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「世界最古のウソ」20230129
「世界最古のウソ」20230129
聖書 マルコ 十二章一節〜十二節
常々ぼくは自分の思いを大切にするようにお勧めしています。ところで、自分を大切に生きることを一番邪魔しているのは宗教だということを話そうと思います。見たこともない神を使って、他人の行状を批判したり、誘導する宗教は、どんな社会にも存在します。
神でも仏でもアラーでも、なんでもいいんですけれども、そういうものを代表して、一応「神」と言わせていただきます。とにかく、人間が「神はおっしゃった」と神の名を使って喋(しゃべ)るんです。このようなことを「神を騙(かた)る」と言います。「騙(かた)る」という言葉の意味は、名前などを偽(いつわ)ることです。このような事を平気でするのが宗教家です。宗教家は最も古い詐欺師です。
「神はおっしゃった」と言うのは人ですよね。神の語りかけを聞いたと言う人を信じられますか。それほど怪(あや)しい人はいないはずです。その教えを組織化した宗教家は詐欺師です。
このように話せば、当たり前だと思いながら聞いていただけると思います、しかし、なぜか現代でも、世界中の多くの人はこの詐欺にだまされ続けているのです。
【神は人間が作った概念】
「神の存在を感じる」とおっしゃる人もおられるでしょう。それは人の自由ですから、その人には何も言う言葉がありません。神が存在しないという証明をすることもできません。しかし、いずれにせよ、どう考えても神の存在を証明することはできません。神を表現する試みは世界中で行われてきましたけれども、一つ所に落ち着くことができないのは、ぼくたちが存在しているような仕方で神は存在していないからです。
判らない者が知らない神を説明しているのですから、八百万の神を教える宗教団体が八百万存在するのです。この事実が、神は人間が創造したものであることを示しています。
ある牧師が「神は人間が創造したのではありません。神が人間を創造なさったんです」とユーチューブで言っておりましたが、その証拠は聖書に書いてあるからだと説明していたのです。その聖書は神が自分で書いたものではなくて、人が書いたものですから証拠にはなりません。
詐欺師であるこのような宗教家は、神がこの世を作ったのだから神がこの世の所有者だと教えます。だから神に従わなければならないと教えます。宇宙を考え人間の生き方を考える宗教は哲学的な意味で、人の益となることもあるでしょう。けれども、教えの背景に第三者の神がいると教える宗教家は詐欺師です。その第三者の口を利用して、つまり第三者を騙って人間が人々の心を動かし、自らの思考パターンに他人を導くから詐欺なのです。世の中に、宗教絡(がら)みの戦争が絶えないのも事実です。宗教はそれほど危険なものなのです。
【牧師がキリスト教を批判する理由】
キリスト教会の牧師でいながら宗教がおかしいと言うのは自己矛盾している、とお思いでしょう。確かにおかしいです。けれども、誰もおかしいと思いながら入信しません。初めは判らなかったんです。キリスト教という宗教に深く入り込んだから判ったことなのです。外から見ているだけでは判らないものだと思います。
何も判らないままに、ぼくは友達に誘われて教会に行きました。その頃は、今では想像もできないほどぼくも頭の柔らかい素直な中学生でした。比較して聞くことができるだけの知恵がなかったものですから、教えられるままに受け止めていたのだ、と今になってみれば判ります。批判的に聞くことなどできませんでした。
生まれたての鳥が初めて見た相手の後を追って育っていくように、最初に教えられたものの影響は強いのです。それを刷り込みと言います。
皆さんにも刷り込まれたものがあります。それを白紙に戻して、ゼロからやり直すことは難しいんです。上書きをするとか、全然異なった考え方で、最初に刷り込まれたものを否定するとかひっくり返さなければならないんです。
しかし、最初に教えられたことが真実ではないのですから、腑に落ちないことはあったわけです。変だなあと思いながらも、反論できない人は多いでしょう。それをはっきりと納得できるように教えてくれるような人でも現れなければ、考え方の根本を入れ替えるのは難しいものです。
幸にも、ぼくは両極端の神学に触れる機会に恵まれたので、自分で取捨選択できるようになったんです。それだけの情報に触れて葛藤した結果が今なのです。ここに立ちつつ、自分が得た情報を伝えるのが使命であると考えています。
【聖書が神の言葉でない証拠】
さて、キリスト教徒は聖書を生活の基盤に据えています。聖書には神の言葉が書かれているから、というのがその理由です。そういうことにされているだけです。
科学の発展によって、宇宙論の基礎が替わったように、古代神学の基礎も壊れました。そうであるにもかかわらず、受け入れるべき事実を認めずに、古代から続いてきた宗教界に留まり続けようとしている人がキリスト教会にも多いのです。聖書に関する事実を言えば、聖書は人間が書いたのです。この事実を認めてもいいはずです。どこの誰がいつ頃書いたのか。明確に判っているものも、そうでないものもあるけれども、だれかが書いたことは明らかです。それを神の言葉だと言い張るから嘘になるんです。
神の命令を聴けば人は幸せになれる、という教えは嘘(うそ)です。良く言っても間違いです。神の言葉なんか聞こえません。ですから、現実を見て、古代の宗教から逃げ切って、自分たちがどのように生きるかを、考えるべきです。
【危機が迫っている】
おとなしい日本の周りには、狭い海を隔てて、ならず者のような核保有国が三つもあって、豊かな日本の土地を奪い、おとなしい日本人を奴隷にしようと狙っています。拉致事件の被害者をだれ一人取り返さなかったように、国土が侵蝕されても今の日本は取り返すために戦わないでしょう。そんな日本を助けるために同盟国が血を流すはずないことは明白です。
弟子たちが立派な神殿に感嘆したとき、その大きな建物が跡形もなく壊される時が来る(マルコ十三章二節)とイエスは言いました。腐り切った母国の指導者たちの現状を嘆くイエスには、そんな有様が見えたのでしょう。イエスが殺害されて四十年も経たない西暦七十年に神殿は本当に破壊されたのです。宗教支配から民衆が立ち上がらなければ、ユダヤの破壊は避けようがない、とイエスは判っていたのでしょう。
【ぼくたちは】
「危機が刻々と迫っていることを知らずに、好き勝手に生活していた農夫を、帰ってきた主人が殺す(マルコ十二章九節)という譬えのように、ふしだらな生活は破滅するということです。
利己的な人間が作った太古からの嘘の宗教を否定して、共に生きる人を守り抜く道を注意深く作っていかなければ、子孫はおろか自分の未来さえなくなる、というのがイエスからの注意喚起です。詐欺に対峙して国を存続させなければなりません。組織改革などをちまちまと議論しないで、侵略されないための核防衛を議論する方が先だとぼくは考えています。