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「常識で聖書を読みましょう」20201018
「常識で聖書を読みましょう」20201018
聖書 創世記 九章十八節~二十七節
飛行機には、ブラックボックスというのが積んであります。事故が起こった時なんかには、そこに蓄えられている情報を取り出して、解析し、機体を操作した機長に間違いがなかったか、飛行機に不具合がなかったか、など様々なことがわかるようになっているんですが、それらの情報を取り出して、誰でもがわかるようにするには専門家の手を借りなきゃなりません。それと同じように、聖書はブラックボックスみたいなもんだ、と感じている人が多いんじゃないかと思います。専門家に解説してもらわないと判らないもんだと思っている人が多いんじゃないでしょうか。確かにそんなこともあるんですが、専門家でも読み違えることがある、ということを前提にしておくことが重要です。
特に、ブラックボックスのような聖書が、絶対に正しいもんだということを大前提に据えている人によって中身が解析されると、社会に甚大(じんだい)な被害を及ぼすことを知っておいてもらいたいです。
宗教指導者と言われる専門家が、神は敵を全滅させる聖戦を望んでおられる、などと言ったら大変な災を招くことになります。
聖書は神の言葉だから、書かれている言葉は全部正しいなどと考える人が、大変な事件を引き起こしたりします。
そもそも、聖書を分解しちゃいけないようにブラックボックス化して、それに足しても引いてもいけない、と教え、これに違反する人があれば、呪われるぞ、と脅そうなんて、誰が考えたんでしょうか。おかしなことを考えだす人がいるもんですね。
【聖書について】
聖書と言いましても、キリスト教では、一応、旧約と新約を合わせたものになっております。このような文書の集合体を、正典(せいてん)と認めたのは、四世紀の終わりころ、三九七年にカルタゴで行われた教会会議です。もちろんそれまでに、何度も会議があり、議論が重ねられてはおりますが、結局、この会議において、一応の決着がついたと考えていいでしょう。
詳しいことは知りませんが、ぼくが言いたいことは、有名どころの教会の代表が集まった会議で決められた、ということです。たとえば、現代の教会会議で、何か大切なことを決議する場合には、有名な先生方を集めるはずです。間違ってもぼくは招待されません。そう考えると、政治的に偏った決定がなされていたと想像するに難くありません。聖書の正典を決めたカルタゴ会議の前から、キリスト教が政治利用されていたことは間違いありません。
実は、四世紀の前半では、三一三年にキリスト教が公認(ミラノ勅令)され、三二五年に二ケア公会議で三位一体などの教会教義が決められているんですが、それらの会議を開催したのは、ローマ帝国の皇帝コンスタンティヌスだということです。常識的に少し考えてみるだけで、おかしいことは判るはずです。
こういう伏線があって、さらに、三九一年にテオドシウスがキリスト教を国教に定めます。キリスト教の基礎になる教義を決定づける書物群が確定していないようでは困るでしょう。そういう背景があって、カルダゴ会議で正典が定められたと考えるのが妥当です。
ぼくたち一般庶民がブラックボックスの中身を詳細に知らなくても、正典の成立過程を、「常識的に」考えれば、このようなことは、ある程度、予想できるものです。そういう大まかなことを基礎において、解釈することが寛容です。これらを無視して細部にわたる研究をしても、頓珍漢(とんちんかん)な結果を出すに違いありません。
正典というものは、神の霊感によって書かれたもんじゃなくて、人間が集まって会議した結果生まれたものです。人間の会議で決定したものなんですから、少なくとも、聖書には誤りがない、などという、思い込みを捨てることが必要です。
【天地がまさに逆転した】
正典は間違いの無いものだなどということは、教えられたことです。教えられたことと現実が異なっている、などということは、どんな社会にも、いくらでもあるものです。当たり前だと思っていたことが覆(くつがえ)される経験を人類はたくさんしてきました。ですから教育の内容を吟味(ぎんみ)することが必要なんです。
16世記には、イタリアの物理・天文学者のガリレオ・ガリレイ(生年1564年)をはじめ、ヨハネス・ケプラー(1571年〜1630年)、ニコラウス・コペルニクス(1473年〜1543)などにより、天動説から地動説に移行する発見がありました。
これらを機に、人類の知識が、根底から変わりました。たかが四百年前に起こった変化なんです。それは現実を観察したことから始まり、事実を知った時から始まりました。
エドウィン・ハッブル(1889年〜1953年)が望遠鏡による観察を通して、自分たちの銀河系以外にも、他に銀河があることを発見したのが1927年です。それまでの科学者は、宇宙には自分たちの銀河が一つあるだけだと、思っていたんです。それから、それらを観察していくうちに、他の銀河が離れていく現象を知ったのです。そこで、宇宙が膨張していることに気づいたんです。それまでの世間の常識が、全く覆(くつがえ)ってから、まだ100年も経たないなんて、驚きでしょう。
それまでに信じられていたことが、どんでん返しされたり、見えなかった所が見えるようになって新たなことを知った、ということがどんどん起こっているわけです。これらは、人が現実を観察して判ったことです
それでも、このような現実を無視している人も「実在」しています。これも「現実」です。だから面白いですね。
少し前になりますが、ある人の講演をユーチューブで見ました。彼によれば、神が宇宙を六日間で創造なさったのは、おおよそ6000年前だそうです。聖書の系図に登場する人物の年齢などを合計すると、そうなるんだそうです。聖書だからという理由で言葉をそのまま信じるとそんなことになります。常識的に少し考えてみるだけで、彼の説が狂っていることが判ります。
【誤解は昔のことではない】
アメリカでは裁判で宣誓をするときに聖書に手を置きますけれども、南部の法廷では1960年から1970年まで、白人用と黒人用の聖書があった、ということを知りました。わずか50年ほど前まで、公平を求められる場で、そんな人種差別が行われていたということです。こんなことは、一人ひとりが、常識的に少し考えてみるだけで、おかしいことだと判るはずです。
多くの人が、ようやく最近になって理解したことがいっぱいあるんです。昔のことじゃないんです。もちろん未だに理解できていないことの方が多いというのが現状です。
そして今年のCOVID-19新型コロナウイルスのこともそうですが、騒いでいる人の多くが、理屈を理解していないと思います。判っていないから騒いでるんですけれど、常識的に考えれば、対処の仕方が判るはずです。
【奴隷制度を擁護した聖書解釈もあった】
アメリカで今も続く人種差別の問題を取り上げている映像を見ました。
インドには古来から伝わっているカーストと呼ばれる世襲制度があります。インドでなくてもどの国にも差別はあるんですが、アメリカ合衆国誕生前からの奴隷制度から今も続く人種差別を取り上げた番組がApple TV+(アップルテレビプラス)で、Oprah Winfreyがカーストという本を紹介し、著者(イザベル・ウィルカーソン)を招いて、アメリカがカースト制度を基礎に築かれているという考えについて、読者たちと対談する番組(The Oprah Conversation)がありました。
一九六〇年ではぼくたちには考えられないほどの差別がありました。
五十の内の四十一州で異人種結婚を禁じる法律があった、ということです。一九六七年に最高裁で勝訴した、という記録はありますが、アラバマ州で異人種結婚が合法化されたのは二〇〇〇年だということです。いいですか、二十年前ですよ。
社会を分断する教育がなされていたということです。
人が人を奴隷にしてもいいということが、聖書の記述から教えられていた、ということをカーストの著者が言っています。
方舟(はこぶね)のことで有名なノアが、酔っ払って裸で寝ている姿をを見つけて笑った子供ハムの子孫カナンをノアは呪った、と言います。
「カナンは呪われよ、カナンはセムの奴隷となれ」と言います。白人はセムで、黒人はカナンの子孫だなんて教えて、黒人は奴隷になることを定められているんだなどと言うんです。それを決定づけるために、その根拠として、聖書が使われている、ということでした。
聖書をそのまま信じてはいけないということをずっと話し合ってきたぼくらには受け入れ難いことですが、聖書は神の言葉であるなどと信じている人には効き目のある言葉なんでしょう。
ということは、ぼくが最初から問題にしているように、聖書とはなんなのか、どう取り扱えばいいのか、ということを、教えられたまま信じ込んでいちゃいけない、ということです。
自分で考え判断し得るものであるし、そうすべきものなのだと理解することが必要です。
【ぼくたちは】
聖書を「常識的に」読もう、というと語弊(ごへい)があるかも判りません。なんと言えばいいか判りませんが、あえて言わせてもらいます。
今の世界の自然法則を無視するような形で、聖書の文書群は天からの啓示を受けて書かれたもんじゃないということです。常識的に、普通に考えれば、そんなことは判るはずだ、とぼくは言っているだけです。そういう意味で、これからも、常識を基礎において、ぼくたちは、聖書を読んでいきましょう。