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「人生ドロドロ」20241201

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「人生ドロドロ」20241201

聖書 マタイ福音書 一章一節~十六節

 

 西野バプテスト教会の牧師に招聘されてから来春で二十年になります。ぼくは昔から過激な説教をしてきましたけれども、この教会の牧師になってからは、さらに明確な激しい説教をしてきました。

 今日から十二月でクリスマス月になりました。ちなみに、クリスマスという言葉の意味は、クリスト(キリスト)マス(礼拝)という意味ですから、この時にキリストを礼拝する祭りを行うという程度なのですが、意味も考えずにメルヘンチックに受け取った人々が、商業主義に乗せられて騒ぐようになったのです。イエスの誕生を祝うという意味を明確にするだけなら、その意味ずばり「イエスの誕生祭」と言えばいいだけなのに、何故かクリスマスと呼んで大騒ぎするのです。教会もアメリカから始まった商業主義に踊らされているので素直に祝えないというのが正直な気持ちです。こんな訳で、世間のクリスマスをぼくは素直に喜べなくなっております。十二月になってもこの教会にはクリスマスの飾り付けがないのはそのためです。

 クリスマス・ツリーも、北欧の森の神の祭りの飾りです。また、十二月二十五日というのは農耕に関わるローマの太陽神の祭りをキリスト教が乗っ取っただけだと思います。ということで、ぼくはクリスマスという祭りを好みませんが、教会外でクリスマスというイベントがイエスの福音抜きで語られ続けていることに反発する意味で、福音に関連させてイエスの誕生を語ってみようと思います。

 

【実際は女が主役】

 近頃は性差別の話題を取り上げるのも難しくなってきましたが、イエスの誕生の背景には、男女の差別が大きく関係していると考えています。動物的に見てオスとメスの個体の大きさが示していますように、人間社会が始まって以来、男女差別はありました。ほとんどの民族の家長や族長が男であることもその事実を示しています。しかし、女のいない社会が無いように、家族を本来の意味で守ってきたのは母親(女)です。

 男は仕事だ戦争だと言っては家を出て遠くに行ってしまいます。そんな状況で子供や年寄りの命を守るために、食事を与え、眠る場所を確保してきたのは母親(女)です。しかも、女には命を生み出す力があるのです。女の、力強さがあったから現在まで人間の命の連鎖が続いているのです。男が権力を持っているように見せながら、本当に実権を握っているのは女です。

 男社会で男が威張っているような表現は多いですけれども、聖書という書物はうまくできています。男の影に女がいつも出てきます。聖書は男社会を表現しながら女の重要さを示しているのです。

 

【系図の中の女】

 さて、マタイ福音書の初めに、「アブラハムの子ダビデの子イエス・キリストの系図」と書かれています。実際の親子関係ではなく、アブラハムの子孫、ダビデの子孫という意味で、男系の血統を示して先祖を辿っていけばアブラハムに行き着くと言いたいのです。表面上は、男中心なので男の名前が列挙されています。ところが、興味深いことに、マタイが描いた系図には、マリアを含めると五人の女の名が登場します。

 「ユダはタマルによってペレツとゼラを・・・サルモンはラハブによってボアズを・・・ボアズはルツによってオベドを・・・ダビデはウリヤの妻によってソロモンを・・・ヤコブ(マタンの子)はマリアの夫ヨセフを・・・」と、母の名が登場するのはマタイの特徴です。ちなみに、ルカでは男系男子の名が列挙されているだけです。

 

【嫁タマルの策略】

 まずは、「ユダはタマルによって・・・」という表現を考えてみます。

 ユダ族の長ユダは後に神がイスラエルという名に改名させたヤコブの十二人の息子の一人です。

 ユダの長子エルは子孫を残さずに死んだので、レビラート婚というしきたりに従って、その嫁を次男オナンに与えたのですが、オナンも子を残さずに死んだのです。このような場合には同じように三男にこの嫁を与えて子孫を残さなければならないことになっていたのですが、この嫁を三男シェラに与えた場合、シェラも子を残さずに死ぬかもしれないと恐れたユダは、シェラが成人するまで待たせた嫁タマルを、シェラの成人後も嫁にすることをためらい続けました。ユダの気持ちを知ったタマルは、一世一代の勝負に出ました。その件(くだり)は、創世記三十八章一節~三十節に書かれています。

 ユダは、長男も次男も亡くしてしまい、孫の顔も見ないうちに妻まで亡くしてしまっていました。

 羊の毛を刈る仕事で地方へ出たついでにユダは遊女を買います。族長ユダと言えども、そんなことをするだろうと、嫁タマルは見抜いていました。ユダが地方へ出かけるという情報を聞いたタマルは、先回りして、ユダが通りかかりそうなところで、遊女(売春婦)の格好をして待ち伏せしていました。

 ユダが長男の嫁にもらってきたくらいですから、顔を隠していてもタマルはユダのお気に入りだったんでしょう。ユダは、タマルが仕組んだ罠にまんまとはまってしまいます。

 しばらくして、タマルが姦淫して妊娠しているという噂を聞いたユダは、たいそう怒りまして、「あの女を引きずり出して、焼き殺してしまえ。」と叫びました。

 タマルは、「わたしはこの品の持ち主によって身ごもりました」と証拠の品を見せます。証拠の品をタマルに押さえられていたんですね。

 ユダが遊びのつもりで抱いた女は、嫁のタマルだったのです。タマルは、ユダを騙して、子供をつくるという責任を、ユダに取らせたわけです。

 身勝手な男と強(したた)かな女の話です。律法によれば石打ちの刑に処せられる危険を冒(おか)して、タマルは子供を産んだのです。その子がイエスの父ヨセフの祖先に繋がっているのです。

 

【ぼくたちは】

 処女(おとめ)マリアがヨセフの知らぬ間に妊娠したという事実を伝える前に、重要な先祖たちが訳ありの女たちとの間で救済史を担う子を産ませていたという事実をマタイは伝えたのです。

 後にキリスト(メシア、救い主)と呼ばれるイエスが誕生する背景には、このようにドロドロした人間関係が、隠せない事実としてあったことをマタイは皆に知らせているのです。そしてマリアがイエスを生むということも、ドロドロした現実の物語であるけれども、先祖たちと何も変わらない、とマタイは伝えたかったのでしょう。イエスの誕生は、かつて考えていた美しい御伽話ではありません。そしてぼくたちの現実もドロドロしていて綺麗な御伽話ではないはずです。けれどもそれでいいのです。なぜならば、どんな現実であっても、人を救う新しい物語をイエスは生み出すことができたからです。

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