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「自分の決めた道を行ってください」20200607

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「自分の決めた道を行ってください」20200607

 

聖書 創世記  

 

 わたしは糖尿病ので、カロリーを考えながら食べる量を調節しなきゃならない、というのが毎日の悩みであります。というの、ぼくは食べることが好きだからです。

 人が生きていくために必要な熱量というのは2000キロカロリー程度です。食物を口から摂取するという方法で、生物としての命を維持できるということになっております。

 その他に、社会的な生活において消費する電力などのエネルギー消費量というものもあるのですが、それは別の話です。社会によっても異なります。

 その程度のカロリー摂取で生きていけるんですが、そんなぼくでも、いろんなことを考えて、行動に移したりします。

 ところで、ぼくの考えている数々のことを解析して、それをぼくの生活に反映させるということを機械にやらせるとすればどんなことになるとお思いになりますか。

 最新最先端のスパーコンピュータや化学工学技術を用いても、ぼくの一日を再現するとなると、非常に困難なことであるはずです。というよりも、現状では不可能でしょう。

 様々なことを考え、想像し、様々な行動を起こすことを、スーパーコンピュータ肩代わりさせるだけで、膨大な電気が必要になるはずです

 しかし、ぼく自身にそんな電力は必要ありません。口から食物を摂取するだけで成し遂げることができるんです。

 すごい能力を持っていることがわかります。生物としての人が持っている能力の高さは計り知れません。あるSFの中で、人は原発数個分の発電量持っている、という言葉を聞いたことがあります。表現は違いますけれども、原発数個分の電力を必要とする作業を、人はいとも簡単にしている、と言えそうです。もちろん、生きていればの話です。死んでしまえば、何もできません。とにかく、生きている生物が持っている偉大さ、というものを感じます。

 夏場に飛んでくる小さい蚊のことを考えてみてもわかりますでしょうあの大きさで、自由に飛び回ることができるんですからね。

 しかも栄養源になる人間の血を吸うために、人間を見つけて、こっそり近寄って、毛細血管を探り出して、針を刺すなんてことができるんですから、すごいことです。あのように物を飛ばすには、どんなに大きいコンピュータが必要でしょうか。そんなことをあんなちっちゃい頭のどこで考えておるんでしょうね。不思議ですね。まあ、これも生きている間だけにできることです

 最近ドローンは小さくなりましたけれども、まだまだあんなふうにはいきませんね。

 人間一人が想像し行動することや一匹の蚊が行動することを科学技術で作り、運用させようとすると、膨大なエネルギーが必要だというのが事実です。

それを小さなエネルギーだけでやってのける。生物というのはすごいものだと感心します。換言すれば、ぼくたち人間は、たかが2000キロカロリーほどを摂取するだけで、とてつもなく大きいエネルギーを作り出している、そう言えるんじゃないか、と思います。

 とにかく、生物というものは、エネルギーに換算すれば、とてつもなく膨大な量に匹敵する仕事を、ほんの少しのカロリーを摂取するだけで実行しているということです。まあこれも生きている間にしかできないことです。

 このようなことから、生きているということは

すごいことだと判ったように思います。

 今世界中の話題の中心になっている新型コロナウイルスにしても、細胞は持っていないようなんですが、人に取り付いて、人の細胞の中で増殖するんですね。やっぱり生きているんですね。死んだらふえられないので害はありません。生きているか死んでいるか、この違いはウイルスにもある訳です。同じ物体でも、生きているか死んでいるかで全然違うんですね。

 この違いが何なのか、本当に全然わかりませんけれどもとにかくというものはすごいエネルギーなんじゃないかと思います。

 

【いのちの息】

 土(アダマー)で人(アダーム)を形作り、神がいのちの 息を吹き入れたので人は生きるものとなった。(創世記二章七節)創世記の著者は書いています。詩的表現でが、そうとしか言えない現象だったんでしょう。とても上手い表現だと感心しました。いのちが 地上で生まれたのか、宇宙のどこかから飛来したものなのかわかりません。しかしとにかくすごいエネルギーの塊のように思えて来ました。

 このように大きなエネルギーを受け継いでいく個体はこのエネルギーに耐えきれなくなるんでしょうか。すぐに壊れて使い物にならなくならないために、細胞単位で分裂や増殖をして命をながらえるように工夫はしているんですが、それでも全体として維持できなくなる時が来ます。それが死と呼ばれるものでしょう。地球に存在している物質を利用するしかないという制限の中では、これはしょうがないことのようです。経年劣化のために命が支えられなくなると、個体は死んでしまいます

 電源が切れればコンピュータが止まってしまうというのとは違いまして、命を支えきれなくなった人(ハードウエア)の方が壊れてしまうようなことじゃないでしょうか。

 手術の時に心臓の動きだけを一旦止めて、電気ショックで再稼働させることぐらいはできるようになりましたけれども、人は人間が作った簡単な機械のようなもんじゃないので、命を入れたり切ったりはできません。いのちのエネルギーが完全に抜けてしまえば、亡骸(なきがら)になってしまうだけです。

 命は、個体が生きている間に、次の個体を産んだりして命を引き継がていくしかできないようです。頼りない方法のように思うかもしれませんが、この方法で、生物は三十五億年ほどもいのちを繋いできた実績を持っているので、ぼくらが心配する必要はなさそうです。

 

【エーアイは命を継げない】

 アップロードという最近のドラマでは、死ぬ前に、人間の脳のデータをコンピュータに送り込、つまりアップロードする企業が出て来ます。個人の意識はコンピュータの中で生き続けるという設定です。

 脳の働きをコンピュータに替わってもらえる時代が来るかもしれません。でも、これは意識を分離するだけの話です。意識をメモリーに保存しておくことができる時代が来ても、いのちという生物の膨大エネルギーを受け止めることができるような人工物はできないでしょう。

 そんな膨大なエネルギーであるいのちを生物はつないで生きて来ました。新しいいのちが生まれた、などと言いますけれども、全く新しくいのちが生まれたわけじゃありません。生物は、いのちを受け継いで生きているだけです。そして、次の身体にいのちを受け渡した後は、死んでいく。これは、数十億年も続いて来たことですから、これを変えることはできません。自然の成り行きです。

 生と死に理由を付け、評価や判断を付ける人がおりますけれども、生と死に善も悪もありません。

 なぜか善悪の判断を持ち込んで、死そのものを悪と教えたり、死は悪の結果だと教える人がいますけれども、生や死がなんであるかもわからない人間に、そんな判断はできません。

 

【疑問から生まれた神話】

 大好きなおじいちゃんもおばあちゃんも死んでしまうのは「なぜなの」という子どもの問いかけに応えるために、神話は生み出されたんでしょう。

 創世記の著者も、現代の宇宙科学者と同様に宇宙が存在する理由を知りません。

 目の前にある事実を説明するために、神話を作っただけでしょう。

 自分を作ってくださった神様の言いつけに背いたから人間はみんな死ぬことになったんだよ、と神を登場させて説明したでしょう。

 「なぜなの」という子どもたちの問いかけに、判らないと言えなかっただけでしょう。親の言いつけに背けば罰を受ける。そんな家庭生活をしていた人が考え出した神話に過ぎません。

 

【現実を観察すれば神話を払える】

 なぜ、こんな神話がそのまま信じられているんでしょう

 神が全宇宙を想像したという話は、人には絶対知り得ないことです。ですから、誰かが作り出した物語です。神を登場させたのは、人間です。

 神話の神が罰を与える神であるのは、神話を作った人間社会が、上からの言いつけに背く者には罰を与える社会であった、というだけのことです。

 どの国神話であっても、神について語っているのは人間です。それぞれの国の神話に登場する神が、それぞれの国に生活している人の特徴を持っていることが、神話の神が人によって作られたことの証拠です。そんな神話に、捕らえられている必要はありません。ところが、そんな構造の社会に生まれ、神話を聴いて育った人は、そんな基本的な思考から抜け出すことは、本当に難しいようです。刷り込まれた考え方を振り払うことが難しいことはわかりますけれも、神話が現実離れしていることを見れば、神話の世界観から抜け出すことはできるはずです。

 神話に囚われた状態から抜け出して、自由になるために必要なことは、現実を見ることです。事実を見れば、事実に基づかない価値観や先入観に縛られなくなります。

 現実を観察することから宇宙を知り、聖書の宇宙観から解放されたように、太陽系を含んでいる銀河の他にも銀河があって、それらが遠ざかっていることに気がついてからまだ百年ほどにしかなりません。しかし、それが先入観を払い退けたように、事実を観測すれば、神話を払い除けることができます。

 人は罪深いものだと教えて、精神に大きな影響を与えて来た神話を払い除け、神話の束縛から解放されることができれば、人は幸せに近づと思います。善人にも悪人にも陽は昇り、善人も悪人も災いに遭いますから、因果応報の商売人のような神はいません創造主の意図などありません。創造主の意図を語る人は、偽善者か、良くても妄想家でしょう。

 

【ぼくたちは】

 だからぼくらは神のことを言わずに、イエスのことを語ります。なぜなら、イエスは、神話に囚われていた自分を神話から解放することに成功した人だからです。その体験を元に福音伝えたんです。

 善いことも悪いことも、いっぱいあるけれども、そこに神による評価など存在しません。イエスのように、そう言い切ればだけです。そして神話に囚われている頭を解放してあげましょう。あなたを裁き、ダメだと評価する神などいません。あなたを裁く人はいるでしょう。そんな程度です。あなたは自分が決めた道を堂々とんでください。

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