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「過去の悪を乗り越えることができる」20191201

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「過去の悪を乗り越えることができる」2019年12月1日

聖書 マタイ 一章五節~六節

 参考 サムエル記下 十一章一節~十七

 

 十二月の第一日曜日を迎えました。二十二日はイエスの誕生祭の礼拝ですので、それが判るように、今日からロウソクを一本ずつ灯しま

 イエスがお生まれになったのはイスラエルのユダ地方のベツレヘムという町だと伝えられております。

 ユダヤ人は、純粋なユダヤの血統を大事にしている、と思われていますけれども、先週見たマタイ福音書が伝えたイエスの系図に登場する女ルツは、モアブ出身の女でした。そして、ユダヤ民族が誇りにしているダビデ王は、この異邦人女ルツのひ孫として生まれているんです。

 ダビデの前にサウルという王がいますが、サウルの頃のイスラエルは、王国としての結束が弱かったようです。イスラエル十二部族を真の意味でまとめて王国としての体裁を整えたのがダビデであったと思われます。ちなみに、イスラエルの国旗の中心に正三角形を正と逆にして重ね合わせたダビデの星と呼ばれる✡️マークが描かれております。それほど、イスラエル人にとってダビデ王は特別な存在だということですですから、他国に占領されているイスラエルを復興するのはダビデの子孫であると考え、ダビデの再来を、メシア(救い主)として求めていたようです。そのようなメシア待望の思想を背景にして、イエスダビデ王の子孫である、と証明するために、マタイは系図を書いた、と教えている教会は多いと思います。けれども、何度も言いますように、イエスが、マリアの婚約者ヨセフ子ではなかった、と言った途端にダビデの血統からイエスが外れていることは、明白です。

 格式を重んじる家系に、曰く付きの女たちがいたように、イスラエル民族には格式があるんだ、などと言っておれない状態なのだと、マタイは、現実を系図によって伝えたかったに違いありません。

 ダビデの王権を継いで、イスラエルの第三代の王になったのが、ダビデの息子ソロモンです。ダビデよりも国を発展させたソロモンですが、自己中心で、国民に無理を強いたために、国に分裂を招きましたので、あまり尊敬されていないようです。「栄華を極めたソロモンでさえ、野の花の一輪ほどにも着飾っていなかった」という言葉で判る通り、ソロモンは批判の対象にさえなっております。このソロモンを産んだのが、今日の主人公「ウリアの妻」です。

 とうぜんマタイはこの女がバト・シェバという名であったことを知っているんですが、名前で呼ばずに「ウリヤの妻」と書いたのは、避難の気持ちがあったからでしょう。それだけではなくて、ダビデとバト・シェバの卑劣な裏切りによって「ウリヤ」が殺された事件を思い出させるために、わざと、このような書き方をしたんだと思います。

 

【ソロモン】

 ダビデとウリヤの妻の間の第一子はすぐに死んでいますので、第二子であったソロモンは、母とともに悪智慧を働かせてダビデ王の跡継ぎになりました

 知恵で有名だったように、非常に賢かったもんですから、近隣諸国との貿易や戦いにも成功しまして、非常に富を得ました。(列王記上四章、十章)

 ソロモンはイスラエル王国の基盤を盤石にするために、信仰を国の組織に取り込みました。ソロモンの父ダビデは移動できる幕屋まくや・テント)で礼拝していたんですが、ソロモンは、祭りごとの中心となる神殿を、エルサレムに建設しました。

 この、ソロモンに関しては、知恵を讃える逸話(いつわ)がいくつもあります。例えば、一人の赤ん坊を間に置いて、二人の女が、「自分の子供です」と言い合っているときに、本当の母親を見分けるために、その子を二つに切り裂いてそれぞれに渡せ、と言います。それは止めて相手の女に渡してください、と言った方を本当の親に認定した、という話は有名です。(列王記上三章十六節~二十八節)

 今日はソロモンの話じゃないので、これ以上言わずに、ソロモンを産んだバト・シェバについて話しましょう。バト・シェバは、ダビデ王の忠実な家臣ウリヤの妻でした

 

バト・シェバはダビデの覗きに気付いていた

 国の体裁が整った頃のダビデは、戦争には出向かずに隣国との戦場に、将軍ヨアブ指揮官として大軍を送り出していました。余裕があったんでしょう。人間、余裕が出てくると、別の危険が迫ってくるもんです。

 自国の兵隊が戦闘中であるにも関わらずダビデは昼寝をしておりました。目覚めて、王宮の屋上ら町を望み見ておりますと、美しい女が水浴びしているのを見つけてしまいました。

 暇を持て余している王様がそんなものを見たもんですから、じっとしておれなくなったんでしょう。

 そこで、部下を呼んで、女のことを調べさせましたところ「ウリヤという家臣の妻だ」ということがわかったもんですから、使いをやって、召しいれてそのまま(とこ)を共にしたんであります。

 

【王制への批判】

 家臣の妻手を出すなんて、と思うのが普通の神経ですけれども、こののダビデは、普通の神経じゃなかったんでしょう。家臣の妻ったらいいだろう、という異常な思いで呼び寄せたんでしょう。

 権力を握った王は家臣臣民自由に扱っていい、というような考えに陥っていたようです。なぜそこまで言えるかと申しますと、大胆にも部下をやって女のことを調べさせ、家臣の妻を王宮に召し入れるために、使いを送っている事実から、誰からも何も言わせないという思い上がり見て取れます。

 イスラエル部族連合が、王様が欲しい、王様を立ててくれ、と預言者サムエルにしつこく迫った時に、王を作ると勝手なことをしだすし、民は王の命令に逆らえなくなるから、王政なんか敷(し)かない方がいい、と預言者サムエルが、王政批判をした(サムエル記上八章)記事がある通り、まさに王政の弊害が起こってしまった、ということです。

 

【ダビデの策略】

 家臣が遠征に出ている間に、王ダビデは、家臣の妻を寝取ったんです。しかも、バテ・シェバは妊娠してしまいました。自分がバテ・シェバを妊娠させたことを隠そうとして、ダビデは、策略を練ります。ここまでしておきながら、ウリヤだけには隠そうとしているところが姑息(こそく・まにあわせ)です。王権を乱用して、家臣の妻を堂々と略奪すれば済んと思いますが、自分のしたことを隠すために、策略を練ったというんですから、ダビデもただの気の小さい男だった、ということです。

 ダビデは、戦況を報告させるという理由をつけて、戦場からウリヤを呼び戻し、酒を飲ませて家に帰して、妻と寝るように仕向けました。しかし、ウリヤは日本の武士に通じるような戦士でした。「神の箱も遠征隊も野営しているのに、自分だけ家に帰って妻と寝ることなどできません」と言って、家に帰らずに、兵隊たちと共に寝ました。妊娠事件を有耶無耶にするために、何とかバテ・シェバと寝させようと次の日もダビデは、ウリヤを酔わせましたが、彼は家に帰りませんでした。昼寝から目覚めて、家臣の妻と床を共にしたダビデウリヤは大違いです。ダビデにはウリヤの気持ちは判らなかったんです。

 

【ダビデの策略、第二段】

 そこで、ダビデの策略はひどくなります。ダビデは、「ウリヤを激しい戦いの最前線に出して、彼を残して退却し、戦死させよ。」と書いた将軍ヨアブ宛の手紙を持たせて、ウリヤを戦場に戻したんです。ダビデは、本当に卑劣な男に成り下がってしまったんです。今度のダビデの魂胆(こんたん)は忠実な家臣だからこそ掛か策略でした。

 自分の欲望を満たし行状を隠すために、策略を練り、遂には忠実な家臣ウリヤを殺したんです。

 自分の欲望を満たそうとする支配者は、国民の代表者じゃありません。ダビデは自ら忠実な家臣たちが離れていく原因を作ったんです。

 

【ダビデの咎(とが・罰されるべき行い)】

 神への罪というような絶対的な罪はありません。けれども、他人を裏切って殺してしまう、なんていうことは咎(とが・罰されるべき行い)以外の何物でもありません。人間関係の中で起こるこのような関係の破壊は咎の最たるものです。このような咎を引き起こした人こそ罪人です。

 

【バト・シェバにも咎(とが)あり】

 ウリヤの喪が明けるのを待って、ダビデはバ・シェバを妻にしたんですが、初めの子は死んでしまい、次に産まれた子がソロモンです。

 後に、預言者ナタンから、ダビデ咎められ罪を悔います。しかし、この事件は、ダビデだけの責任じゃないと思います。マタイの系図では女たちが取り上げられているんですから、今日も女・シェバに注意を注ぎます

 今まで、ちょっとおかしいなあ、と感じていたんですが、ダビデの悪行が奪われていたので、バト・シェバの行状について、深く考えたことがありませんでした。しかし、よくよく考えてみれば、バト・シェバもかなりの悪者だったように思えます。というのも、王宮から見渡せる城下町の屋上で、真昼間に水浴びをしていたんですからバト・シェバに悪女の悪意さ感じます。

 後に、ダビデの他の息子たちを押しのけて、ソロモンが王権を奪うために、バト・シェバとソロモンが共に画策した様子などを見ると、バト・シェバが、昼間に屋上で水浴びしていた無邪気な女だったとは思えません。はっきり言って、ダビデを誘惑していたんだろうとます。

 バト・シェバは、ユダの嫁タマルが、遊女だと思わせる格好をしてユダを誘ったのとは比較にならない格好で、あからさまな仕方で強烈にダビデ誘惑した人妻だったように思えます。

 そんな女系図の中に書かれているんです。これまで見てきた女たちとはまったく異なる質の女を、マタイはわざと登場させているということです。

 ヨセフの許嫁(いいなずけ)マリアが、誰が父かわからない子を宿したというイエスの出自に関わる事件など、イエス自身の生き様になんの禍根も残さない、とマタイは、イスラエル人の系図を通して示している、と思います。

 

【ぼくたちは】

 誰しも、隠したい過去があるでしょう。わからない過去を背負ってもいるでしょう。しかし、そんなことは、イエスの生き様をにするようなことでないのと同じように、ぼくたちの現在の生き様に関係がないのだ、とマタイは言っているようです

 大切なのは、イエスが伝えた福音によって、ぼくたちが、過去のしがらみからも解放されることです。

 現在の自分の生き様を、出自によって他人から避難されてはなりません。概念の神にもそんなことをさせてはなりません。

 制度やしきたりや本人の出自でさえも、現実の人の営みを抑え込むことできません。過去の悪でさえ乗り越えて生きていくことができる、という事実があることは、ぼくたち全員にとって、福音(喜べる情報)です。

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