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「法は民を守る道具」20230219

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「法は民を守る道具」20230219

聖書 マルコ福音書 二十三〜二十八節

 

 イエスの弟子たちつまみ食いしていたことを厳格な律法主義者ファリサイ派の人から宗教的な意味で責められました。安息日に麦の穂を摘(つ)んだのは刈り入れ仕事をしたことになり、安息日に仕事をしてはならないという律法の基本を犯したことになるという理由で、代表者イエスは責められたのです。ぼくらにしょうもな言いがかりとしか思えませんが、律法を厳守する生活をしていた人は、些細(ささい)な行為まで律法の言葉に照らし合わせたのです。

 ファリサイ派の人々は、生活を判断する最も大切な規範は律法であると考えていたので、律法を文字通り守ること大切にしていたのです。

 ちなみに、聖書ではなぜか「律法」と訳されていますけれども「法律」です。

 団体生活に律法(法律)は必要ですけれども、これに必要以上の権威を持たせますと、律法そのものが大切にされるゆえに、集団に属する個人が軽視されることになります。現代でも、法律を運用するにあたって個人と集団の関係は、簡単に割り切れるものではありません。個々の出来事無理にでも決着させるために裁判制度が作られたのでしょう

 

【イエスの理解】

 これに対してイエスは、一番大切なのは人間であって律法ではなと教えています法律は、弱い立場の人を守るために作られたものだとイエスは考えていたからでしょう。そうだとすれば、イエスにとって律法、すべての物事の規範ではなくて、人間集団が円滑に機能して、そこに住む人々が無理なく生活できるようになるため一つの道具にすぎなかったのだと思います。

 今日の箇所で、律法に厳格な者が律法を厳格に守るべきではないか」とイエス問いかけたのですが、これに対してイエスは人は律法を守るために作られたのではなくて、人(特に弱い立場にいる人)を守るために律法定められたのではないのか」と問いを投げ返しました

 このように、ファリサイ派の人とイエスの律法に対する姿勢は完全に対立していますぼくはもちろん、イエスと同じように、法律は人を守るために作られという立場に立っています。しかし、律法は人間を超越したところ(すなわち神)から与えられたのだと信じ込んでいる人もいます。両者の理解はいつまでも平行線で理解し得ないでしょう

 決着がつく事柄でない以上、一方の主張だけが尊重され支配的になることは避けなければならないのですが、権力を背景に持っている方が常に優位を保っているのが実情です。

 

【民衆は二重苦を負わされていた】

 イエスが育った頃のユダヤの国民は精神的にはユダヤ教指導者の支配下に置かれると同時に政治的にはローマの威光を背景にしたヘロデ王朝の支配下に置かれていました。ですから、イエスの意見は通らなかったはずです。

 ある日、ファリサイ派(厳格な律法主義者)とサドカイ派(祭司など、神殿運営に携わっている人々)がイエスを罠にかけようとして、「ローマ皇帝に税金を納めることは律法に適っているかどうか」と問うた経緯(いきさつ)がマタイ福音書(二十二章十五節〜二十二節)に記録されておりますこの話では、イエスがいかに賢く答えたか、ということ今まで強調されてきました。しかしちょっと視点を変えてみますと、イエスは納税に関して意見を述べていないことが判ります。イエスはローマに対する税金も神殿に対する税金も、それぞれ決められた方法で収めればいいじゃないか、と言ったに過ぎません。ここから民衆ローマとユダヤ当局から税金を搾り取られる制度置かれていたという事実を汲み取れれば十分だと思います。

 

【既得権者が支配していた】

 イエスが活動した時代のユダヤの王はヘロデ・アンティパスが、その父ヘロデ大王ローマ帝国に取り入ってユダヤの統治を任されたのです。エドム出身のためユダヤ人でなかったヘロデ大王は厳密にはユダヤの王ではあり得ません。ですからヘロデはローマの権力を背景にその地位を勝ち取ったのでしょう。神殿の再建など公共事業に力を注いだので神殿中心の経済界には受けが良かったようですが、負担を強いられた民衆の反発あったでしょう。とにかくヘロデは民衆から選ばれた支配者でなかったことは確かです。神殿祭儀などの既得権を握っていたサドカイ派の宗教指導者たちも、ローマとヘロデ王の恩恵を受けていたはずです。

 ユダヤ教という宗教を軸にした国家の指導者たちが、現在と同じように、私服を肥やすために民衆から税金を召し上げていたならば、民衆の反感を買うのは当然です。しかし、宗教的伝統とローマの権力に守られている宗教指導者たちに歯向かえるほど(きも)の座った民衆はいません。抑圧された生活を長く続けてい民衆の多く反感を持っても、歯向かうほどの気力も出ないほどに洗脳されていたのでしょう

 しかし、洗脳教育などというものはいつまでも続ません。なぜなら、しょせん支配欲の強い人間自分の欲望を満たすために作った屁理屈だからです。真実じゃないものは必ず綻(ほころ)びが出てきます

 

【民衆が求める真実】

 伝統的な宗教教えに従って欲を抑えて神に仕えようとし生真面目なイエスは、自分の体験を通して、伝統的な宗教の教えや、社会の統治機構の綻びを見つけたのでしょう。

 庶民の生活こまごまとした作法を持ち込まれることに嫌気を感じていた庶民は、今日の物語からも様子が見て取れますように、目立たない所で思うがままに適当に振る舞っていたはずです。ところが弟子たちは摘み食いを見つかってしまいました。とは言え、歩きながら摘んだ麦の穂を手揉みして食べたくらいで律法違反だなんて言われた弟子たちはたまったもんじゃありません。しかし、宗教指導者に面と向かって歯向える弟子はいませんでした。そこでイエスが登場して、指導者たちに真っ向から歯向かいました。本当に大切にしなきゃならないのは、律法そのものではなくて、律法によって守ろうとしたであるとイエスは言い返したのです。もちろん専門家たちは納得しません。しかし伝統的な決め事に歯向かう者が出てきたことに驚いたに違いありません。既得権を脅(おびや)かす者が現れたので、指導者たちは総出で揉み消ためにイエス抹殺することにしたのです。

 

【ぼくたちは】

 庶民が騙されないために、危険を承知で、自分が理解した真実を表明したのイエスで偽の理論による支配を終わらせ、民に余計な苦悩をさせないためにイエスは世間のタブーを破って発言しました。日本の憲法よりも重要度の高いユダヤの律法について、イエスは伝統的解釈を根底から覆す発言をしました。人を飼い慣らすために律法が利用されないためです。

 さて、占領軍総司令部の指示で作られた憲法、本当に日本国民のために作られているのでしょうか。既得権者のために作られ運用されてはいないでしょうか。法は弱い人を守るために作られ運用されなければならないはずです。今一度検証し、本来の目的に即した法律を自分たちで作るべきだと考えます。

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