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「自分探しなんかしなくていい」20200614

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「自分探しなんかしなくていい」20200614

聖書 創世記十二章一節〜四節

 自分のしたいことをすればいいんだよ、とぼくは、言いますけれども、何をしたいのかわからない人が多いのが現状です。ということは、自分のしたいことがわからないというのが一番の解決すべき課題だと言えそうです。

 ところで「自分のしたいことがわからない」なんて、おかしいと思いませんか。どういうことなんでしょうか。自分のしたいことがわからないことこそがおかしいんだと思います。これこそ現代人の深刻な病状じゃないでしょうか

 「日本の経済活動が発展した頃だったと思いますけれども、自分探し」という言葉が聞かれるようになりました。

 自分探しの旅に出る若者たちがメディアで紹介されることありました。

 自分のしたいことを何処かに探しに行かなきゃならないなんて、とてもおかしいことだと思います。

 何に突き動かされているんでしょうか。何かをしなきゃならない、と誰かに思い込まされているだけじゃないでしょうか。焦(あせ)らされているだけだと考えるようになりました。

 自分は何をしたいのか、なんて焦る必要は全くない、とぼくは思います。自分が置かれている状況をよく考えて、その状況でしなければならないことしていけばそれでいいはずです。

 自分が置かれている状況を具体的に言えば、たとえばぼくの場合、まず日本人だということです。生まれたのは、昭和二十七年(西暦1952年)四月十四日ですから、サンフランシスコ講和条約の効力発生(四月二十八日)の二週間前ですまだ連合軍の占領下の日本だったということですから、ぼくはギリギリ戦中派なんだと自己理解しています。ということは、本当に今の若者には考えられない生活環境で暮らしていたんです。二、三歳頃のかわいかったぼくの写真を見せてあげたいですね。どこの国の子供ですか、と訊きたくなるような格好です。

 そんな状態の日本に生まれているんですから、大きくなったら何をしたい、とか、どんな仕事をしたい、とそのころのぼくが考えていたことは、生活環境が全然異なっている平成に生まれた子供たちが考えることは全異なっています。当たり前のことです。産み落とされた時代や場所や環境が出発点になるということです

 生まれた場所も時間も親も取り替えることはできません。そこに自分の基盤、根っこがあるんです。そこがそれぞれのスタート地点です。そこから考えるのが最も重要なことです。そこに立っていれば、考えることが出来るはずです自分が置かれている場所にちゃんと立っていれば、やりたいことなんて感じてくるし見えてくる、と素直に思います。

 つまり、簡単に言えば、お腹が減ったら何かを食べたくなる、ということです。そしたら食べたいものが見えてくる。思いついたものは食べられなくても、それに代わるものを探すわけです。そしていつかあの時に食べたいと思ったものをたらふく食べるためにはどうすればいいかを考えるんですよ。

 自分のしたいことを探すために旅行するのもいいですけれども、そのためには自分の立ち位置という出発点を、先ず認める必要があります。

 今は沢山あるコンビニも昔は全くありませんでした。東京で学生だった頃、アメリカ帰りの友人が、東京にもセブンイレブンができたんだよって驚いていました。朝早く出かける労働者も夜遅く帰ってくるも買い物ができるように、朝の七時から夜の十一時まで開いている店なんだよってセブンイレブンという名前の由来を教えてくれました。今じゃ不思議に思わないでしょうけれど、それまではそんな店がなかったんです。

 買い物ができないで困っている労働者の現状を打開するために、そんなふうにしてやりたい、と誰かが考えたんでしょう労働者か売店の人か知りませんが、自分がやらねばならないこと、自分がやりたいことが見えたんですよ。

 現在では、いろんな場所に店があって、食べ物であふれているんですが昔は、なかったんです。現在の日本の状況しか知らない子供たちには理解できないでしょう。

 ところが、現在も、同じ時間軸の地球上で、場所が異なっただけで、食べ物の無い地域があるんです。日本でも、新型コロナウイルス騒ぎのために、職をなくして、明日の衣食住困っている人は確かにいますけれども、食べ物らしいものがどこにも無いなんてことはありません。

 買い占めで食料品が一時的に無くなる店もあったでしょうが、現在の日本では、商品がすぐに補われるようになっています。

 むしろ、現代の日本人の多くは、ぼくもそうですが、食べ物が無いことを心配するんじゃなくて、カロリーを取り過ぎないようにするにはどうすればいいか、取り過ぎたカロリーを簡単に燃やすにはどうすればいいかと悩んでいる始末です。

 昔のように体を動かして汗水流して働かなくなったんですから、食べる量を減らせばいいんですが、それだけだと筋肉量が減ってしまうので、何か運動してダイエットしなきゃならないなんて、変な話です。

 新型コロナウイルス騒ぎを経験して、これからは、家にいたままである程度の仕事がこなせるようにしようという動き出て来ました。ますます動かなくなりますし、カロリーの高い食品を多く取るためにブクブク状態の人が多くなりそうです。家飲みも流行って来ているようですから、肝臓病になる人も多くなるでしょう。

 これほど、生活の形態が変わったんです。そうだとすれば、食生活も根本的に変えなきゃならない。そんな時代に来ているんでしょう。社会の常識なんてこんなもんです。こんな社会の常識に流されていると、自分の身体も心も壊してしまうのが落ちです。ですから社会の常識に流されないで、自分で生活を創造して行かなきゃならないと思います。

 

【自分の生活を創造した人々】

 自分の生活は自分で創造しなきゃならない、ということは、今に始まったことじゃありません。自覚的に生活する必要があるということは、実は古代から変わらない真実としてあったはずです。

 社会の流れに迎合(げいごう・他人のきげんをとること)しないで、自分の生き方を創造した人は少ないですが、聖書の中に、数人いるとぼくは考えています。その人々というのは、時代順に言えば、アブラハム、モーセ、イエスです。彼らは、生活を改革したとか、何かを発見したとか発明した、というのではなくて、自分のために、それまでとは違う新しい生き方を創造した人たちです。

 

【アブラハムの場合

 今日取り上げるアブラハムは、四〇〇〇年ほど前の人です。主なるの声を聞いて行動した人だということで、信仰の父と呼ばれています。

 方舟(はこぶね)を作ったノアも、神の声を聞いたはずですが、人類を洪水による絶滅から救った人類の父、とは呼ばれません。

 イスラエルの先祖であり、ユダヤ教の主なる神に従ったということで、アブラハムは信仰の父にされたんだと思います

 創世記十二章一節〜四節によると、『主はアブラム(アブラハムに改名する前の名前に言われた。「あなたは生まれ故郷父の家を離れてわたしが示す地に行きなさい。・・(省略)・・アブラムは、主の言葉に従って旅立った。・・(省略)・・アブラムは、ハランを出発したとき七十五歳であった』と書かれています。

 このように、「主なる神」の言葉を聞いたので、アブラハムは「主なる神の声」に「従って」故郷を捨てたことに一応されております

 しかし、時系列で考えると、アブラハムは、イスラエルという国の宗教であるユダヤ教が確立するよりも千数百年も前の人です。ですから、「ユダヤ教の主なる神」のイメージなどアブラハムが持ち合わせていなかったことは、確かです。そもそも、イスラエルという国もありませんでしたからユダヤ教の神のイメージもなかったんです。

 そんな状態のアブラハムが主なる神の声を聞いたというのは、ありえない話です。後日にこの神話を完成したユダヤ教がそう表現しただけです。

 今と同様にアブラハムの時代でも、どんな人にも神の声は聞こえないというのが事実です。

 

【アブラハムが故郷を捨てた理由】

 それではなぜ、アブラハムはこのような行動をとったのか、という疑問をお持ちになるでしょう。

 人類の歴史の中で、とても早い段階から宗教が存在していたことは確認されています。どんな宗教も、人間の生活の土台に入り込んで、生活の仕方を規定するものです。

 アブラハムも宗教社会で育てられていたことを疑うことはできません。アブラハムが育った地域は、月の神を祀る土地であったようです。

 アブラハムが故郷を捨てて出かけたのは、端的に言えば、育った土地の神話の神によって生活を規制されることに反感を覚えたからでしょう。

 生身のアブラハムは、故郷にいられなかった、離れたかった、出て行かざるを得なかったんだと思います。故郷に伝わる月の神の神話から逃げ出したんだとすればなおさら訳のわからない主なる神の命令に束縛されるはずありません。主なる神というのは、後の時代のユダヤ教が作り出した神話に登場するキャラクター(出演者)に過ぎないはずです。

 一方、主なる神の声を聴いたアブラハムというの、現実のアブラハムじゃなくて、後の時代のユダヤ教が作り挙げた神話伝説に登場するキャラクターです。

 生身のアブラハム、主なる神の声など聞こえないただの人だったんです。そうだとすれば、アブラハムは、「神話の主なる神」の声に関係なく、ただただアブラハムの事情で、生まれ故郷を出ていったという事実が残ります。この事実が重要なです

 その土地とその土地の神話の神を捨てて、行く先も決まらないまま行く方向を自分で決めて歩き出したんだと思います。

 素直に考えれば、アブラハムは主なる神の声じゃなくて、「自分の声」に聞き従ったとしか言えません

 

【ぼくたちは】

 アブラハムが偉大な人物と称されるようになったのは、天からの声に従ったからじゃありません。自分の生活を改善する方法を自分で考えて実行したからです。天からの声なんか誰にも聞こえません。天からの声を待っていたら、いつまでも 動き出せません。

 ですから、はっきりお知らせしておきましょう。自分のしたいことを見つける最も近道は、自分の立ち位置をしっかり認識し、神話による宗教的価値観の洗脳(刷り込み)から逃れて、自分が感じた方向に歩み出すことです。

 

 今日は礼拝後に教会の総会を開催します。慣習に縛られないで。新しい生き方を創造つつ歩み出したいと思います。

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