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「差別を祝福に変えた女たち」20241208

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「差別を祝福に変えた女たち20241208

 

聖書 マタイ 一章五節~六節前半

 

 『サルモンはラハブによってボアズを、ボアズはルツによってオベドを、オベドはエッサイを、エッサイはダビデ王をもうけた。』

 

 先週は、イエスの家系に登場するユダの嫁タマルの物語を紹介しました。系図に登場する四人の女性の内の二人目はラハブです。ラハブはエリコという城壁を持つ街に住んでいた娼婦です。イエスの系図に娼婦の名が書き込まれていることを不思議に思う方もいるはずですので、その理由を考えます。

 娼婦ラハブの物語は、旧約聖書のヨシュア記二章に書かれています。ヨシュアはモーセの後継者です。

 エジプトから逃げ出したイスラエル民族がカナン地方を征服する際に最初に攻略した城壁都市がエリコです。エリコを攻撃する前にヨシュアは斥候(せっこう)を二人送り込みました。

 怪しまれずに街の様子を探るため二人は娼婦の家に入ったのですが、エリコの王は、見知らぬ旅人が二人、街に入ったという情報を得て、娼婦ラハブの館(やかた)に捜索隊を送りました。

 このとき、エリコは負けると感じたラハブは、エリコ陥落の時、家族、親戚、財産の安全を保障してもらうことを条件に、イスラエル人のスパイを匿(かくま)って逃しました。

 

【裏切り者ラハブ】

 イスラエルにとって、好都合な娼婦ラハブでしたが、エリコの人にとっては裏切り者です。

 新約聖書のヘブル書やヤコブ書は、ラハブが信仰によってとか、この行為によってラハブは義とされたと書いていますけれども、都合のいい勝手な解釈です。信仰から出た立派な行いとは思えません。

 異邦人や遊女は、ユダヤ人から軽蔑される存在なのですが、そんな女のラハブを福音書記者マタイはイエスの系図に書き込んだのです。

 イエスは、普通の人間の営(いとな)みの中に生まれて来た。その事を、何も隠すことなく伝えているのがイエスの系図ですから、イエスの人間性をマタイは強調しているのです。

 イエスの系図の中には、だれが聞いても眉(まゆ)を顰(ひそ)めるような人々が登場しています。しかし、そのような営みを通して産まれてくるのが人の子です。イエスがまぎれもない人間であったことを示すためにマタイはこの系図を書いたのです。

 

【ドロドロの社会を背負って生まれたイエス】

 ドロドロの人間関係を背負って、人間の真っ只中にお生まれになったイエスは、生まれたときから、さまざまな人間関係の中に居たということです。

 イエスが天から直接に降りて来たのなら、無垢(むく)であったといえるでしょう。そんな罪のない方が、人間の罪を背負って、償いとして死んでくださったというキリスト教の信条を生み出せるような系図をマタイは書いていません。キリスト教会が四世紀ごろに完成させた教義は、マタイが示した現実からかけ離れているのです。

 イエスはぼくたちと同じようにさまざまな事情を背負って育った女からお生まれになったというのが事実です。そんな人間イエスを、罪や穢(けが)れのない神の子だと告白し、信じさせることは、イエスを敬っているようでありますけれども、実はそうではなくて、現実を拒んで無視し、自分たちの考えを通そうとしているだけです。

 イエスを「罪も穢(けが)れもない無垢(むく)な存在」だと告白することは、イエスを人間ではなくて化け物に仕立てて祀(まつ)り上げることです。そんなことは信仰と何の関わりもありません。

 少なくとも、イエスの系図は、清く聖なる人々だけによって構成されているのではなく、簡単に説明できない人間関係の中で引き継がれてきたことを示しているだけなのです。

 重要なことは、イエスは人間の営みと無縁の方ではなくてぼくらと同じ、苦悩を背負った人々の関係の中で誕生したということです。だからこそ、ぼくたちの悩み苦しみをイエスは理解できるのです。そうでなければ人間関係で苦悩しているぼくたちと何の関係もない存在になってしまいます。

 だからぼくは、キリスト教義が教えるイエス・キリストを信じ込むのではなくて、福音書で告白されているイエスに目を注ぎます。人として産まれ、愛し愛され、悩み、苦しみ、人として殺されたイエスを見ます。この方こそ「神の子であった」という告白は、「人として生きたイエス」を見てこそ語り得る信仰告白なのです。

 

【第三の女】

 さて、イエスの系図に登場する三番目の女はルツです。ルツが登場する背景は、ベツレヘムに住んでいた四人家族が激しい飢饉から逃れてモアブ地方に移住したことから始まります。その地で夫と二人の息子を亡くしたナオミは、食料事情が回復した生まれ故郷に戻ります。この時に、ナオミに着いてきた嫁の一人がモアブの女(異邦人)ルツです。

 生活の手立てのないルツは食べ物を得るために落穂拾いに出かけました。

 「落穂は、貧しい者たちのために残しておけ」という優しい律法(レビ記十九章九節~十節)のお陰で、落穂を拾うことは許されていたのです。

 

【ボアズとの出会い】

 偶然にも、ルツが落穂を拾い集めた畑は、ナオミの死んだ夫の親戚「ボアズ」の畑でした。ボアズは、ルツに目をかけて、たくさんの落穂が拾えるようにしてくれたことを知ったナオミは、ボアズがルツを気に入っていることを知って策を与えました。

 刈り取った麦を振るいにかける時には、畑で寝起きしたようです。一日の仕事を終えたボアズは、食事をし、酒も飲んで、積み上げた麦束の中で眠り込みました。真夜中に目を覚ましましたところ足元にルツがいたのです。

 ボアズがルツを妻にして生まれた息子オベデはダビデ王のおじいさんです。

 

【ぼくたちは】

 人の営みの中に、男、女、悲しみ、喜び、憎しみ、赦し、悪意、善意、生、死、それらは共にあります。それらと混在し共存して行くのが人間です。美しく見える営みだけがあるのではありません。

 そのように、醜くもあり、美しくもある、人の営みが続けられている現実の真っ只中に、後の時代に「メシア(救い主)」と呼ばれるイエスはお生まれになったことをマタイは系図で知らせたのです。

 イエスが、悲しんでいる人に寄り添うことができたのは、イエス自身が差別されていた人だからです。

 しかしイエスは差別されることを受け入れず、自分の使命であると感じた道を生きることで救い主と呼ばれるようになったのです。ですから、だれも自分の生まれや現状を恥じたり恨んではなりません。現状のあなたをあなた自身が認めるだけで、次に進む道が見えてくるのです。

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