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「クリスマスって何」2020.11.08

「クリスマスって何」2020.11.08

「クリスマスって何」2020.11.08

聖書 マルコ福音書 節~

 

 クリスマスまで後七週間程度です。巷(ちまた)では、すでに、数週間前からクリスマス商戦にまっしぐらに進んでいます。札幌の有名な商業施設では、ハロインが終わった途端に、例年通りのでっかいクリスマスツリーを立てました。電飾のが年々増えて、意味無くひかり輝いてるように思えます。

 日本人はお祭りが好きですね。どんな意味があるんだと尋ねても、ほとんどの人は知りません。意味なんかどうでもいいんや、ただその時に楽しかったらええんや、という人が多いですね。

 でもね、古くからある祭りは、ほとんど全てが宗教的な背景を持っていますですから、祭りの意味を考えずに、なんでもかんでも取り入れている、知らず知らずの内に洗脳されてしまだろう、とぼくは心配しています。

 わけなんか判らなくても、それに便乗して商売できればいいじゃないか、と金儲けに結びつける商売人の根性には頭が下がりますけれども危険に引き込まれる無謀な行為です。

 善悪を言うつもりはありませんが、楽しければ良いという生き方はしない方がいい、といます。

 節操が無いんじゃなくて、何でもかんでも受け入れるのが日本の信念なんと言われれば、しょうがないですけれども、なんかごまかされているように思えます。

 でも取り入れるという生き方が現代の日本の繁栄を支えてきたのは事実でしょう取り入れた文明と技術を発展させて、人間が不得意な作業を補ってきたことは確かです。例えば、人間にとって面倒な計算コンピュータによって、一瞬の内に済ませることができるようになり、不可能と思われていた予想を、複雑な計算を通して可能にしました。ぼくたちに直接見えるものとしては、毎日のニュースに含まれている「気象情報」もその一つです。

 多くの人が携帯端末を持つようになったのも、技術の発達があったからです。近年の、デバイスの進化は目覚ましいものであるだけでなく、それらの機器を使って生活を便利にするアプリ(アプリケーション)もどんどん登場しています。

 商品を探して注文し、決済することにも最先端技術が使われております。商品を移動先に届けるための仕分け作業だけでなく、人に頼るしかなかった個別配達作業をドローンなどのロボットが実現しようとしています。

 それらにシフトしていくのは当然ですしかし、それらがどういうことを引き起こすか、ということを検証する間もなく浸透して行く状況に恐怖も感じます。便利さや迅速さだけが主張されて、デメリットというか、欠点マイナス面を予想する暇もないのは異様です。

 文明が発展し出した頃は、人間が自分の手で技術を磨いて獲得しんですけれども、人間が作った発展した技術や道具が、多くの庶民の手から技術や技能を奪っているように感じます。

 積み上げられてきた伝統的な技術を継承する人間が少なくなっているのは事実です。機械に任せ切ることができない作業もあるはずです。また、たとえ機械に任せることができたとしても進歩した機器が手元になければ、何もできない人が多くなったように感じます

 ライフラインが突然の災害のために切断されたり悪意のある人に乗っ取られた時には、どうするのか、という面での危機管理がぜんぜんできていません。危機管理は、システムを構築すれば良いというもんじゃなくて、危機の時には、個人個人の能力が問われます一人ひとりの生活能力が失われてしまったならば、生きていくことが本当に難しくなる事態が将来に起こった場合にどうするんだろう、と懸念しています。

 何が言いたいか、と申しますと、そういう意味で、楽しければなんだって良いじゃないか、という生き方に流されることは便利さが大きければ大きいほど、危険も大きいことを承知しておかなければならない、ということです。

 教えられたことに、ただしたがっているだけでは、梯子(はしご)をいつ外されるか判りません。楽しければ良いじゃないか、と祭りに参加している場合じゃない、ということを肝に銘じておかなければならないとぼくは思っています。

 

イエスの誕生祭と言

 さて、はじめに、クリスマス、という言葉を語りました。これは「キリスト礼拝という意味であることは何度もお伝えしてきました。イエス・キリストのお誕生日だと教える教会も多いと思います。けれども誕生日じゃありません。キリスト(メシア、遣わされし者)がこの世にお生まれになったことを祝う祭りのことです。ですから、ぼくはクリスマスとは言わずに、意識してイエスの誕生祭うようにしています。

 クリスチャンがこの祭りを楽しむ意味はわかりますけれども、イエスをキリストと認めていない人がプレゼントやケーキに心を奪われるようになったのは、商売人の策略だと言っても過言じゃりません。こんなことを言うから、嫌われるんですけれども止められません。

 

【イエスは人】

 ある安息日(土曜日)に、故郷であるナザレ村の会堂(シナゴーグ)でイエスは教え始めました。の場にいた村人たちが「こいつは大工やろ。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟やろ。姉妹たちは、ここで我々と一緒に生活しているやないか」と言いました。村人は、マリアの息子が、会堂で村人たちに教えようとしていることに違和感を覚えたんでしょう。イエスに躓(つまず)いたとまで書かれています

 なんの自慢にもならないこんな物語をなぜマルコは書いたのか、ということ今日は一緒に考えてみたいと思います。

 そこでまず、ここから判ることは、何かということになります。それは、イエスがマリアの息子であることを村人は知っていたということです。これ事実で当時の村人の常識です。イエスの幼少期を知っている村人が、イエスマリアの子、つまり、人間(人の子)であったことの証人として登場させられているんです。

 後に「イエスは神の子」であった、と告白されるんですけれども、告白というものは、人の判断から出た言葉です。しかし、「神の子」であった、と告白される前に、活動を始めたイエスは、確かに人の子であった、ということが強く示されているのだと思います。イエスが活動し始めた当時、イエスを「神の子」だと考えた人は誰もいません。

 

【弟子にとってもイエスは人でした

 イエスから誘われて、一緒に旅に出た若者たち、いわゆる弟子たちも、イエスを彼らのリーダーしているだけです。ただそれだけのことです。イエスを「神の子」だなんて誰も考えていません。

 イエスは、それまでに居た多くの専門家や宗教指導者とまったく異なった考え方をしました。新鮮な教えをする先生だと思ったでしょう。けれども神の子だなんて誰も考えていません。

 いくつかの奇跡を目にした後でさえ「このかたはどなたなんだろう、風や湖さえ従うとは」と驚いている弟子たちの様子が描かれているように、不思議な人だと感じていたことは判りますが、決して「神の子」だとは思っていなかったということをマルコは示したかったんだと思います。

 最初の福音書をマルコが書いのは七十年以降だと思いますが、そうだとすれば、教会が誕生してから四十年ほど経っていますし、現存するパウロの手紙が書かれた頃から、二十年近く経っていたことになります。当然、現在のキリスト教会の教え(教義)の基礎はできていたはずです。パウロが書き残しているように、キリストが・・・わたしたちの罪のために殺されたこと、・・・三日目に復活させられたこと・・・」などを信じるように、と教会教えていたことは確かです。

 そして、パウロに続く人々の書いた手紙類により強くキリストの神性が強調されています。この事実からすでに初代教会では、一人の人間として生きておられたイエスの生き様が抜け落ちて、「神の子」としてのキリストが前面に押し出されてい、と想像できますこれほどまでに、キリストの神性が強調されていた、ということは、イエスご自身がお示しになった生き様(福音)が見えなくなっていた、ということです。

 そういうことに不満と危機感を抱いたマルコがイエスの生き様を示すために福音書を書いんだ思います。そうだとすれば、エスが人間であったことをマルコが強調したのは当然のことです。ですから、今日読んでいただいた箇所は、イエス人間であったことに固着していたマルコが、そのことをすために、わざわざ書き残した物語に違いありません。イエスの故郷のナザレの村人が証明しているように、イエスはまさに、人であった。マリアの息子であったということです。

 このように、イエスをただの人であったと主張したマルコ福音書を、教会が黙って見過ごすはずありません。イエスは誕生前から、特別に神に選ばれ、世を救うキリスト、「神の子」として、誕生なさったんだ、と宣教していた教会は、自分たちの教義を守るために、イエス誕生する前の神話マタイやルカに書かせたでしょう

 クリスマスの降誕劇は、美しい絵物語として、この神話を人の目に焼き付け心に刷り込むことに成功しております。神話は美しいですけれども、イエスの生き様にはまったく関係ありません。

 

【ぼくたちは】

 イエスの人間としての生き様は、「神の子」関係ありません。否、むしろ「神の子」であった、と言った途端に、人間イエスの生き様は、ぼくたちとは繋がりのない神話に覆い隠されてしまいます。神話に登場する「神の子」、苦悩の中で生活しているあなたやわたし関係ありません。関係があるのは「人間イエスなんです。

 クリスマスを楽しみにしている人に嫌な思いをさせて、申し訳ないと思うんですが、止めるわけにはいきません。現実のイエスは、神の子の誕生神話と関係がない、と言わせていただきます。

 福音書記者マルコは、イエス誕生にまつわる神話をかなかった事実を深く受け止めましょう。

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