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「女は男の一部か」20231022

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「女は男の一部か」20231022

聖書 創世記 十五節~二十五

 

 前回は旧約聖書の最初に置かれている創世記の章四節~九節を読んでもらいました。続く話に入る前に、簡単に振り返っておきましょう。

 二章四節に「これが天地創造の由来である」と書かれているのは、これから天地創造物語を始めます、という意味ですから、創世記一章の作者たちとは違うグループが書いた天地創造物語だよという意味です。

 「『主なる神』(ヤハウェ)は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き込んでかした」と人の創造を躍動的な神話にしています。主なる神は人をエデンの園に住まわせたとありますが、ここを、美味しいものを食べて好きなことだけをして暮らしていける所だと思っているとすれば勘違(かんちが)いです。「主なる神」(ヤーヴェ)は自分のエデンので働かせるためにアダムを連れて来たのです。

 この神話の作者たちは、神と人が完全な主従関係であるという自分の頭の芯(しん)に染み込んでいる考えを、すべての読者の脳みその中心に送り込もうとしているようです

 作物を自由に食べることをアダムに許した主なる神は、園の中心にある「善悪を知る木」にだけは触ることさえ禁じました。主なる神はこの木が一番好きだったのかもしれません。

 この物語についてぼくたちの教会で話し合っていましたところ、この神話の主なる神は、とても意地悪だ、という感想で全員一致しました。

 園の中には、見るからに美味しそうな実のなるがあったようですが、特に中心の一つには触ることさえ許さなかったのです。それほど大事な木ならば金網で覆っておけば良かっただろう、という意見も出ました。

 

【原罪は概念の一つ】

 キリスト教はユダヤ教を基礎にしていますから初めの人アダムが神の命令に従わなかったからエデンの園を追われて、苦しい生活を送るようになったという教えを共有しています。しかし、この時点で、神に対する不服従はアダムの罪(ましてや原罪)だなどと聖書は表現ていません。

 原罪という概念を持ち込んだのは、初期キリスト教の教父とされているアウグスティヌス(三五四年〜四三〇)だと思われます。この伝統を現代の教会も受け継いで、この根源的な罪から人類解放するためにイエスが十字架で死んでくださった、と教えていますが、認め難い神学です

 実は、「罪」という言葉は、アダムの長男カインが弟アベルを殺す場面(創世記四章七節初めて登場するのです。人を殺害するような行為を罪と呼んでいるのだとすれば、神話に登場する主なる神への不服従を、単純に「罪」などと解釈すべきではないとぼくは考えます。まあ、このような勘違いや錯覚多いのは、神学が神話を基に作り上げられているからだと思われます

 今日は「罪」という概念を取り扱うつもりではありません。先週の続きとして、男と女について考えてみましょう

 

【女の創造】

 先週は人(アダム)が土(アダマ)で作られたという神話を紹介しました。これだけでは人間の創造とは言えません。アダムには相応しい相手が必要だと感じた主なる神は男(イーシ・男性名詞の人から肋骨(あばらぼね)を取って、それを肉で覆って女(イシャー・女性名詞の人)を作って、男に引き合わせたのだそうです。すると、男はこの女を気に入って、二人は結ばれたのだそうです。そして、男が親元を離れて女と結ばれることの起源がここにあるのだと説明しています。これらを、LGT的に問題であると感じる人がいるかも知れませんが、聖書の古い記述ですから、お許しいただくほかありません。

 この神話は、女は男の一部なんだから男に従属すべきであると教えているのでしょう。このよう主張をしている著者を擁護するつもりはありません。とにかく、この神話では、男と女がいて人間の最小社会(家族)ができているのです。

 ところで、なんで肋骨だったんだろう、いう疑問も出ましたが、骨折してもほっとけば治るような骨だから一本取っても生活に支障ないと思ったんだろうという意見でまとまりました。

 

【誘惑に弱い現実を利用する神話】

 つづく三章には、蛇が女を誘惑して禁断の木の実である善悪を知る木の実を食べさせる物語が語られます。蛇を嫌いな女が多いから、悪役に蛇が選ばれたんでしょう。また、女は誘惑に弱いもんだとも言いたかったんでしょう。さらに男が女に誘惑されやすいことや、誰もが自分の不祥事を他人のせいにして責任逃れしようとする現実が物語に投影されているのでしょう。このように実際の社会現象を上手く利用して自分たちの主張を神話にしたのだと思います。しかし、常識的に考えれば「女が男の一部」ではありません。

 

ぼくたちは

 ですから神話の神を現実にいる神のように考えないでください概念の神御伽噺(おとぎばなし)の神だと考えて創世記を読めば、神話の意味は単純に理解できす。

 宗教家は、神話の垣根を越えて、神を実社会に持ち込んで、神が実在するかのように錯覚させて、神話の神の言葉で呪いをかけるように庶民を扇動します。んな宗教を金と力で思い通りに操(あやつ)る政治権力者もいます。彼らが見せる幻想に惹かれないように注意してください。

 ぼくたち一般庶民が平和や幸せを手にするためには、過去の歴史を牛耳って来た神話や、神話を教えて来た宗教や、宗教を利用し操って来た権力者たちの、心憎いほどに上手な口車に乗せられないようにすることです。そのためには、物事を一般常識的、堅実に考えればいいのです。

 今のこんな世の中であなたの資産を増やす方法を教えますなどという言葉に出会ったとすれば、常識的に考えて、あなたを食い物にしようとしている者の言葉だと気づけばいいのです。また覚えもないことであなたを責める人や、「あなたには気づいていない負債があるので、すぐに返済しなければ、負債額がどんどん膨らみますよなどと脅す人がいても、自覚のない罪や負債ビクビクしないことです。おとなしい善良な庶民を餌(えさ)にしようと狙っている悪いやつらがいっぱいいるのが現実だからです。

 あなたが誘惑されやすい人だからと言って、あなたを罪人扱いする人間は実在します。しかしそんなことであなたを罪人扱いする神なんか実在しません。ぼくのこの言葉は、宗教家が作った神話の神の言葉より真実に近いと自負しております。

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