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「権威主義教会に物申す」20240218
「権威主義教会に物申す」20240218
まず、今日の聖書箇所は間違いではなく、先週と同じであることを、念の為に申し添えます。
荒れ野での修行によって、ユダヤ教が教える民族神に仕えることを無意味であると悟ったイエスは、ユダヤ教の神に祈ることをやめていたので、弟子たちに祈りを教えてほしいとせっつかれた時に「アッバ(おとうちゃん)」と呼びかける祈り(いわゆる『主の祈り』)を教えたのだと先々週に言いました。その際に「おとうちゃん」とは誰のことかという疑問が出ることを予感して、祈りの対象は「人間」であると先週は言ったのです。こんなぼくの解釈を、キリスト教徒はもちろん、宗教に無関心な人でも、易々と認めてはくださらないでしょう。けれども、神に祈っても願いが叶わないという常識に加えて、話を聞いてくれた人が願いを叶えてくれる場合があるという事実を考慮すれば、願いを叶えてくれる可能性があるのは、神ではなく人であると言えます。だから、人に祈ればいいのだと言ったのです。
さて、見えない神にではなく、親しく語りかける相手(パパ)に祈ることを教えたイエスが、今際の際(いまわのきわ)に「我が神、我が神、なぜわたしを見捨てたのか」と祈ったなんて、ぼくには考えられません。なぜなら、「おとうちゃん」と呼びかけるように教えたイエスが、死にぎわに伝統的なユダヤ教の神に「我が神、我が神」と祈ったとすれば、それまでのイエスの教えが吹き飛んでしまうからです。ですから、イエスの最期の叫びは神への祈りじゃなくて、「ユダヤ教の神」に対する悪態(あくたい・憎まれ口)なのだとぼくは解釈したのです。もちろん、神がいるのなら助けてほしいと願ったのではなくて「ユダヤ教の神なんかない」という事実を、皆に聞こえるように大声で叫んだのです。最期にもう一度イエスは大声で叫んだと書いてあるのを読んだ時に、何を叫んだのかと考えたこともありましたが、今は、イエスは同じ言葉、すなわち「我が神、我が神、なぜわたしを見捨てたのか」と、再度大声で悪態ついたに違いないと思います。このようにしてイエスが事切れた瞬間に、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた、と書かれていますけれども、十字架が立てられたゴルゴダの丘から神殿の幕は見えませんから、垂れ幕が本当に裂けたのではなくて、ユダヤ教の神が顕れると信じられてきた聖域を俗域から隔てる幕をイエスは取り払ったのだとマルコは主張したのでしょう。
【なぜローマ軍の百人隊長なのか】
この後に、十字架上のイエスの真正面に立っていたローマ兵百人を束ねるほどの隊長が「ほんとうに、この人こそ神の子だった」と言ったとマルコは書いています。神殿の幕が裂けるのを誰も見なかったと同様に、ローマ軍の百人隊長が十字架に向かって言った言葉など、誰にも聞こえなかったはずです。隊長は叫んでいませんから、近くの兵隊には聞こえたとしても、多くの人には聞こえなかったはずです。もちろん、弟子たちはいません。イエスを見捨てた弟子は十字架のイエスを凝視(ぎょうし・目をこらして見る)できなかったはずです。たとえ遠くから眺めていた弟子がいたとしても、隊長の声が聞こえるはずありません。一番近くに居た女たちでさえ、隊長の呟き(つぶやき)は聞こえなかったでしょう。そうだとすれば、これも事実ではなくて、マルコがこの場面に登場させたローマ軍の隊長に言わせた台詞(せりふ)でしょう。「この方こそ神の子であった」というセリフは、まるで後の教会の信仰告白そのものです。信仰告白の言葉を、弟子ではなくてローマの百人隊長に言わせたのは、弟子たちに対するマルコの痛烈な批判以外のなにものでもありません。
マルコが福音書を書いた時代には、教会の重鎮であった弟子たちは、その時、どこに居たのか、と弟子たちを追求することによって、当時の教会組織を批判しているのだとぼくには思えます。
【女たち】
弟子たちを批判した後、マルコはさらに読者を女たちに注目させます。当時は社会からも弟子たちからも差別されていた女たちこそが、十字架上で息絶えるイエスの姿を遠くからであったにせよ、最後までしっかりと目に焼き付けていたと書いたのです。そこにも弟子たちの姿はありません。
「お前もイエスの仲間だろ」と言われたペトロが「そんな人は知らない」と誓ってイエスを見捨てた場面(マルコ十四章)を最期に、弟子たちの出番は無いのです。弟子たちに反するかのように、女たちは、十字架から下ろされたイエスの遺体がヨセフという議員の墓に埋葬されるまでしっかり見届けていたと書かれているのです。
ちなみに、今年の復活祭は三月三十一日です。復活祭は、春分の日(今年は三月二十日)の次の満月(三月二十五日)の次の日曜日ということになっています。復活祭が近くなり、イエスの受難や十字架や復活の話がこれから多くの教会で語られるでしょう。その際に、イエスが復活したことの証人として弟子たちを登場させる物語が多く語られることでしょう。しかし、弟子たちが復活したイエスを見たという話は、後の教会が作った筋書きです。というのも、最初に書かれたマルコ福音書には、先ほども言いましたように、ペトロがイエスを知らないと誓った後は、弟子たちの登場場面がないことから明らかです。お手持ちの聖書には、十六章に九節以下が記述されており、そこには弟子たちも登場していますが、それらは、マタイ、ルカ、ヨハネの福音書から抜粋して付け加えられたものです。マルコが示した復活は、イエス個人がよみがえって姿を見せたりしないので、十六章八節で終わっているのです。
意気地ない弟子たちとは違って、女たちだけが、日曜日の夜明けと共にイエスの墓に行けたのは、女たちがイエスの墓を確認していたからです。ですから、墓が空であることに気づいたのもイエスの復活に気付いたのも、マルコによれば、女たちだけなのです。
マルコの時代にはすでに、復活のイエスに出会った弟子たちが、イエスの命を受けて教会を作ったことになっていたのですが、事実はそうではなかった、とマルコは福音書で訂正しているのです。マルコがそこまでしなければならなかったのは、教会が権威主義的組織に成り下がっていると判断したからでしょう。権威主義の教会は人を救えません。イエスの生き様こそが人を救うのだとマルコは信じているのです。
【ぼくたちは】
ぼくたちは、マルコが示してくれた人間イエスの生き様に目を注ぎ、権威に依らず、人間イエスの生き様を真似ることによって、自分だけでなく他人(ひと)をも救う者になりましょう。