説教の題名を押して下さい
「イエスは自分の言葉を語った」20200705
「イエスは自分の言葉を語った」20200705
聖書 マルコ 一章十四、十五、二十一、二十二節
「『神』は、神話の中でのみ、台詞(せりふ)を語ることができるキャラクター(出演者)にすぎない」のであって、現実の世界に神は存在しないのですから、神が生活の中に出てきて語りかけることはあり得ない、ということを、アブラハム、モーセ、イエスの物語を通して、三週連続で話してきました。
いくらこんなことを言われても、神の存在を捨てきれない方もおられます。ほとんどの人が、効き目があるとは信じていなくても、お守りを捨てることができないのです。それほど、見えない力に対する怖れが、人々の心の奥深くに潜(ひそ)んでいるということです。そのような呪縛(じゅばく・心理的に心の自由を失わせること)の中で、自分がしたいことをすれば見えない力の意思に反するんじゃないか、と心配している人が多いように思います。
だから、占いに頼ったり、お祓(はら)いを受けて、自分がすることに、少しでも保証を得たい、と人は考えるんでしょう。しかし、自分のすることに保証を与えてくれる神(見えない存在)はいません。
他人と共同生活している人間にとって、他人に害を及ぼすようなことは決してしちゃいけません。しかし、通常の生活をする中で、自分のしたいことをしたり、考えることは罪じゃありません。
事の善悪など、人には計り知り得ないんですから、正しいと確認できることだけをしようと思っていると、自分が望むことなんか、いつまで経ってもできません。だから、少しゆとりを持って身構えて、自信を持って、自分のしたいことをやってみなさい、とぼくは言いたいだけです。
【イエスは従順な人じゃなかった】
「十字架の死に至るまで、神の御心に従順に従ったので、神はキリストを高く引き上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになった」(フィリピ二章八、九節)と言われたりしていますけれども、それは教会が作り上げたキリストの虚像です。
生身のイエスは、神様の声に聞き従った人じゃありません。イエスは神からの召命の言葉を聴いたから行動した訳じゃありません。イエスは自分で考え行動した人です。そうであるならば、イエスはなぜマルコ福音書が示してくれているような生き方をなさったのか、と不思議に思われるでしょう。その謎の答えを求めて、今日も、イエスの生き様を、別の角度から掘り下げてみることにいたしましょう。
イエスは荒野での修行を完璧にこなして、卒業したように思っているクリスチャンは多いと思いますけれども、そうじゃありません。イエスは修行僧のような生活を完全にやめて、街に入って庶民の生活に戻ったことから判るように、イエスは荒野での修行を「もうやめた」って途中で切り上げたんです。荒行(あらぎょう)を克服した賢者が、以前の生活に戻ることなどあり得ない、ということと照らし合わせれば判ってもらえるでしょう。街に戻ったイエスは仲間を作って、飲み食いしているんですから、荒行なんかじゃ救われないと悟ったイエスは修行を捨てたんです。
そんなイエスに、一時は師と仰いだバプテスト・ヨハネが、官憲に逮捕されたという悪い知らせが届きました。
「ヨハネが捕らえられた後」、ガリラヤへ行き、神の国の福音を述べ伝えて「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」とおっしゃった、とあります。「ヨハネが捕らえられた後」とマルコが明言していることから判るように、これがイエスにとって大転換機になったんです。
もともと、イエスは人々の前に出て話したいとか、注目を集めたい人じゃなかった、と思います。しかし、この事件をきっかけに、しょうがなく、人前に出て話し始めたんでしょう。
ヨハネが捕らえられた理由は、当時のユダヤの支配者ヘロデの私生活を批判したからだという逸話が載っておりますが、そんなことだけで捕まった訳じゃなくて、もっと深い別の事情があったと思います。ともあれ、ヨハネが捕らえられたということは彼がしていた活動が途切れてしまうことになります。そこでイエスが表舞台に出てくるようになったんです。そうは言いましても、ヨハネと同じような活動を引き継いだわけじゃありません。街の中での一般人の生活に戻ったイエスは荒野には行きません。ヨハネが活動していた場所に囚われてはいませんでした。首都エルサレムから離れて、住み慣れた自分の生活の場、つまりガリラヤに行って、独自の活動を始めました。ただし、イエスは、ヨハネの下で修行生活した経験があるだけです。当時の民衆より格段に優れた学識を持っていたとは考えられません。要するに、自分を売り出す特徴を何も持っていなかった。選挙の立候補者について言う言葉で言い換えれば、地盤、看板、カバンがなかったということです。
当時からの教えの規範であるいわゆる旧約聖書はありましたが、それらを駆使できるほどの知識もなかったからでしょう。律法にもよらず、学識にもよらず、イエスは、自分が理解したことを自分の言葉で話し出しました。それしか出来なかったからでしょう。とにかく、イエスは、何の権威にもよらず、自分の言葉で語りました。
【宣教開始の言葉】
イエスの初めの言葉はとても有名です。「時は満ちた。神の国は近づいた、悔い改めて、福音を信じなさい」とイエスは言いました。
さて、どういうことなんでしょうか。多くの学者や説教者が悩むところです。短い言葉ですけれども、一つ一つの言葉に分解して、その背景などを語り出すと、説教のネタとして、いくらでも語ることができそうです。はっきり言って、分析しようとすると、わかりにくい言葉ばかりです。なので、今日はこれらの言葉を細かく分解せずに、全体として考えてみましょう。こんなふうに言いますと、全体をまとめて解りやすく説明してくれるんだろうと期待なさるでしょうね、ところが、やっぱり解りにくいんです。
結局、判らんのかいな、とガッカリなさらないでください。答えは、「わからない」ということで良いように思います。判らないものはわからないんです。イエスはこんな言い方をすることしかできなかったんだ、ということが判っていただけたら十分です。
当時の人々が教えられていたことは、宗教に邁進することによって、神に近づきたい、とか神に認めてもらえるようになりたいとか、死んだら神の国に入りたいとか、そういうことのためにどうしたらいいか、というようなことです。神に喜んでいただくために、宗教教育を受けていたはずです。
ところが、イエスはいきなり「神の国は近づいた」と言ったんですから、もう初めから訳の判らないことを言ったんです。常識のある人やちょっとでも学のある人なら言えないことを口にした、ということです。さらに、「悔い改めて福音を信じなさい」なんて言ったんですが、何を悔い改めろ、と言っているのかも解りませんし、福音を信じなさい、と言われても、何が福音なのかも解りませんから、何を信じていいのか判らないんです。要するに、イエスの言った言葉は、当時の宗教の教えに深く影響されていた人々にとっては、全く理解不能だったんです。
案の定、イエスの言葉は誰の心にも響きませんでした。ですから、イエスの言葉を聴いても誰も付いていきませんでした。イエスの宣教の初めは、その程度のもんだった、という現実を、マルコの記事から読み取ることができれば、それで十分です。
【会堂での宣教】
初めての宣教の言葉を語った後で、イエスは数人の仲間を作りました。そして、安息日に彼らを引き連れて、地元の会堂に入っていきました。
「イエスは、安息日に会堂に入って教え始めた。人々はその教えに驚いた。律法学者のようにではなく自ら権威ある者のように教えたからである。」と書かれています。
会堂というのはシナゴーグと呼ばれるユダヤ教の礼拝堂のことです。集会や教育の場にもなっていたようですが、安息日には、律法の書などが読まれ、その解説がされたり、会衆の祈りが捧げられる所です。会堂の運営に携わる人たちがいますから、誰でもが聖書朗読や解説ができるわけじゃなかったはずです。そんな格式のある場所で、格式が重んじられる安息日の礼拝の時間に、会堂長から頼まれもしないのに、イエスは勝手に教え出した、と書いてあるんです。これには会堂に集まっていた大人たちは驚いたというよりも、腹を立てたに違いありません。
しかも、先ほどイエスの初めの言葉を紹介した時に言いましたように、イエスの語った言葉は、誰にも理解できないような内容だったに違いありません。そうだとすれば、ほんとに大騒ぎになっただろう、と推測できます。こんなふうにぼくに解説してくれた人はおりませんけれども、素直に考えてみれば、大騒ぎ以外にあり得ません。
多くのクリスチャンは、イエスが立派なことをお話しになったから、その教えの素晴らしさに、会堂にいた人々は感心して聞き入ったんだ、と聞かされてきました。しかしそれは思い込みです。
当時、礼拝のためにシナゴーグに集まった人々にとっては、イエスはただの無学な大工の倅(せがれ)でしかありません。会堂で教えるなどもってのほかだったんです。訳の判らないことを話しているのは無学だからだ、と侮(あなど)ったことでしょう。
地域の大人たちがそれまでに聞いたこともない教えを、イエスは、誰の権威にもよらず、律法の権威にもよらず、まるで自分こそが権威者であるかのように、話したもんですから、会衆は完全に不意を突かれたように驚いて、「なんだ、どうしたんだ。なんであいつが、権威者のように話しているんだよ。」と言い合った、というのが事実じゃないでしょうか。
こんなふうに、本当にありそうなことを予想すれば、今までに聞いた説教では、まったく思いもよらなかった状況が浮かび上がってきます。新たに浮かんできた状況とは、イエスは、地域の会堂の運営の決まりや、礼拝の仕方の決まりを無視して、誰もそれまで聴いたことのない福音を勝手に語り出したので、大騒ぎになったということです。
イエスの宣教活動はそのように始められたんだ、ということをマルコ福音書は素直に伝えている、とぼくには思えます。そろそろ、ぼくが言いたいことが浮かび上がってきました。すなわち、イエスは、自分で考え、自分で気づき、独自の判断で行動したということです。宣教の内容も全く独創的で何の権威にもたよっていませんでした。
【ぼくたちは】
古くからの伝統も、神も、あなたのする事を全面的に保証してくれません。保証なんか意味ありません。でも、心配なさらないでください。あなたを全面的に支援してくれる人がいますから、それが重要なんです。
ぼくのような説教をする人が他にいますか、と先週尋ねられました。いないと思います、と言わざるを得ませんでした。でもいいんじゃないでしょうか。
誰にもわかってもらえなくても、自分で考えたことを自分の言葉で伝えようとしたイエスならぼくの説教を、笑顔で聴いてくれる気がします。古くからの言い伝えに沿っていなくても、自分の言葉で堂々と語ることこそ、イエスの生き様であり、イエスがぼくらに勧める生き様だからです。