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「最強の人生の作り方」20250316
「最強の人生の作り方」20250316
聖書 マルコ福音書 十章 十三節〜十六節
ユーチューブで自分を配信する人が爆発的に多くなりました。けれども、しょうもない配信や嘘や出鱈目な配信が爆発的に多くなっています。しかもろくでもない情報が多く閲覧されていることに驚かされます。また、大手のメディアは過去も現在も国家による国民洗脳の手先になっています。
大手メディアの情報に嘘があることに気づかせてくれたのは個人的に情報や意見を発信してくれたユーチューバーたちですが、それらの配信を見ている人が極端に少ないということは、民衆が馬鹿げた内容に心を奪われているということを表しています。自信がなくて他者の意見に引かれやすい人が騙されやすく利用されやすいのでしょう。偉い人と評価されている人々の上手な口車に載せられないように注意すべきです。
他人を騙すために、偉そうな振りをしている人に、いいかげんでアホな人が多いことを、ぼくは七十歳を過ぎてから確信しました。理解力のある人、記憶力が良い人、数学に強い人、国語に強い人、理科に強い人、社会科に強い人、全部に強い人など、さまざまですが、彼らが賢いわけではないことに気づきました。ぼく自身は、全体を大まかに理解するのは得意ですけれども、細かいことを暗記するのは苦手です。しかし、アホではないと思います。
【人を評価することはできない】
暗記力が良くて、試験に強い人が偉いと思われがちですが、そういう評価は価値判断基準が片寄っているだけです。入試に有利なのは記憶力の良い人です。だからといって賢い人ではありません。東大出てもアホはアホというギャグがあるように、東大卒でも、頼りにならない人がいるというのが社会常識であるように、専門的なことはよく知っているのに、多くの人があたりまえだと感じることを理解できない人がおります。これも才能の一つなのでしょう。とにかく、評価方法で結果は変わるのですから、人の良し悪しを評価してはならないのです。
【特化した能力保持者が偉いのではない】
ぼくは歌うことが好きですが、楽譜を見てピアノを弾けませんから、歌を録音する際には、ピアニストに伴奏してもらいます。ピアニストは楽譜見ながら演奏できるんです。すごい能力です。ところが上には上があって、有名な盲目のピアニストは、耳で聴くだけで覚えて演奏できるのですから、すごい能力です。音楽分野に特化しているのです。
そのように何かに特化した能力を持っている人は便利なので、社会的、経済的に高い評価を受けます。けれども、評価が低い人でもそれなりに素晴らしいのです。ぼくはそう考えていますので、あの人は素晴らしいんですよって誰かを褒める人の声に賛同することはありません。みんながそれぞれに素晴らしいものを持っているからです。
【イエスは女や子どもを見放さない】
さて、イエスは宗教の支配者たちを民衆の前で批判しました。宗教の指導者というのは、現在の日本の宗教者のように権力を持っていない者たちじゃありません。彼らは国を支配している国家宗教の専門家たちですから、政治に影響力がありました。
そのような権力者たちを論破するイエスを見た弟子たちはイエスの力強さに驚くとともに、満足もしていたのでしょう。師匠の行動力に惚(ほ)れ込んでいたと言ってもいいでしょう。
今日読んでもらったエピソードによれば、イエスに魅力を感じた多くの母親たちが、イエスに触れていただくために子どもたちを連れてきた時に、イエスの弟子たちはそれを阻(はば)んで大人たちを叱ったのだそうです。
忙しい師匠をこどもたちによって煩(わずら)わせたくないと弟子たちが考えたのも無理ありません。しかし、子どもたちが来ることを阻止した弟子たちをイエスは叱ったのです。イエスが弟子たちを叱る記事は少ないので、この場面ではイエスの憤(いきどお)りがかなり強調されていることが判ります。すなわち、このエピソードは、世の中の偉い人たちとは違って、イエスが子どもたちやその母たちの現状をちゃんと考えていたことをアピールしているのだと思います。
病人や障害者や女たち、そして子どもたちというのは、当時のユダヤ社会では邪魔者のように扱われており、民族の数にも入れられていなかったのです。ちなみに、旧約聖書で部族の大きさを述べる時に数えられたのは戦争に参加できる二十歳以上の男たちだったのです。
【階級組織が教育を壊している】
少子化対策だとか、高校税金運営化などが進められている我が国は子どもの成長に心を砕いているような振りをしておりますけれども、お産施設が減少していることに気を留めていません。また、教育内容の空洞化から目を逸らしたままで、高校を税金で賄(まかな)うというのですから、教育の荒廃を招くのではないかと恐れます。
教育の原則は、能力によって人を差別せず、小さくされている者を大切に育てることです。イエスは教育原則を知っていたので、それを理解していない弟子たちを叱った物語を描いたのです。たぶん、マルコが福音書を描いた当時の教会組織の現場では女や子どもが阻害されていたのでしょう。
ローマ帝国の権威と結びついた教会が、権威主義の初代カトリック教会を作ったことで判る通り、権力者を大切にするという世の常識に教会組織の中心にいた弟子たちも侵されていたのでしょう。
教会が引き込まれていった階級構造組織は、小さく弱いと評価された者を無視し排除する社会です。教会がそのような組織になってしまう危険を感じたマルコ福音書の著者は、弟子たちが子どもを排除して叱られたというエピソードを紹介することによって、教会を批判したのだと思います。
【ぼくたちは】
教会が組織されてから現代まで組織の階級制度は存続し続けています。こんなことでは、小さいものを大切にして育てるというイエスの福音(教育の原点)から教会は離れたままになります。教会組織だけでなく世の権力組織も今一度イエスの福音を見直して、組織の立て直しをするべきです。
そういう提言をしても、理想的な状態になることはないでしょう。そうであれば、現実的にぼくらは個人として階級組織に対抗しなければなりません。必要なことは、階級組織からどんな評価を与えられようとも、あなたはそのままで素敵であると自覚することです。与えられた評価をそのまま受け入れてしまう自意識の弱い人が多すぎるのです。必要なのは、自分の意識を強くすることです。最強の人生を手にいれるには、自分の意識を変えて自己評価を高めれば良いのです。小さく評価されて、そう思い込んでいる人に対して、あなたはそのままで素敵なのだとイエスも言っておられるからです。