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「占領地のマリアは事件を喜びに変えた」20231210
「占領地のマリアは事件を喜びに変えた」20231210
聖書 ルカ一章二十六節~三十八節
ウクライナとロシア、パレスチナのガザとイスラエルの庶民のように、判らないうちに戦争状態に巻き込まれ、何年も何ヶ月も危機的な状況に閉じ込められている人々がいるように、日々の生活で多くの人は悩んでいます。いのちの危機に直面していないぼくら日本人にも日々の悩みはあります。
こんな時にクリスマスを祝っている場合じゃないかもしれませんが、こんな時だからこそ、イエスの誕生について考える意味があるとぼくは思ったので、あえて取り上げました。
【マリアへのお告げは事件】
さて今日は、マリアが処女のままで妊娠するというお告げを天使から受けた場面を読んでもらいました。このような出来事はあり得ません。
このような神話をルカが書いた背景には事件があったのです。事件の背景には「未婚の乙女(おとめ)マリアが妊娠した」という事実があります。
妊娠することを事前に天使が伝えたことにして奇跡物語は始まっているのですが、順序が逆転しております。すなわち、マリアが妊娠したという事実が先にあるのです。もちろん、未婚の女性が妊娠したからには、それより前に、マリアは性的暴行を受けたという事件があったのです。ですから、天使のお告げなどという綺麗な話の裏には、マリアが襲われた、という実話があったのです。
戦争中にも占領地においても、レイプ(強姦)事件が多発しています。そして当時のユダヤはローマの支配下、属国だったのですから、何があっても不思議ではありません。突然に天使のお告げを受けたというのは、誰かがマリアを突然に襲ったということです。
現代でもこんな事件を公表することは難しいのですから、当時の乙女マリアはどうすることもできなかったのです。避妊薬を投与してもらうこともできませんし、中絶することもできない時代だったのです。何よりも、マリアがこのような事件に遭遇したことが世間に知られれば、事件を起こした犯人ではなくて、被害者マリアが処刑される危機にあったということをマリアは恐れたのです。
婚約者ヨセフに相談することもできなかったマリアは口を噤(つぐ)んだままどうすることも出来ずに、途方に暮れていたはずです。
しかし事件に遭遇した後、数ヶ月もすれば、マリアは妊娠していることを隠せなくなります。それに気づいたマリアの婚約者ヨセフは、マリアを糾弾せずに、密かに離縁しようとしたという記事がマタイ福音書にあるほどです。キリスト教が誕生して勢力を持ってからは、このマリアは聖母マリア様と崇(あが)められるようになったのですけれども、この時点ではただの乙女(おとめ)マリアです。
奇跡物語においては、天使の告知を受けたマリアは、すぐその場で告知された内容を受け入れたかのように描かれておりますけれども、そんなことあり得ません。想像できないほどの苦しみを味わい、マリアは一人で悩むことしかできなかったはずです。
奇跡物語は綺麗な神話にまとめられていますけれども、その裏には、このようなマリアの実話が隠されているのです。常識的に読めば、このような実話が見えてくるはずです。
言葉にしにくい出来事はいっぱいあります。しかし、どんな言葉を使おうとも、聖書には事実も書き込まれています。なぜそんなことが起きるのかと言えば、長い歴史を通して育まれた人類の知恵によって聖書が編纂されているからでしょう。
事実を有りのまま書けなくても、方法を駆使して、書き残されたものがあるならば、不用意に読み過ごさないように注意する必要があります。理性的によく読めば事件性に気づけるはずです。
【事件を御伽噺にしてはいけない】
奇跡物語や神話やメルヘン(御伽噺・おとぎばなし)が好きな人は多いですね。「私も天使が語る言葉を聴きたい」と、状況をよく把握できない若者なら、言うかもしれません。しかし、天使のお告げなんて、ぜんぜん喜べないものばかりです。
奇蹟物語の中でさえ、誰にも相談できないことを押し付けられたマリアが喜ぶはずありません。
ルカによる福音書を読んでいると、天使のお告げを聞いた後、マリアはすぐに受け入れたと書かれていますけれども、そんなことあり得ません。本当はものすごく長い期間が必要だったと書くべきでした。「はいわかりました。よろしくお願いします」と、答えた筋書きには無理があります。
マリアのお腹の子の親を知っているのはマリアだけです。誰も、こんなことを快く受け入れられるはずがありません。きれいな信仰的なお話しだと思って、読んでいるから、その中にあるすごい事実を見逃しているのです。聖書記者たちが伝えたいと思っていることに気付くためには、ものすごいことは、ものすごいこととして読めばいいだけです。
妊娠期間は十ヶ月と十日です。普通の妊娠でも悩む人がいるはずです。しかもマリアは予期しない事件に巻き込まれて妊娠したのですから、そんな事実を綺麗な御伽噺で隠し切ることはできないのです。
【苦悩の末に】
マリアは何ヶ月も悩んだ末に受け入れたに違いありません。受け入れざるをえなかったからです。アリアは誰にも事実を伝えないままで子を産む事にしたのです。綺麗な御伽噺にしとけば良いよって言う人もおりますけれども、ルカ福音書の著者もそんなことを望んでいないでしょう。あっちゃいけない事件がイエスの福音が始まる素地を作ったということだからです。このことをぼくたちは決して見逃してはいけません。これこそイエス誕生の物語が伝えている重要な事柄だからです。
【ぼくたちは】
イエスが生まれたような事件が現代に起こっても誰も喜ぶはずありません。しかしそのような事件から多くの人が救われる出来事が始まっているかもしれないとなれば話は別です。
苦悩を引き受けることしかできなかったマリアがメシアの誕生を可能にした事実をルカが伝えたのだとすれば、メルヘンでは表しきれないマリアの強い覚悟を読み取るべきです。
マリアが覚悟して、めちゃくちゃな現実を受け入れる事ができたのは母の強さでしょう。
救い主はきらびやかなところじゃなくて、ガザのようなところに産まれる、と先週言いました。喜べない現実、マリアという女の尊厳を踏み潰した事件をそのまま受け止めたマリアがいたから、後に福音を伝えたイエスが誕生したのです。こんな話をメルヘンにしちゃだめです。
マリアは現実を、そのまま受け止める事によって、自分に起きた事件を皆が喜べる出来事に変えたのです。そうだとすれば、ぼくたちも、めちゃくちゃな現実をそのまま受けとめることで、事件を喜びに変えることができるかもしれません。