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「あれから四十年」20211226

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「あれから四十年」20211226

聖書 出エジプト記  

 

 今日で今年も礼拝納めです。早いもので、ぼくも西野バプテスト教会の牧師に迎えてもらってから十七回目の年納め礼拝を迎えました。

 一年間に五十週以上もあるのですから、牧師を一年間も続けられるか心配でしたので、とりあえず一年契約でお願いします、と言っていたのに十七年にもなり、自分でも驚いています。この間に八百五十回以上も説教しているのですから、似通った内容が多いことをお許し願います。自分でも忘れてしまって同じような説教を作るくらいですから、聞いてくださっているみなさんもお忘れになっているでしょう。ですから心配はしていません。いずれにしても、今日のお話は初めて聞きました、とばかりに時々驚きの表情を見せてくださいますので助かっております。みなさんの優しさに感謝です。

 とにかく、初めに抱いていた恐れはなくなって、福音を自分の言葉で表現できるようにしてくださったの西野バプテスト教会です。冗談抜きで感謝しています。

 西野バプテスト教会は今年献堂五十周年を迎えたのですが、この間に時代は変化して、教会に来られる方もめっきり減ってしまいました。

 聖書では四十年が節目の年として描かれていることが多いですから、すでに大きな変革を必要としていたのでしょう

 ぼく自身もバプテスマを受けてクリスチャンになってから五十三年ほどになりますが、十三年ほど教会から離れていたので、まあ実質四十年というところです。こじつけです。

 若い人が四十年と聞くと長いと感じるでしょうが、それほどでもありません。歴史の中の四十年なんてほんの一瞬です。それでも一人の人間にとって四十年節目であることは確かです。

 今日の聖書の箇所には奴隷だった人々を率いてエジプトを脱出した時、モーセは八十歳だったと書かれていました。モーセが自分の本当の使命を理解するためにはそれほどの時間が必要だったということでしょう。

 

【モーセの自覚】

 モーセは数奇な運命を辿った人です。奴隷にされていイスラエル民族が子孫を増やして強い勢力になるのを嫌ったエジプトのファラオはイスラエル奴隷が産む男の子を皆殺しにせよと命じたのだそうです。現代でも起こっている民族粛清(しゅくせい・ジェノサイド)です。なんとか難を逃れさせようとした母親の機転によって、川に流された男の子はエジプトの王女の一人に救われて、まさに川から掬(すく)い上げられ、モーセと名付けられ、王女の息子として育てられたのだそうです。

 エジプトで先端教育を受けたモーセは、大人になってから、自分の出自を、つまり奴隷にされている民族の出身であることを知ったようです。

 奴隷を追い使う人と追い使われる奴隷との間に板挟みにされたモーセは、人間が立場によってこれほど異なる扱いを受けていることに疑問を抱いたようです。

 ある日、奴隷が厳しく扱われているのを見かねて、仲裁に入たモーセは勢い余ってエジプト人を死なせてしまいました

 そのことが発覚し、命を狙われたモーセはエジプトの支配が及ばないシナイ半島の先端まで逃れたようです。知恵も体力もあったモーセは、逃亡先の地で家庭を築き、安住の地を得たようでありました。そんな期間が四十年ほど続いたようです。しかし、そんな地にまでエジプトで苦難の生活を強いられていたイスラエル民族の叫ぶ声が伝わってきたようです。居ても立っても折れなくなったモーセは、苦渋の選択をして、安住生活を捨て、エジプトに戻って行くことにました。

 このような出来事を、イスラエルをエジプトから連れ出せという召命をモーセが神から受けたという神話で表現されているのだとぼくは考えております。

 イスラエル民族をエジプトの圧政から解放するなどということは、確かに数奇な運命を辿り、精神を磨かれたモーセにしかできないことだったでしょう。俯瞰(ふかん)すれば、このような役割を担わせるために、神がモーセを産み育てたと言いたくなるのも判ります。しかし、自分の思いのままに人間を操(あやつ)る神がいるなどとぼくは思えません。

 モーセの出自も育ちも過ちも逃亡も人間のなせるわざ以外にあり得ません。モーセがとった行動の背景には、モーセに関わった人々の生き方が、影響していたはずです。

 モーセエジプトに戻って、支配者ファラオの前に出て、イスラエルの民をエジプトから去らせるようにと要求することができるようになったのは、モーセ一人の力ではなくて、複雑背景と経験があったからに違いありません。この時モーセは八十歳であったとしるされておりました。四十年という節目を二節も経験していたからこそ、かつては避けてきたファラオの前に堂々と立つことができるほどにモーセは成長していたのだと思います。

 綾小路きみまろ(あやのこうじ きみまろ)のギャグに、昔を懐かしんだ後で、現実を前にして「あれから四十年」というのがあります。

 モーセの場合は、エジプトを離れあれから四十年の経験を積んできたからこそ自分のあるべき生き様に気づき、自分の使命のために生きることができるようになったのだと思います。

 ぼく自身も、生き方や考え方が変わったわけではありませんが、教えられたことをそのまま覚えて伝えなければならないのだという呪縛から解放されて、自分の考えていることを素直に言えるようになるまでに、四十年以上の数奇な訓練を受ける必要がありました。

 言っちゃいけないのではないかと迷わずに、自分の考えを言えるようになったのは偶然ではありません人生大事な場面では、思っていることを言う必要があるのです。そうできるまでに、ぼく四十年以上かかったのです。

 

【ころころ変わるものを信じない】

 時代が変われば考え方も変わります。倫理道徳でさえも変わります。

 先の大戦後、七十六年前に学校の教科書に墨を入れた経験をお持ちの方は今ここにはられませんが、学校の先生が生徒にそんなことをさせた事実ははっきりと残っております。

 それまで教えてきたことを先生方は自己反省した上で、生徒に謝ったのでしょうか。そんなこともないままに、先生も上から命じられるままにそんなことをしたんじゃないでしょうか。

 ほんとうに塗り潰さなければならないものばかりではなかったはずです

 もしも現在同じようなことが起こったら、反発する人も多いと思います。しかし、都合が悪くなった所を墨で塗りつぶすなどという露骨で下手なやり方ではなくて、今は自覚させないように徐々に洗脳ていく方法採られている、とぼくは感じおります。

 

【批判なく受け入れてはならない】

 話は変わりますが、最近気になるニュースを耳にしました。子宮頸がんワクチンの接種を始めるというニュースです。二〇一三年四月から始められた接種は、副反応のリスクが大きかったために、二ヶ月後に積極的な接種奨励中止た経緯があるのですが、今はワクチンとの因果関係はなかったという報告のもとで、再開されました。かつて副反応だとされた事象を検証したとは思えません。ワクチンを本人負担なしで打つことにしました、というお振れに乗せられる人がなぜこんなに多いのか不思議です。

 最近の感染症に対するお注射の場合も、接種後に一三〇〇人以上の死亡実績があるのに、因果関係が証明されないという報告がなされているため、救済処置も実施されていないので。体内の細胞の中に入るワクチンは毒物検査で検出できるものじゃありませんから、因果関係を証明する方法が確立されていないのです。ですから、接種後に急な健康障害があれば因果関係有りと認めるべきです。そんな基本的な責任も取らない厚生労働省の言葉信じてはいけません。

 そうであるにもかかわらず、二回では効果が薄れてきますから三回目を打ちましょう。間隔が短くなっても大丈夫です、などと言っているのは製薬会社ですからね。そんな宣伝をを鵜呑みにしちゃいけません。本人負担がない分、一本円のお注射代金、全額税金から外国の製薬会社に支払われているんですからね。こんなことは不条理である国民一人一人がもっと自覚すべきです。

 何よりも情報提供の仕方を疑うべきです。なにせ大衆メディアには推進派だけしか登場しないのですから、専門家と称する人の言葉も信用できません。国民一人一人が公平な立場で決断する機会を奪われたままで、言いなりになっていては誤魔化されますよ。こんなやり方は、国民を扇動する方法だと見破って立ち止まるべきす。

 

【四十年を無駄にしない】

 すぐに書き換え可能な教科書や通達や報道なんか鵜呑みにしてたらあかんのです。自分で考えて信じ得るものを見つけるべきです。たとえば、戦前、戦中、戦後を通して算数の教科書は書き換えも黒塗りされなかったはずです。信じ得るものは何か、考えれば判るのです。立ち止まって考える経験を積む必要があるのです。

 子供たち流されることは避けられないとしても、四十以上の人は自分の責任でもっとよく考えるべきです。

 モーセに率いられてエジプトから脱出した人々は、荒野に出てすぐに水食べ物がないと騒ぎ出し奴隷生活の頃の方がよかったなど言い出して、モーセをリーダーの立場から下そうとしたのです。そんな苦難を乗り越えて、モーセカナンの地が見える所までどうにかたどり着きました。荒野で右往左往した期間は四十年だったといいます。あれから四十年、モーセは百二十歳力尽きてしまいました。人間責任をもって一つの仕事を成し終えるにはそれほどの時間必要だということでしょう。

 三十歳そこそこで自分の福音に辿り着いたイエスは、早咲きでしたけれど、過激さ故に数年後に殺されてしまいました。初代教会の宗教家たちはイエスを全ての人の罪の身代わりになって死んでくださった神の子に仕立てました。その教義がイエスの福音の的を射てなかったことに気付いたのはパウロやマルコです。こでイエスの生き様こそが福音であることを示すためにマルコが福音書を書いのは、イエス十字架で殺害されてから四十年ほど後のことでした。あれから四十年マルコが福音確証をもって語り出すはそれほどの期間が必要だったのでしょう出来事を照査し、自分たちの立ち位置を反省しならば、たとえ教えられてきた常識に反することになろうとも、自分が感じたことを、自分の言葉で表現する。それには四十年以上の時が必要だったのでしょう。

 

【ぼくたちは】

 「あれから四十年」それぞれの経験を積んできたぼくたちも、自分の使命を自覚し、自分の意見をはっきり言える者になりましょう。

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