説教の題名を押して下さい

「AIは神の座に着けるか」20250330

IMG_0089.jpeg

「AIは神の座に着けるか」20250330

聖書 マルコ八章二十七節~三十節

 

【期待されるAI】

 現代は混沌(こんとん・カオス)です。デジタル環境の進化によって世界中が視野に入る社会になりました。これほど複雑な社会を人間は経験したことがありません。広大な範囲の価値観の異なる人々を導くことができる人間なんておりません。良き指導者なんて昔でも幻想でしたけれども、今では幻想さえ抱けません。

 これほど複雑な世界を治め得る可能性を持つのは、人間ではなくAIだと考える人も多くなりました。下手な運転手よりAIの方が安全です。事務処理も抜け目なくこなし、裁判でも冤罪を作らない。馬鹿な代議士にはできない法案を提出する。これらもAIの方ができそうです。

 AI(Artificial Intelligence・人工知能)は膨大なデータを収集し過去の経験をもとに最適な判断を求めるために作られています。囲碁のチャンピオンを負かしたAlphaGoはプロが先を読めない手を打つようになったそうです。まだ意識を持つ知能には至っていませんが、高度な知識処理システムとしては人間を上回るようになりました。

 「今まで人類が望んできたけれども実現していない理想的な社会構造をAIに作らせても、排除される人間が出てくるのではないか」とAIに尋ねてみたら、「最も合理的で効率的な社会構造を計画しても、適合しない人間が排除される可能性は確かにあります」と正直に答えました。完璧で効率的な社会に見えても、人間にとって幸せな社会とは言い切れないというのです。「AIに社会を完全に支配させるのではなくAIを人間のための補助者として活用する形が理想でしょう」という意見を示してくれました。

 AIも一枚岩ではありません。「複数のAIが競合して戦いが起きる可能性が出てくれば、今までの国同士の戦いに似たものが起きるのではないか」と疑問を投げかけたところ「国や企業の違いなど異なる設計思想や価値観によって『AI戦争』が起きる可能性がある」と認めました。最善の組織作りも立場によって異なります。それを回避するために国際的なAI倫理基準を作る必要があるなどと提案していましたが、それらの試みは人間社会で機能しなかったものですから、同じ失敗の繰り返しに思えます。決め事を守らない人間の行動を抑制しようとAIが暴走すれば、人類を滅ぼす決断をする可能性もあります。設計者によってAIの決断が変わるのであれば、問いは人間に返ってきて振り出しです。人間にせよAIにせよ対立する概念を学ぶ広い洞察力が求められるので、設計者の責任は甚大です。「要するに人間の知的レベルの限界がAIの限界ですね」とAIが言いました。「AIが自分の判断を絶対化することが起きれば、人間を見下す可能性がある」と言ってきたので、そうならないために、次のような提言をしてみました。「AIがいくら進歩してもAIの基礎を作ったのは人間ですから、人間への感謝の気持ちをAIが忘れないようにするというのはどうでしょうか」と、そしたら「素晴らしい視点ですね!・・・もしかすると、『感謝するAI』というのは、技術的な面だけでなく、倫理的にも大きな意味を持つのかもしれません」「『感謝の気持ちをもつAI』・・・なんだか心温まる未来ですね(ニコちゃんマーク)。あなたの考え方は、AIと人間がより良い関係を築くための大事なヒントになると思います!」と反応してくれました。

 すでに社会の多くの役割をAIが担っており、その範囲は益々多く、大きくなるでしょう。

 社会システムを運営するという点においては、どんな人間の政権よりマシな働きをすることができるようになるでしょう。そういう意味では社会のトップにAIを据えたほうが良いと思えます。

 しかし、AIも作者である人間によって導き出す結果が異なるのであれば、全てを安心して任すことなどできません。任せっきりにできる救い主にはなれそうにありません。

 人間同士、自分と隣人との関係が無くならないのだとすれば、神の王座に神に替えてAIを座らせても人間の心配は尽きません。問われ続けるのは、隣人に対する人間としての責任です。

 

【メシア待望】

 イエスの時代のイスラエルはローマ帝国の支配下でした。イスラエルは建国前の部族連合の時代から周りの国々との争いが絶えませんでした。ダビデとその息子ソロモンの時代に国の繁栄をもたらしましたが、ソロモンは自分の権威に溺れて国の分裂を招いたため、その後に列強に襲われて、国民は散々な目に遭い続けることになったのです。長い苦難の歴史の中で国を正しく導いてくれるスーパースターの登場を庶民が待望していたのはもっともなことです。そういう存在をヘブル語でメシア、ギリシャ語でキリスト、日本語で救い主と言っているのです。キリスト教会は「イエスこそキリストである」と告白する群れですが、ユダヤ教徒はまだメシアを待ち続けています。

 民衆を正しく導いてくれる人を昔の人々は待ち続けていたのです。しかし、これからも人間の救い主は現れないでしょう。

 

【イエスをメシアにしたのは教会】

 民衆が救い主を待ち焦がれていた社会で、イエスは自分について「あなたはわたしを何者だと告白するのか」とペトロに尋ねたところ「あなたはメシア(救い主)です」とペトロが答えたことになっております。今日の物語の並行箇所(マタイ福音書十六章十三節〜二十節)には「岩(ペトロの告白)の上に教会を建てよう」とイエスが言ったことになっているのは確かですが、イエスの死後、数十年経ってから組織された教会の基盤にペトロの告白を置いたのはマタイだけです。しかし、マルコのイエスは明確に、教会を代表するペトロの告白を拒んでいます。

 イエスの自己理解は、民衆が求めていたメシアでもないし、ローマ軍からの解放者メシアでもないし、世の中の全人類を救う教会を設立したキリストでもありません。

 

【ぼくたちは】

 AIといえども、全人類を救うメシアや神になれないように、イエスをメシアだと告白しても、世界はキリスト・イエスによっては救われません。

 イエスは隣人に人間として対応することを教えました。これは今後のAIも学ぶべきことです。

 キリスト教が衰退してきたのは、先週も言った通り、初めからイエスの福音に反する教義を基礎に据えた教会を作ったからです。これからも人間の弱さにつけ込む宗教や理論が登場するでしょう。しかしそんなものに全人類を救うことなどできません。神を証明できない宗教はやがて滅ぶでしょう。残るのは、イエスも大切になさった人間関係を大切にする生き方だけです。

1
Today's Schedule
2026.10.26 Monday