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「平和の概念は国によって異なる」20240825

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「平和の概念は国によって異なる」20240825

聖書 マタイ福音書 五章四十三節〜四十五節

 

 自分でもどれほど変わってきたのか、十八年前の説教を振り返ってみたところ、今と同じ部分もかなりありますけれども、今では使わなくなった表現もありましたので、自分の説教を批判的に読んでみました。まず、目立って批判すべき部分は、今の書式にすれば八ページもあったことです(笑)。冗談はさておき、考え方がかなり変わったのは事実です。

 イエスの公生涯は三年ほどですけれども、それほど短い期間であっても、活動の初期と後期では考え方に、ずいぶん変化があったようですから、ぼくの場合は当然でしょう。

 社会の考え方も、この二千年の間にはずいぶん変わっています。

 みなさんと深く話すようになって、みんなも大きく変わったことがわかります。それだけではなく、ひとりひとりの考え方や感じ方は本当に異なっていることも判りました。

 仲が良さそうに見える関係でも、それぞれの考え方はことごとく異なっているものです。同じ人でも時間が経てば変わります。顔や体と同じように、考えもずいぶん変化して当然です。

 さて、二〇〇六年(十八年前の)八月六日の説教題は「戦争と福音」でした。当然、原子爆弾の話題から始まっております。

 

【原子爆弾の実証実験】

 一九四五年八月六日に広島に、八月九日に長崎に、アメリカは異なった種類の原子爆弾を投下しました。日本が無条件降伏を受け入れる間際に原子爆弾の実験を間に合わせるためだったと思われます。

 当時、広島の人口は四十二万人で、死者、行方不明合わせて十二万二千三百三十八人。長崎の人口は二十四万人で、死者、行方不明合わせて七万三千八百八十四人と言われています。

 被爆後五年以内に亡くなったのは広島で二十万人、長崎で十四万人と言われています。都市の五〇%から六〇%が殺されたのです。

 現在のイスラエルの攻撃によるガザでの死亡者が四万人を超えて、集団虐殺(ジェノサイド)だと言われるように、日本本土並びに離島各地への攻撃も原爆投下もジェノサイドであることを忘れてはなりません。ところが、世界唯一の原子爆弾被曝によって日本人の魂(たましい)は挫かれてしまったようです。七十九年間もアメリカ軍の占領を許してきました。

 

【父の戦争体験】

 小学生のころ「二十世紀の記録」とかいう戦争の実録フィルムを編集した番組をよく見ておりました。ミッドウエー海戦について、父と一緒に見た後で、「あんな失敗をしなければ、日本も負けなかったかもしれんなあ」と言ったぼくに「日本が戦争に負けてよかったんや」「もしも、日本が勝ってたら、あのまま戦争を続けてたやろう。そしたら、お前とこんなふうに話してられへんかったやろなあ」と、小学生のぼくに父が言いました。また、「戦争に勝ったアメリカ見てみい。あれからいまだに戦争やっとるやろ」と教えてくれました。

 中国大陸にいた父たちはソ連の捕虜になりバイカル湖を見ながら貨車でシベリアに送られたこと、モスクワの赤の広場をトラックの荷台から見たこと、具がほとんど入っていない野菜スープと黒パンを食べさせられたことなど、父は捕虜の経験についても話してくれました。

 鶴嘴(ツルハシ)で穴が掘れないほど凍っている原野に電柱を立てる作業をさせられた時に「凍らせて電柱を立てたから、春になったら全部倒れたやろうなあ」という面白い話もありました。しかし、父の兄は南方で戦死したという辛い現実もあります。

 

【戦後の平和】

 戦後七年して産まれたぼくは、学校で怖い戦争の話は抜きで、平和憲法を教えられました。

 ぼくらにとって「平和」とは「戦争がない」ということでした。それはどこに行っても同じだと思っていたのですが、戦火の中で産まれ育った子供たちには、戦争のない平和という概念がないことに気付いた時には驚きました。彼らの生活は戦争と共にあったのです。

 日本は負けて戦争をやめました。しかし、父の言葉のように、戦勝国アメリカはその後も戦争を続け、自国兵を含め、何万人も殺しました。日本は七十九年間、戦争による死者は出していません。平和の概念は、国や時代によって異なるのです。

 そう言う事実を念頭に置いて、平和は自分の力で(武力だけではなく外交努力を駆使して)守るべきものだと考えます。アメリカの軍事力によって日本の安全が守られていると考えてきたのは勘違いでした。この部分は昔のぼくの考えと今の考えが変ったところです。

 

【平和憲法】

 日本は平和憲法で守られていると教えられてきました。しかしその憲法は戦勝国GHQのマッカーサーが被占領国日本に押し付けたものだったのです。

 それ以降、アメリカは日本にアメリカの前線基地を置いているのです。日本は守ってもらっているのではなくて、アメリカは、自国の利権を守ってきただけです。

 日本は自分の力で自国を守る戦力を持ってはならないという平和憲法で、押さえつけられ、自立する防衛力さえ必要ないと思い込まされて来ました。その上、占領軍に思いやり予算を出させられてきたのです。そんなことをずっと隠されていたので知りませんでした。

 

【律法とイエスの教え】

 旧約聖書には、「敵を絶滅せよ」という命令(民数記二十一章二節、ヨシュア記六章十七節、二十一節)があります。イスラエルはこの言葉に従おうとしています。「隣人を愛しなさい」という命令もありますけれども、律法が言う隣人とは同胞という意味です。

 イスラエルが、神の名を用いて戦争を正当化しているのは明らかです。

 これに対抗してイエスは「悪人にも太陽は上り、正しくない者にも雨は降る」という自然を前提に「隣人」を「敵」に代えました。

 律法中心の宗教社会において、ガリラヤの田舎から出てきた若者イエスは、伝統的な律法を否定して「私は言う。敵を愛しなさい」と言ったのです。新約聖書を神の言葉と信じているキリスト教会は「敵を愛せよ」というイエスの言葉に従っていると思いたいのですがそうでもありません。

 

【ぼくたちは】

 ぼくらは「敵」に囲まれています。アメリカの前線基地は、アメリカの都合で、いつ撤退するか判りません。もしそうなったらどうしますか。やはりぼくらはまず自立しなければなりません。まず自立して、敵と話し合い、理解し合う努力をするしかないのです。それが「敵を愛せよ」というイエスの言葉を大切にすることなのです。

 戦争のない平和を作り出すには、自ら自立し、世界の国々と対等に議論する以外に方法はないのです。敵と思える嫌な相手でも議論することが「敵を愛する」具体的な方法だと思います

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