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「かんぺきじゃないからいいんです」20200531

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「かんぺきじゃないからいいんです」20200531

聖書 創世記  三十一節

 

 新型コロナウルス騒ぎは、一段階を終えそうな雰囲気ですが、まだまだどうなることかわかりません。

 今季(令和元年十二月二十三日〜令和二年四月)のインフルエンザの推定「患者数」は過去十二年で最も少なかったようですが、それでも七二〇万人という報告があります。毎年三千人ほどが亡くなるインフルエンザに比べて、新型コロナウイルスの「感染者数」は、二万人に達していません。コロナ対策のおかげでしょうか。個人的には、そうとも思いません。とにかく、これくらいのことでも、メディアを利用すれば、国の経済活動を麻痺させることができるほどに人心を誘導することができる、という実証を支配層は確認することができたことでしょう。

 これほど、世界の秩序が混沌とした状態になるとは、ちょっと予想していませんでした。住みやすい世界を作るということは本当に難しいようです。

 

【神話の神の計画は完璧じゃない】

 聖書によると神が作った世界はとても良かったんだそうです。まだ人間の社会がなかったから良かったのかもしれませんね。

 「神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。夕となり、また朝となった。第六日である。」(創世記一章三十一節)とありますように、神話の神は六日間かけてこの世の全てを作ったそうです。一気に創造したんじゃなくて、毎日少しずつ創造して、整えて行ったということもそして疲れて、七日目に休んだ、ということもとても面白い表現だと思います。

 神話の見て、それは甚だ(はなはだ・すこぶる)良かったと言った世界は、どんな状態だったんでしょうか。

 神が創造した世界ですから、不備や揉(も)め事などなかったと想像なさる方が多いと思います。しかし、完璧で無謬(むびゅう・誤りがない)であったはずありません。なぜなら、神話、現実の世界で生活している人が想像して書いた物ですから、不具合や不都合が出てくることは容易に想像できます。

 エデンの園と天国や神の国を同一視できませんが、どれも同じよう完璧な平和な状態だと思っておられる方が多いはずです。しかし、よく読んでみると、実はそうでもありません。

 完璧な状態だったとすれば、完成された模型みたいなものですから楽しくありません実は、改善や変化の余地があるもんだと思います。そしてその方が重要だとぼくは考えております。その方が楽しいですし、生きがいも生まれるとぼくは思います。改善を思いつく、改善の余地がある、それが望ましい状態だと思います。皆さんはどうですか。

 

【エデンの園に便所はなかった】

 たとえば、ということで、とつぜん話を変えます、みなさんはどうお考えになるでしょうか。

 エデンの園に便所はあったと思いますか。」どうですか。

 ぼくの予想を言いますと、エデンの園に便所はなかったと思います。

 ドラえもんの「どこでもドア」じゃないですけれども、どこでも便所」になり得たんだろうと思います。アダムとイブの二人だけでしたらそれで十分です。ただし、人口が増えたらそうは言っておれなくなったでしょう。

 エデンの園は望ましい状態として計画されたはずだと思いますが、状況が変われば、改善しなきゃならない。そんなもんだったでしょう。そうして、必要は発明の母だと言いますように改善策を考えるの文明というものです。、改善策を考えることが楽しいんだと思います。

 もしも、エデンの園で人口が増えていたら、ぼくならば、水洗トイレと屎尿処理場くらいは欲しいですね。上下水道くらい完備しないと、なら誰も住んでくれません。

 エデンのの改善が必要になって、設計者の神が現在の日本を視察に来たら、驚くでしょうね。

 お土産に、ぜひ、全自動便器を買って帰りたいとおっしゃるんじゃないでしょうか。

 そうなったら、太陽光発電機一式なども売れそうです。エデンの園も有望な市場になるでしょう。

 そのように、エデンの園も完璧じゃなくて、変化の余地があるはずです。

 天地を計画し創造した神話の神は、人を作ったことを、悔いた、しなければよかったと後悔した、と書いてあります。このあたりはすごくリアルに感じます。神話の神は、残酷に描かれていることが多いですけれども、このように見ると可愛く感じます

 エデンの園じゃなくて、天国の話何度かしていますが、見たこともない天国を説明したつもりはありません。一般的な天国のイメージがどんなものかと関心があるだけです。

 

【天国の花は枯れる】

 またまた、突然に話を変えますが、「天国の花は枯れると思いますか、枯れないと思いますかと問いかけたことがあります。

 お花を好きな義母さんは、天国の花は枯れないでしょう、とおっしゃいました。

 いやいや枯れない花はホンコンフラワーみたいなものだと、ぼくは答えたんです。つまり昔流行った造花の商品名ですけれど枯れない花というのはそんなものですそんな花はつまらないと思います。

 エデンの園でも、花が咲いて、受粉して、花が枯れてから、りんごの実がなるんだろう、と思います。ちなみに、りんごと書かれていませんから、それも思い込みでしかありません。とにかく、そんなふうに考えると、花は枯れて散ってこそ意味があると思うんですが、どうですか。

 エデンの園に、春夏秋冬のそれぞれのブースがあって、いつでも花が咲いているし実がなっているし綺麗な紅葉を見れるし、雪景色も楽しめるなんてことになっているのかもしれませんが、天地創造神話ではそこまで考えられていません。しかし、いつでも花を見れるし、身を食べることができるようにするためには、そんなふうに改良した方がいいとぼくなら考えます。ところが、そうなっていないとすれば、花は枯れて欲しくないという思いはわかりますけれども、生命が続いていくためには枯れることは必要なファクター(要因)であるはずです。

 現実とはまったく異なっているのが天国なんだ、と言いたい気持ちもわかりますが、無理あると思いますよ。りんごやぶどうが実った木の横に、真っ赤なもみじや黄色いイチョウや緑のフキがあったりして、渾然一体(こんぜんいったい・いろんなものが混じり合った状態)を喜ぶ人いるかもしれませんが、ぼくは気持ち悪いです。

 とにかく、天地創造の神話を書いた人は賢い人たちだったと思います。世界や宇宙のことを子どもたちに教えるために書かれた物語のようなものですが、とにかく、楽しいエピソードが散りばめられています。まず、神話の神を完璧な存在にしていないところが楽しいです数々の失敗が列挙されています。

 神が作った蛇女を誘惑しますし、アダムも言うことを聞かずに、エバの言葉に従って禁断の木の実を食べました。すると、アダムに裏切られた神は腹を立てて、アダムとエバを追い出しちゃうんです。

 アダムの子孫たちが多くなって、悪いことばかりするのを見た神は、人を造ったことを悔いて、地上の動物を一掃する、と決めるわけです。しかし、ちょっと考え直して、自分が気に入っていたノアの一族とその他の動物の一番い(ひとつがい)ずつを選んでしたんです。そんな中途半端なことをしてしまったので、結果的には社会が洪水前と同じような状態になっちゃうんですしかし、洪水によっては二度と地上の動物を滅ぼすことはない、という約束を思い出すために、約束の虹を作った、ということになっています。ただし、確かに水は使わないけれども、悪い奴が多くなれば、今度は世界終末を来らせて、火で焼き払ってやる、なんていうことになれば、いい加減な神様に拍車をかけることになります。

 神は完璧だとか、無謬(むびゅう・誤りがない)だとかいう妄想は、哲学者神学者が考え出したんでしょう。聖書の読み方を勘違いしている人が多いだけです。しかし、天地創造物語を書いた賢い人たちは、神話の中に間違いだらけの神を登場させているんですそこ面白いところです

 

【完璧な人間もいない】

 さて、完璧でありたい人が多いようですが、かんぺきである必要なんかありませんからね。もともと完璧な人なんて概念としても成り立ちません。

 人間なんてものは、単体で生きているんじゃありません。もちろん他の人と一緒に生きているんですが、それだけではなくて、ひとりの身体も、自分だけの体というものは存在しないわけです。約六十兆個の細胞でできている、と言われていますけれども、それだけじゃなくて、たとえば腸の中にも、いい加減な数字ですけれども、百種から三千種の細菌が百兆個から千兆個の細菌が生息している、と言われています。体重の内の一〜二キログラムもあると言われています。数はともかく、非常に多い生物の集合体なんですから、完璧な人間というのを定義さえできないと思います。

 言葉を変えて言えば、たとえば大腸菌は寄生虫じゃありませんが、寄生細菌です。しかし、この細菌のおかげで、食べたものから人間の体に必要なものを作ってもらって利用しているんです。

 たくさんの大腸菌を口から入れると、健康を壊すんですけれども、大腸にいてもらうことで健康を保っているわけです。ですから、完璧な人間というのは、現実を無視した哲学的な思考上の産物でしかりません。完璧な人間なんかいなくて、おおよそ健康な人間存在するだけです。完璧じゃなくて、いろんなバランスをとって健康を維持している、ということです。美味しく食べ、うんこやおしっこを出すことができるように、体調を整えている、という意味です。そのように、バランスを保たなきゃ生きていけない、というところが素晴らしいところだ、とぼくは思っています。ですから、完璧などという概念を取り払った方がいいと思いますね。

 

【完璧なんてない】

 天国は完璧で、つまり変化の余地がない所だなんて考えていたのは勘違いであったように、人間も完璧じゃないことに意味があります。人間の完全な状態なんて空想であって、現実にあり得ないし、それじゃ生きていけないんです。不完全何とかバランスの取れた状態にしていることが重要なんだと思います。まったく問題のない状態なんてあり得ません。常在菌もウイルスも、存在する中で、バランスを保って生きることが重要なんです。

 

【ぼくたちは】

 完璧じゃないのが現実の人間なんです。だから不完全でいいんですよ。数十億年の間に、人間も、他の生物包み込んで生きてきたんです。

 伝統的な教えには勘違いが多いです。勘違いの考え方を一度捨てて、もっと心を開いて、現実を素直に見れば、自分が完璧に程遠いことも喜べると思います。どうですか。

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