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「アナザーストーリー第二話”マリアの目線”」20221211
「アナザーストーリー第二話”マリアの目線”」20221211
聖書 ルカ福音書 一章二十六節〜三十八節
先週は苦悩したヨセフについて考えました。今週はマリアの苦悩について考えます。
それにしてもなぜ人間は、このように苦悩するんでしょうか。誰も悩みたくないのですが、ひとつの悩みが解消したかと思うと、別の悩みが見えてきます。常に次々に悩み苦しむ事態に陥(おちい)るものです。このような状態になるのは嫌なんですがしょうがありません。悩み苦しまない人なんかいないんですから、そんなもんだと諦めて受け入れたほうがいいです。
【苦悩は空腹のようなもの】
誰でも苦悩するということは、誰でもお腹が空くということと同じようなもんです。お腹が空くから食べたくなる。食べたい時に食べ物を手に入れることができてそれを食べると、喜びが湧き上がります。嬉しくなるのはお腹が減っているからです。お腹いっぱいで何も欲しくない時に食べろって言われたら嬉しいどころか苦しくなります。お腹が空いてることが、食べ物を喜べる条件なんです。それと同じように、苦悩している時に解決策が与えられるとか、助けられるから喜べるんです。
苦悩することは、救われる喜びを感じるための条件です。苦悩があるから救いを喜べるのです。そうだとすれば、苦悩することは悪いことじゃなくて、人間生活に必要なことです。お腹が空いたから食べる、これを繰り返しているように、苦悩して救われるという繰り返しの中でこそ人間は生きている喜びを感じるのです。
腹が減っても食えないとか苦悩しても救われないという経験が重なれば生きている喜びを感じることはできないでしょう。ですから少しずつでも生活を改善して行くことが必要であることは確かです。
【子に苦悩させたい親はいない】
さて、マリアとヨセフは苦悩して、イエスを生み育てました。苦悩している両親のもとで生まれ育ったイエスも非常に苦悩しました。なぜそこまで判るのかと疑問に思われるでしょう。しかし、想像するのはやさしいことです。なぜなら非常に苦悩したのでなければ、青年期に荒れ野で修行なんかするはずないからです。
一般的な生活ができる親のほとんどは我が子の幸せを願っています。我が子が苦しめばいい、などと願う親はいません。そうであるにもかかわらず、ヨセフの助けを受けたマリアがようやく産み落としたイエスは、苦悩しました。ユダヤに住むマリアの子、という宿命を背負っていたからでしょう。
十分満足できる生活を送っていたとは思えません。イエスの本当の父はヨセフではない、という噂が囁(ささや)かれ、後ろ指を刺されていたでしょう。現代ならツイートで流された噂のために、差別されいじめられるように、イエスは小さい頃から苦悩していたに違いありません。
【暴力的な天使のお告げ】
ところが、ルカ福音書の著者は、マリアの実際の苦しみから目を逸らすかのように、突然に天使を登場させました。マリアは天使ガブリエルから『おめでとう、あなたは妊娠して男の子を産みます』というお告げを受けたと書いています。
マリアは神から選ばれ祝福されたんだ、というのが今までの解釈です。しかし、現代的に読むと、天使による性的いやがらせ(セクシュアル・ハラスメント)にも思えます。というのは、天使は一方的に通告しているだけだからです。「主はあなたと共におられる」だなんて、迷惑です。マリアの了解もなく勝手に選ぶなんて理不尽です。未婚の女性に、一方的に「子供が産まれる」と告げただなんて、天使の言葉は暴力的です。「未婚の母になる」と言われたマリアは想像を絶するショックを受けたはずです。
「わたしに夫はいません」とマリアは反論しましたが無視されます。「神にできないことはない」という有名な言葉は、「神はお前のために何をすることも可能なのだから、何でもしてくださる」というような意味じゃありません。優しい言葉が語りかけられたのだと多くの人は思ってきたでしょうが、勘違いです。「お前の状況に関係なく、神は何でもできるんじゃ」という意味だと捉えるべきです。神は何でも思い通りにすることができるという、相手を無視した高飛車な姿勢です。夫のいないお前にでも子を産ませることができるのだ、などという意味だとすれば、そこには優しさなど微塵(みじん)もありません。全く反論を許さないで「神は何でも自分の思い通りにするんじゃ」ということです。
なんでそんな身勝手な言葉の通りに動かされなければならないんでしょう。婚約者ヨセフの子を産むのではない、と言い切っているんです。こんなことヨセフにも説明しようがありません。あってはならない出来事です。こんなことを押し付けるほど横柄にふるまえるのは天使くらいのもんです。
天使からお告げを受けたなんて弁明しても、誰も信じませんから、マリアはひとりで苦悩するしかありませんでした。
妊娠が目立つようになるまでに数ヶ月ありますから、マリアは一人で数ヶ月悩んだに違いありません。絵画でも、物語でも綺麗に描かれていますけれども、そんなもんじゃありません。
先週も言いましたように。マリアは自分の責任ではないのに死刑にされる危険な立場に追いやられたんですから「はいわかりました。よろしくお願いします」などと答えるはずありません。これは出来事をうやむやにするためにルカが作った神話です。
【マリアの実情】
「誰が親なのか判らない子供をマリアが妊娠している」という現実だけが先行して、マリアは誰にも相談できない数ヶ月を過ごしたはずです。理由の如何(いかん)にかかわらず、マリアが妊娠していることは変えようのない事実でした。マリアとヨセフは、事実を受け入れざるを得なかったのです。
いくら信心深い人でも、こんな事を受け入れたくありません。しかし、マリアは受け入れざるを得なかったのです。これは、美しい御伽噺(おとぎばなし)じゃなくて、ドロドロの現実だから受け入れるしかなかったんです。この事実が大切なんです。ルカのように神話にしてしまっては事実が覆い隠されてしまいます。クリスマスに伝えなければならないのは苦難の事実です。
マリアは信仰深い答えを返したのではなくて、強大な権力には従うしかないでしょう、と言ったはずです。嫌だけれども受け入れてやると開き直っているようなもんです。もちろんお祭り騒ぎできる状況じゃありません。
【ぼくたちは】
世界中で戦争や紛争が起こっています。属国扱いされている国もあります。奴隷扱いされている人もいます。そんな状況下で、今も、マリアのような女が、複雑な宿命を背負ったイエスのような子を産んでいるはずです。しかし、たとえ劣悪な環境の下であっても、子どもたちを育てる人々がいるから、世を救う人も出てくるのでしょう。少し贅沢なものを食べて、自分たちの間で、プレゼントを交わして、お祭りしている場合じゃありません。神話を振り払う強さと、現実を見る目を養いましょう。