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「関係に物は不要」20210606
「関係に物は不要」20210606
聖書 マルコ福音書 六章七節〜十三節
今日は先週と同じ聖書の箇所を読んでもらいました。週報の記事の変更ミスにより同じ箇所になったままでプリントすることがよくありますけれども、今日はそうではありませんので念のためお伝えしておきます。
ただし、今日は、七節〜九節に焦点を当てて考えてみようと思っています。なぜならば、この部分が最も土台の記事であると思うからです。
直後の十節と十一節に関しては、大いに疑問を感じます。
たとえば、だれかの家に首尾よく上がりこめたなら、その土地を出るまでそこに居付くようにとか、迎え入れてくれる人が誰もいないような土地であれば、そこを出てくる時に、足の裏の塵(ちり)を払い落として、こんな所には一切関係がないというパフォーマンスをしてこい、というのはあまりにも傲慢な表現なので、そんなことまでイエスが要求したとは思えません。
ちなみに、マタイ十章十五節では「アーメン、言っておく、審判の日にはソドムやゴモラのほうがその町よりも堪(た)えやすいだろう」とまでイエスに言わせております。すごく怖い話です。マタイの時代には、神の審判に関する鍵を使徒たちは持っていると主張する背景があったことをうかがい知ることができます。(参照・マタイ十八章十五節〜十八節)
これらの表現は教会がかなり力を付けてからの言い回しが遡ってこの話に付け加えられているように思います。初期の頃のイエスが弟子たちを遣わした時にはもっと素朴な表現だけで終わっていたんじゃないでしょうか。
【初めの内は受け入れられなかった】
イエスが自分独自の素朴な宣教活動を始めた頃に、故郷のナザレ村のユダヤ教の会堂でも自分の考えを披露したようです。しかし、故郷の人々は、イエスを受け入れませんでした。
当然のことだと思います。故郷の人々はイエスが何者かを知っていたからです。
大工であること、マリアの息子であること、兄弟姉妹たちと一緒に住んでいたこと、どこかの学派の有名な先生に師事して勉強したのでもないことなどをよく知っていた村人たちは、イエスが教えようとしていることを馬鹿馬鹿しく思い、イエスの教えを決して受け入れませんでした。
【今も専門家が幅を利かせている】
今でも専門家が持て囃(はや)されます。正しいのは専門家の意見である、と考える人が多いんです。
しかし、どんなことでも、どんな時代でも、多くの専門家が間違っていた、ということが判っているはずです。そうであるにもかかわらず、今という時代は、今の専門家を求めます。
専門家が間違っているというだけなら、まだ救いはあります。なぜなら、本人が間違いに気付きさえすれば訂正できるからです。もっとも、自分の間違いを素直に認める専門家は少ないのでなんともいえません。もっと深刻なのは、真実を知っていながら、真実と異なる発表をする専門家が多くいることです。お金のためか名誉のためか、命を狙(ねら)われないためか、何か知りませんが、何かの理由で、自分の解っていることを発表しないとか、事実に沿わない内容を発表するようなことによって、誤った方向へと庶民が扇動されることになります。専門家というのはそれだけ責任が重いのです。そうであるにもかかわらず、公共の福祉のためじゃなく、自分の利益のために生きている専門家が多いのは残念です。これほど大きな罪はないでしょう。罪という言葉は、このような時に使う言葉です。人間関係が壊された状態を罪というんです。
【弟子は使徒と同義ではない】
イエスの周りには、この弟子たちの他にも女たちがいたはずです。その中からイエスは十二名を選んだそうです。とても特別な出来事のように響きます。そしてマルコ福音書三章十三節〜十九節によれば、彼らを「使徒職に任命した(アポストロー)」ということですが、先週も言いましたように、後の挿入だと思います。この時点で「使徒」を任命する必要はありません。
確かに十二名の弟子を選ぶことくらいはしたかもしれません。そして、彼らを二人一組にして近隣の村に遣(つか)わしたんだそうです。もちろん、イエス自身が近隣の村々を廻って自分なりの教えを伝え、病人を癒やしたり、悪霊に憑かれたような人々を元気にしてあげたように、弟子たちにも同じように働くことを望んで派遣したんでしょう。
【持ち物の条件】
イエスが弟子たちを派遣した際にイエスが弟子たちに条件を与えたことが記録されています。
本当にこんな条件をつけたのかどうかは判りません。これを記録したマルコが、この条件をイエスが弟子たちに与えたことを強調していることは確かだと言えます。とは言え、こんな条件を十二人に与えたことを、これほどマルコが強調しているのは何故か。この背景を考えることはマルコ福音書を解く鍵としてとても重要だとぼくは考えております。
それでは、指示の中身を具体的に見ましょう。
「杖一本の他には何も持っていくな。パンも革袋(かわぶくろ・いわゆる水筒)も持たず、帯(おび)の中に銅(小銭)も入れず、皮ぞうりは履いていいけれども、下着も二枚は身にまとうな。」
所持品をここまで規制するなんて、遠足に持っていっていいおやつの量のようで、笑っちゃいます。不謹慎でしょうか。
特に下着について、「予備の下着を持っていくなよ」というなら判りますけれども「下着を二枚重ねにして行くなよ」という表現は、笑わずにはおれません。
つまり、余分なものは何も持っていないような振りをしながら、ちゃっかりと下着だけは二枚重ねに着込んでいた弟子がいたのかもしれません。そうだとすると、笑っちゃうでしょう。いざ出かけようとする弟子たちを呼び止めて、「おいおい、〇〇くん、ちょっと待ちなさい。二枚着ている下着を一枚脱いでから行きなさい」なんてイエスが言ったとすれば、笑っちゃいますよね。弟子もイエスもそれくらいのことをしそうです。
【無一物の弟子たち】
とにかくこのように、弟子たちは無一物無一文の姿で、ほうり出されたということです。
早朝に、タイ王国のパタヤの市場に行ったことがあります。南国ですから、沢山の美味しい果物を安く手に入れることができます。買い物した婦人たちの数人が、市場を出た道路に立っていました。しばらくして通りがかった黄色い布を身にまとった若いお坊さんたちに食べ物を分けていく姿がありました。おかゆのようなものをお坊さんのお椀(わん)に少しずつ入れてあげる人もいます。托鉢(たくはつ)といいます。お坊さんは働きませんけれども、恵みを分けてもらうというよりも、みんなが感謝しているという感じです。杖以外に何も持っていない弟子たちも、良く言えば托鉢のお坊さんのようですが、悪く言えば浮浪者のような格好で追い出されて行ったわけです。
この記事が本当だったとすれば、こんなことをさせられるのは誰にとっても嫌なことだったでしょう。特に、イエス一行を迎え入れ、仲間を集めてドンチャン騒ぎすることができるほど余裕のあった元徴税人のマタイなどにとっては辛い修行だったに違いありません。
とにかく、初期の頃は、イエスの活動が庶民にもあまり認められていなかったのですから、経済的な余裕もないイエス一行のできることはこの程度のことだったんでしょう。
【二十年後の弟子たち】
さて、イエスと共に生活していた頃から二十年ほど後の弟子たちの様子はどんなものだったでしょうか。
新約聖書の中で最も早くに書かれたパウロの真正(しんせい)の手紙七つの内の一つである第一コリントの九章六節によれば、当時の使徒たちや主の兄弟たちやケファ(ペトロのこと、ケファはアラム語でペトロはギリシャ語でそれぞれ岩を表す)は信者である妻を連れていたことがわかります。
宣教以外の仕事を持たずに妻を連れて歩き回っている使徒たちの姿と、イエスによって近隣の村々に遣わされた弟子十二名の姿は、あまりにも大きい落差がありますでしょう。
立場が変わると人が変わると言いますように、教会が組織された後の「使徒」とイエスと共に居た頃の弟子たちでは、月とスッポン、雲泥の差があるようです。
【教会批判したマルコ】
マルコ福音書の著者いわゆるマルコは教会で育てられたはずです。そのマルコが育った教会では、使徒たちや教会の重だった人々の生活態度は、ちょっと見過ごしにできないような所があったんじゃないでしょうか。判りませんが。
そこで、使徒たちを中心に組織された教会の宣教姿勢を見るに見かねたマルコは、意を決して、初期のイエスの生き様を文書にまとめることによって、当時の教会に「教会はこれでいいのか」と、問いを投げかけたんだろう、とぼくは考えております。
イエスが殺害された後に教会が誕生したこと、その教会は組織として確かに大きくなったことは判ります。けれどもその際に、イエス自身が始めた福音宣教活動とは異質なものになっていると感じたマルコが、イエスご自身がなさった生き様を見直して、イエスの福音に帰ろう、という呼びかけのつもりで描いた力作がマルコ福音書であったとぼくは想像しております。
なぜならば、そう理解すれば、マルコ福音書の表現がとてもリアル(現実的)で素直に受け止められるからです。
【ぼくたちは】
イエスが派遣した頃の弟子たちのように、イエスがなさったことと同じようなことをして、庶民に具体的な救いをもたらす弟子たちを、マルコは見たかったんだと思います。かつての弟子たちが、所持品が無いままでもイエスがなさったことを、まるでそこにイエス自身がおられるかのように行動することができたのだとすれば、今も持ち物が無くても、人間関係を作ることは可能なはずだと言いたかったのでしょう。
教会組織の重鎮(じゅうちん)になるのではなくて、イエスに派遣された頃の弟子たちに戻ってほしいとマルコは考えたんだと思います。
教会を組織化することと、イエスの生き様を真似ることは別のことです。教会が見逃してきたのは、イエスの生き様そのものだと思います。今からでいいから、所持品がなくてもいいから、イエスの生き様を真似るような生き方を始めてみようではありませんか。イエスの出来事からまだ二千年しか経っていないのですから、今から福音を立て直し始めることにしても遅すぎることはないはずです。