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「トランプはガザを救わない」20250209

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「トランプはガサを救わない」20250209

聖書 マルコによる福音書七章二十四節〜三十節

 

 トランプ大統領は、ガザ地区をアメリカが所有して開発すると言いました。

 ガザに住んできた人々を移住させると言ったトランプは権力者である大統領の言葉だけで、ガザ地区を占領してガザ地区からパレスティナ人を追い出そうとしているようですが、これを機にイスラエル全域からパレスティナ人を一掃するつもりなのでしょう。このように、いろんな手を使ってイスラエルを支援するのは、ユダヤ人の財政的支援がアメリカ政府を支えているからです。

 離散の民であったユダヤ人が第二次世界大戦終結後、間もない一九四八年に新しいイスラエルを建国できたのは、多くのユダヤ民族が移住していたアメリカが支援したからです。迫害から逃れた多くのユダヤ人はアメリカに移住し、多くの財産を築いていたのです。

 一七七六年七月四日をイギリスからの独立記念日にしているアメリカは多くの移民が作り上げた国です。今から二四九年前のことですから、京都の多くの老舗(しにせ)に及ばないほど若い国です。

 迫害を受けてアメリカに逃亡したイスラエル民族ではありますが、彼らから選民意識は消えておりません。ユダヤとパレスティナの関係は深い宗教戦争の結果です。前にも言いました通り、イスラエルの選民思想は他民族を認めません。強烈な選民意識は強烈な民族差別と表裏一体です。これほど激しい意識を持てるのは、思想教育の結果でしょう。

 

【イエスも差別意識を持っていた】

 イエスも思想教育を受けていました。今日の話に登場する女は、異邦人(ユダヤ人でない)であり女であるという差別の下で、しかも、病気の娘を(穢れた霊に取り憑かれている)娘を抱えていたのですから、最下層で最悪の状態に置かれていました。

 そんな女がイエスの足下にひれ伏して、「娘から悪霊を追い出してください」と懇願しました。

 この物語はマタイ十五章二十一節〜二十八節にも記録されておりますが、強調点は全くことなっております。

 

【マタイは信仰を強調する】

 マタイによれば「主よ、ダビデの子よ・・・」と呼びかけた女を「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」と言い、さらに、「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」と言ってイエスは突き放した。

 これに対して「主よ、ごもっともです。しかし小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただきます」と女は言います。そこでイエスは「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように」と答えます。その時、娘の病気はいやされた」とあります。「女の信仰」が、娘の癒しを勝ち取ったように思わせる書き方です。新共同訳聖書の小見出しに「カナンの女の信仰」と書かれているように、「信仰」こそが大切だとマタイは書いたのです。

 

【マルコのイエスは信仰を問題にしない】

 しかし、マタイよりも二十年程度前に書かれたマルコのイエスは「イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」などとは言いません。「まず、子供たちに充分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」と言っただけです。「しかし、主よ、食卓の下の小犬も、子供たちのパン屑はいただきます」と食い下がった女に根負けしたイエスは「わかったわかった、それほど言うなら、家に帰りなさい。悪霊は、君の娘からもう出てしまった」と伝えます。

 イエスの言葉に安心した女が家に帰ると、娘はベッドの上に寝ており、悪霊は出てしまっていた」とあります。イエスはこの娘に会っておりません。娘に悪霊が取り憑いているという判断は女の思い込みだったのではないでしょうか。

 徹底的に差別に苦しんでいた女は、自分だけでなく、娘にまで差別が及んでいると思い込んでいたのでしょう。だから「娘が悪霊に取り憑かれている」と思い込んでいた女から、イエスは思い込みを取り払ってあげたのではないでしょうか。

 新共同訳聖書の翻訳者は、マルコのこの物語の小見出しにも「シリア・フェニキアの女の信仰」と書いてしまいました。マタイに引きずられて「・・女の信仰」と書いたのでしょうが、蛇足です。マルコの物語に相応しくありません。マルコが伝えたこの物語では「信仰」など問題にされておりません。

 

【人間イエスをマルコは描いた】

 資料としても優れているマルコ福音書の特徴は人間イエスを強調していることです。

 初期の教会で回し読みされていたのは、手紙類のような文書ばかりで、イエスの実際の行状を伝える書物がなかったのでしょう。だから、イエスという人間に触れることができるような、絵本になるような物語を求めて、マルコは自分で福音書というジャンル(様式)を生み出したのだと思います。

 岩本牧師の説教は、まるで見てきたような話し方だねと言われます。そういう現実味が必要なのです。

 誰も見たこともない神や、神格化されて偉そうに教えるキリストの言葉など心に響きません。人間臭いイエスの言動が人々の心に届くのです。

 女が自分の現状をイエスに訴えることができたのは、他者を寄せ付けない権威者のような振る舞いをイエスがしていなかったからです。

 

【イエスも被差別者だった】

 異邦人の女を差別すべきだと思想教育されていたイエスも、ユダヤ社会では差別されていた人だったので、女の立場を理解できたのでしょう。このように、福音に差別などないことをイエスに気付かせたのは、異邦人の女だったのです。

 このようなことができるイエス、人に優しい人間イエス、権威を振りかざす神の子キリストじゃないイエス、ぼくたちと同じ人間であったイエスをマルコは伝えているのです。

 

【ぼくたちは】

 イエスは天から降りて来た権威ある神の子じゃないというマルコの主張は大切です。

 イエスは、上から命令する人じゃなくて。差別していた女の訴えを聴いて、差別が理不尽な行いであることを悟り、考え直すことができる人でした。

 権力者トランプが被差別者を守れないように権力を翳(かざ)して諸国民を差別する神の子じゃダメです。だから、イエスは「人の子(人間)」でなければダメなのです。

 権力者トランプがガザの人々を救わないように、キリスト教教義の中の権力者「神の子」「キリスト」では本当に弱っている人を救えないのだと判っていただけたでしょうか。ガザの人々を救い得るのは差別を乗り越えられる人間です。トランプの暴言に立ち向かう人間が声をあげる必要があるのです。

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