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「戦争を命じる民族神」20240128

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「戦争を命じる民族神」20240128

聖書 マタイ福音書 四十三節〜四十八

 

 先週に引き続き、今日も「隣人」についてイエスが語ったとされる物語を考えてみます。先週の箇所では、「隣人とは誰のことですか」と問いかけた律法学者に、イエスは譬(たとえ・創作物語)を語ってから、話の中で、強盗に襲われた人の隣人になったのは誰かと問い返したいきさつから説教いたしました。隣人とは決まった立場のではなくて、あなた次第で、あなたは誰かの隣人になれるという動的な関係であるとイエスはお教えになりました。今日の箇所でも、ユダヤにおける「隣人」という古典的概念を壊す発言をなさったように思えます。

 

【隣人は同民族だけじゃない

 今日の主眼点は「あなたの敵を愛しなさい」とイエスが語った言葉です。敵を愛せよと言われると、やはり敵とは誰かと考えてしまうでしょう。この時に注意しなきゃならないのは、今のクリスチャンの感覚ではなくて、イエスの時代のユダヤ人にとって「隣人」とは誰のことだったのかを考える必要があるということです。なぜなら、当時のユダヤ人は、隣人とは同民族の誰かのことだと考えていたはずだからです。間違っても、異邦人他民族を隣人だと考えている人はいなかったでしょう。

 他民族に対する考え例を申命記(旧約聖書のモーセ五書の一つ)に見ましょう。あなたの神、主が嗣業として与えられる諸国の民に属する町々で息のある者は、一人も生かしておいてはならない。ヘト人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人は、あなたの神、主が命じられたように必ず滅ぼし尽くさねばならない。それは、彼らがその神々に行ってきた、あらゆるいとうべき行為をあなたたちに教えてそれを行わせ、あなたたちがあなたたちの神、主に罪を犯すことのないためである。」(申命記二十章十六節〜十八節)と書かれているんです。

 愛の神を信じておられるクリスチャンは、これほど残忍な命令を受け入れにくいので、時代背景が違うから今の感覚で読む必要はないとおっしゃる学者もいます。けれども、昔のユダヤ教徒が信じている神も、今のユダヤ教徒が信じている神も同じはずです。他民族を滅ぼせと命じる神は、今も昔も変わらぬユダヤ民族の神なのです。だから他民族との戦争に際しては先頭に立って指揮する神なんだと思います。全世界の全民族にとっても創造主であったならば、ユダヤ以外の民族を滅ぼせなどとは言わないはずです。ユダヤ人が担った旧約聖書の神は、ユダヤ民族のためだけ神であったことが判ります

 後に、ユダヤ教神学が発展した時代において、全世界、全宇宙の創造神という立場が付与されたのでしょう。元来はユダヤの民族神だったから、その他の民族を滅ぼせと命じることができたのでしょうところがイエスは、自国民の中の誰かを隣人として愛しなさいと言ったのではなくて、敵を愛しなさいと言ったです。イエスはユダヤ民族の神の概念を壊しているのです。

 

【イエスの背景】

 イエスもユダヤ社会でユダヤ教の教えを受けて育ったユダヤ人ですから、ユダヤ教の神に仕えることを生きる目的にしていたはずですヨハネのに行って荒れ野で修行したほどですから、情熱的な人だったと思われます。

 ダビデが十二部族を統一しイスラエル王国の体裁を作ったのが起源十世紀頃で、その息子ソロモンがユダヤ教の基盤を整えたのだとすれば、イエスが誕生なさった頃のユダヤ教は千年近くの伝統を築いていたことになります。そんな環境で育ったイエスは、善くも悪くもユダヤ教の強い影響下にあったのです。

 徹底した信仰生活を求めていた原理的信仰者であったイエスは、荒れ野で修行を積んだ後、伝統的な教えに基づく信仰生活をすることに行き詰まり、ユダヤ教徒としての生活を根本から問いなおさざるを得なかったのでしょう。その結果、ユダヤの律法に抵触(ていしょく・違反、衝突)するだけではなく、ユダヤ教に徹底的に対立する立場に至ったのだと思います。そうだとすれば、ユダヤ教の伝統に反する教えこそ、イエスが伝えた福音の中身だと言えます。

 

【イエスは神をイメージしない】

 律法が神の言葉であり神の命令であると考えられていた社会で、律法異論を唱えるわけにもいきません。活動の初期の段階でイエスにできることはせいぜい、律法を新しく解釈しなおす程度だったでしょう。

 神の言葉としての律法を読んで、神の意思伝えてきた伝統的解釈に対して、神の本当の意思は、そうではないイエスは伝えました。しかし、互いの教えを突き詰めば、イエスが伝えた律法解釈が、ユダヤ教が伝える神のイメージにそぐわないという事実に突き当たったはずです。

 伝統的な神のイメージを失くしたイエスは、自分の意見が誤解されないために、「神」という言葉を使なくなったにちがいありません。

 そこで、伝統的ユダヤ教徒に対して語る時にイエスは、神に依らず、すなわち神の名を持ち出さず、自分の言葉で意見を述べたのです。こ画期的な表現こそイエスの真髄です。

 ですから、イエスの福音はユダヤ教の神概念に反発して発せられた、イエス自身のこの世の解釈なのです。

 「私は言う」という語り口で、伝えられている言葉が、その事実を表しています。

 

【敵を愛しなさい】

 隣人を愛し、敵を憎めという言葉は、律法のどこに書いてあるわけでも有りませんが、教えられなくても、常識的に誰もがおこなっていることです。世間で咎められることではありません。しかし、イエスは言います。「わたしは言っておく。敵を愛しなさい」

 これだけでは不十分だと感じたマタイは「自分を迫害する者のために祈りなさい」と付け加えルカは「人に善いことをし・・・あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい」と付け加えております。

 イエスの真正の言葉はわたしは言。敵を愛しなさい」だけでしょう。ユダヤ民族の伝統を破って、イエスは自分の責任で、自分の言葉で「敵を愛しなさい」と言ったのです。この福音にユダヤ教の神は存在しません。それだけではなくて、イエス自身ありません。なぜなら、「本当の神は・・・」と言った途端にイエスが嘘つきになるからです。見たことも聞いたこともない神の名を使って他人に命じてはなりません。人ができることは、自分の責任で話すことです。

 

【ぼくたちは】

 先週は、「あなたも隣人になりなさい」と教えたイエスの言葉を見ました。さらに、イエスは敵を愛しなさいと教えたのです。世の常識では有り得ないことですけれども、それ以外に、誰も安心して生活できないからです。

 敵を殲滅(せんめつ)せよと命じる民族の神に従う人は、互いに殺し合ってどちらが全滅するまで戦えばいいでしょう。しかし、そのために消耗した民族は、すぐに他の敵に殲滅させられるのが落ちです。ですから、真剣に子孫を残したい人は、民族の神に挑発されて敵を殲滅するなんて考えを捨てて、イエスがお教えになったように「敵を愛することを真剣に考えるべきだと言えるでしょう

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