。
【ぼくたちは】
ですから、パウロの言葉は、個人的な信仰の姿勢を問うている言葉じゃないことは明らかです。教会すなわち、「色々な状況を背負って集まってくる人々」が、一緒に飲み食いするのが「主の晩餐」である、とパウロは言ったんです。。
人を分け隔てしたり、自分を裁くことは「主の晩餐」と関係ありません。ぼくたちはこれからも、食物を分け合って、みんなで食べる「主の晩餐」を、普段の食事の一環として続けてまいりましょう。