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「女はできる限りイエスを支えた」20200329
「女はできる限りイエスを支えた」20200329
聖書 マルコ 十四章 三節〜 九節
早くも今日は三月最後の日曜日です。何度もお知らせして来ましたように、今年(二〇二〇年)の復活祭は四月十二日ですから、それまで三週間しかありません。
このように、何度もお知らせしている理由は、教会に通ってくる人々にも、復活祭はなかなか浸透していないからです。クリスマスのように日付が動かなければ、世間への周知もしやすいんですが、日程が毎年異なるからでしょう。
正直言って、ぼくも、毎年カレンダーを調べなければ判りません。最近はスマホに尋ねるだけで教えてもらえますから便利になりました。
日程の決め方は、宗派によって実際には、異なっているんですが、ぼくたちは、プロテスタント教会でありましても、カトリックに合わせているのが現状です。それによりますと、復活祭は、春分の日の後の最初の満月を過ぎた次の日曜日ということにされています。毎年変えないでいいように、四月最初の日曜日、などと決めちゃえばいいと思うんですが、宗教行事というものは面倒なもので、なかなかそうも行きません。
【呼び方にも注意したい】
世間で言われるクリスマスを、ぼくはイエスの誕生祭、と言っておりますように、多くの教会でイースターと呼ばれている行事を、ぼくは復活祭、と呼んでいます。もちろん理由は、ご承知のように、東から登る太陽を拝む太陽神の行事を連想させる呼び名だからです。太陽神の復活を祝う祭りに合わせてイエスの復活祭を重ねたんでしょうが、イエスの復活を祈念する行事との本来の関わりはないと思いますので、独自性を強調するために、ぼくは復活祭と呼ぶようにしており、皆さんにも、ぜひ復活祭と呼ぶようにしてもらいたいもんだと、願っております。しかし、クリスマスという呼び名と同様に、イースターという呼び名に慣れている人々には結構難しいようです。
さて、キリスト教が生まれた背景にはイエスが復活なさったという告白が根本にあります。ですから、誕生祭よりも復活祭の方が大切なはずだと思うのですが、現状は、どう見ても、誕生祭(クリスマス)の方が大事にされているようにしか思えません。
そういう現状を踏まえても、キリスト教という宗教にとって、復活祭は大事な出来事です。そして当然ぼくらにとって、復活祭は生き方や生活の仕方に深く関わることですから、最も大切なことです。そんな復活祭に向かって準備する三週前の日曜日ですから、復活祭に向けた話をして参りましょう。
今日取り上げました聖書の記事は、イエスが十字架につけられる二日ほど前の話です。ですから、ちょっと時系列を乱してしまいますけれども、そのことをご承知の上で聞いていただけますようお願いいたします。
【女がイエスに香油を注いだ】
先週は、弟子たちが不思議に感じるほど、イエスがエルサレムに向かって突き進んで行った記事を見ました。そしてイエスがエルサレムに着いて、エルサレムで活動を始めてから、復活の日曜日までには、一週間しかありません。実際にエルサレム神殿の前庭で論争的な活動をなさったのは、たった五日間ほどです。ぼくもそうであったように、もっと長い期間イエスはエルサレムで活躍なさったように思っている人が多いと思いますけれども、実際には本当に短い期間だったんです。
イエス一行がエルサレムに到着した日は、イエスが進む道に棕梠(しゅろ)の葉が敷かれた、と言います。その日を棕梠の日曜日と呼びますけれども、それは来週にお話しすることになります。その日以降、イエス一行は、朝にエルサレムに向かい、夕方には、宿泊地にしていたベタニア村に帰ったようですから、毎日この間を往復したんです。
そして、数日後、ベタニア村で食事の席についておられた時の出来事が今日選んだ記事です。
ヨハネの福音書では、そのベタニア村にイエスによって蘇らされたラザロとマルタとマリアが住んでいたことになっております。他の福音書では、ラザロではなくシモンと呼ばれています。そのほかにも、この話の細部は、福音書ごとに異なっているので、決定的なことは言えないのですが、とにかく、女がイエスに高価な香油を注いだ、という記事は四つの福音書全部に書かれております。それほどショッキングな出来事だったんでしょう。
【ルカだけが場面設定を変えている】
四つの福音書の内、決定的な違いを見せているのはルカによる福音書です。ルカだけは、この出来事の場面設定をまったく変えております。
三つの福音書が、マルタとマリアの家でこの出来事が起こったことにしているんですが、ルカは、あるファリサイ派の人の家での出来事だと報告しています。時期についても、イエスの十字架事件の直前には置いておりませんし、出来事の解釈も全然異なっております。特にぼくが今回の説教を作るために読んでいて気になった事は、出来事の背景になっている場面設定がまったく異なっていることでした。
ルカは、イエスがベタニア村のマルタの家で食事の席についていた、などという記録を残したくなかったんじゃないか、と感じました。
ベトファゲとベタニアに近づいた時にロバを借りるために弟子を二人遣わした(ルカ十九章二十九節)という記事にベタニアという言葉が出て来ますが、その後しばらくこの村の名前は出て来ません。それどころか、エルサレムに登ったイエスは、昼間は神殿の境内で教え、夜は「オリーブ畑」と呼ばれる山で過ごされた(ルカ二十一章三十七節)と書かれています。
イエスはベタニアとエルサレムを何度も往復し、ベタニアに泊まっておられた、と記録しているマルコと決定的に異なっているところです。
この時期にイエスがエルサレムを攻略するためのアタックキャンプがベタニアだったというマルコの主張をまったく退けて、ルカは、ベタニアを意図的に消しているようにしか思えません。
ルカはそうしなければならなかったんでしょう。イエスがベタニアにアタックキャンプを置いていたことを許せなかったのか、認めたくなかったんでしょう。ルカ福音書の献呈の辞に言及されているテオフィロさま(ルカ一章三節)にイエスとベタニアの関係を知られたくなかったから、ルカは、イエスとベタニアとの関係を切ってしまったとさえ思えます。
このように考えますのも、理由があります。マルコ福音書を読めば、イエスは、ベタニア村のマルタの家で食事と寝床を与えられていたように見えますし、それだけではなくて、ベタニア村を代表してエルサレム神殿への抗議活動をしていたようにさえ見えるからです。ルカが自分の福音書を献呈したテオフィロという人物については判っておりませんけれども、もし、政治権力を持つ有力者であったならば、権力に対して抗議するイエスの姿を見せたくなかったからだろうとも推測できます。
イエスのアタックキャンプは「オリーブ畑」であった、とルカがわざわざ付け加えているのは、そこが食事や寝床の準備もないところであったことを考えるだけで、設定に無理があることは明白ですけれども、そうしてでも、ベタニアからイエスを切り離したかったんでしょう。
【特にベタニアはよくない】
何度も言って来たことですけれども、ベタニアという村の名前は、普通じゃありません。ベート・アーニアという名前の意味は、「嘆きの家」です。伝染病患者たちを隔離しておくための村だった、と考えられているんです。ラザロ、あるいはシモンという名のマルタの兄弟は、重い皮膚病(昔の翻訳ではライ病)だったと書かれていることからも、この説は有力です。
多くの人が毛嫌いするに留まらず、まったく関係を持ちたくない、そんな村に、イエスは毎日戻り、そんな村で食事と寝床の世話を受けていたということを、ルカは認めたくなかったんでしょう。しかし、ルカが認めたくなかったまさにそのことをマルコ は強調して伝えているんです。
【ベタニアで香油を注がれた】
そんな「嘆きの家」でイエスが食事の席についておられた時に、女が非常に高価なナルドの香油をイエスの頭に注ぎかけた、というのがマルコが伝えた事件です。なぜそんなに高価な香油がこの村にあったのか判りませんけれども、それほど衝撃的な出来事であったことは伝わって来ます。
当然のことですが、弟子たちは怒りました。「なぜこんな無駄遣いをするのか。三百デナリ以上に売れば、貧しい人々に施すこともできたのに」と言ったらしいですが、なんか唐突に聞こえます。貧しい人々って、高級ホテルにも泊まれずに、嘆きの家で宿泊している自分たちのことのようにさえ思えます。とにかく、その怒り方も尋常じゃなかったんでしょう。イエスは女に助け舟を出して「この女は、ぼくに出来る限りのことをしてくれた。埋葬の準備をしてくれたんだ」と言いました。そんな言葉で弟子たちの怒りが治(おさま)るとは思えませんが、その言葉で女は十分だったはずです。
この時点では、イエスは殺されることを覚悟していたはずです。その状況を弟子たちは感じとっていませんでしたけれども、この女だけはイエスの気持ちを受け止めていたんだと思います。
高価な香油を、自分の老後のために残しておくこともできたはずです。しかし、そんなことよりも、女はイエスのために今できることをしたかったんです。いくらしてあげたいことがあっても、イエスが殺されてしまえば、何もできません。そんな切羽詰まった状況で、女は自分にできる精一杯のことをしました。側で見ているものには、異常にしか見えないことでした。けれども、女は大切にしている人間関係を極限の方法で表現して見せました。だから永遠の絵のように残っているんです。ところが、この香油は使われなかった、という、別のエンディングロールを想像したらどうなるでしょう。イエスが殺されてから何年も後に女も死んでしまい、寂しくなった家にカメラが入っていくと、部屋の奥に、ひっそりと残されているナルドの壺が映し出される。そんな場面を想像してご覧なさい。それほど悲しい映像はないでしょう。こんな最後になってしまえば、弟子たちが懸念(けねん)した以上に、残したままの香油を本当に無駄にしたことになります。ですから、イエスを受け入れた女は香油を無駄遣いしたんじゃなくて、自分にできる限りの最もふさわしい仕方で香油を使い切ったんです。イエスと女の関係はわかりませんけれども、周りでとやかく言うことじゃありません。女はイエスを精一杯受け止めていることをできる限り示しました。そこまでしてくれた女をイエスも受けとめた。これがイエスが作った人間関係です。これほど情熱的で真剣な生き方をあなたは受け入れることができるでしょうか。それとも弟子たちのように怒りを燃え上がらせるでしょうか。
【ぼくたちは】
この出来事を見た機会に、自分の生き方を、今一度問い直して見てはいかがでしょうか。