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「神から離れ自立せよ」20240908
「神から離れ自立せよ」20240908
聖書 創世記二章七節〜九節、十五節〜十七節
「初めに、神は天地を創造なさった」という言葉が創世記の冒頭に置かれています。その理由は「創造神には逆らえない」という思いを、すべての民に刷り込むためでしょう。支配者ソロモンが神殿に集めた学者たちに、書き込ませた言葉に違いないと先週の説教で言いました。
さて、今日の箇所は、天地を創造した神が人をも創造したと告げています。先週の言葉も今週の言葉も共に、神が創造者であるとを一方的に宣言しているのです。まるで侵略者が占領した民族に向かって一方的に奴隷宣告しているかのようです。つまりこれらは暴力的な弾圧の言葉なのです。
冷静に考えれば、こんなことを言う権限は誰にもありません。そうであるにもかかわらず、創世記の神は、勝手に一方的に命令を下すのです。しかも、従わない者を罰すると言うのですから、まったく理不尽な態度なのです。
ですから今日は、このような暴力的な神を押し付けてくる宗教に対して人間の尊厳を取り戻すための説教をいたします。
【世界は神の言葉で始まったのではない】
人の反論を許さないために、宇宙を創造した神が人を作ったと創世記は宣言しています。
神は土を原料にして人を作ったと書かれています。人は死んだら土に還りますから、これは理にかなった表現です。
土はヘブル語でアダマー(女性形名詞)です。これを男性形名詞を示す語尾に変えるとアダム(男性形名詞)になります。神は土(アダマー・女性形名詞)から人(アダム・男性形名詞)を作ったとあるのは、とても上手な言葉遊びです。
この時点ではまだアダムと名付けられていませんが、以降、便宜的にアダムと呼ぶことを許して下さい。神は人をエデンと呼ばれる園に連れてきたと書かれておりますので、エデンの園は神がアダムのために作った理想郷だと思っている人が多いのですが、勘違いです。
エデンは、神が自分の好みに合わせて造園した神の庭です。ここを耕し守らせるために神はアダムを連れてきて住まわせた(創世記二章十五節)のです。言わば、アダムは住み込みの庭師にされたのです。アダムへの報酬は、中央の木を除く園に実る産物です。「ただし、園の中央にある『善悪を知る木』からは食べるな。食べると死ぬぞ(食べたら殺すぞ)」と脅すほどに神はこの木を大切にしていたようです。
ここまで聞けば、頭の回転が良いみなさんは、もうお気づきでしょう。そうです、アダムはその実を食べてしまったんです。こうなりませんとドラマが始りません。
【命令に従わなかったアダム】
突然に神がエデンの園の様子を見にやってきます。アダムが見当たらないので、呼びかけると、茂みの中からアダムが応えます。なぜそんな所に隠れているのかと神が問いますと、裸なので恐ろしくて隠れていました、とアダムが応えます。
神の命令に背いたことがバレてしまい、アダムはエデンから追い出されます。
「不毛な地に出ていって勝手に苦労しろ」と言ってアダムをエデンから追い出した神話の神は、かなり短気ですが、それだけの話です。
人は額(ひたい)に汗して働かなければならないとか、女は苦しんで子を産まなければならないという現実の苦痛の意味を説明するために、昔の人が作った神話があちこちに挿入されておりますけれども、そんな逸話をそのまま信じ込んで、人は神から呪われた存在であるかのように考える必要はありません。
人が自分の思い通りに働かないからという理由で人を呪う心の狭い神なんてろくなもんじゃありません。そんな神は神話に登場するだけです。
怒りを納めてもらうために犠牲を捧げ、供物をお供えしなければ何をするかわからない神なんて正気じゃありません。もし会社の社長がそんな人だったならば、そんな企業で働き続けることなどできません。
犠牲や供え物が必要だと教えるのは、これを書かせたソロモン自身が、そのような悪徳支配者だったからです。このような支配者の下からは早く逃げ出すべきなのです。
勝手に出てきて人に命令し、従わない者に罰を与える神なんて、ソロモンのような人間が勝手に作った概念の神です。しかもかなり下劣なほうです。そんな身勝手な神からの命令に従わなかったからという理由で罰せられる筋合いはありません。
【新しい生き方を見つけたアダム】
園の中央の木の実を食べたアダムは、エデンを追い出されましたけれども、悪いことではありませんでした。なぜならば、この事件によって神の命令に従わない独立した生き方を、アダムは見つけることができたことになっているからです。神に従わないことを悪だと断定する人が多いですけれども、神からの独立は善でも悪でもありません。収穫を得るには苦労する覚悟が必要なだけです。
【原罪なんかない】
アダムが神の命令に従わなかったがゆえに、全人類が罪人になったという、いわゆる原罪がこの時に人類に入り込んだという教えは言いがかりです。原罪の概念を刷り込むためにこの物語は利用されてきましたけれども、誤用です。
それにしても、神殿に集められた学者たちが支配者ソロモンによって、こんな物語を書かされたとすれば、反発心も表れているはずです。そのような思いで気をつけて読めば、この物語は後に続く物語の舞台設定の役割を果たしておりますけれども、内容は独立していることが判ります。
この物語に続くアダムの息子、兄カインと弟アベルの物語の中に「罪」(創世記四章七節)という言葉が出てきますために、最初の物語を「罪」と関連づけて解釈する人が多いのですが、これらを学者たちは、はっきりと区別しているのです。
神の命令に従わなかったアダムの物語に「罪」という言葉は使われておりません。ましてや原罪という概念などまったく取り扱われていないのです。ここに神話を書かされた学者たちのメッセージが隠されていると思います。追い出されたアダムは、神の支配から抜け出したのですから苦労して独立すればいいだけです。独立することは、罪や善悪と関係ないことが示されているのです。
【ぼくたちは】
創世記の神も神に対する罪も、人間が作りだした概念です。概念の神の命令に従わないことは罪ではありません。神に対する原罪など全人類にないのです。僕たちは、神話の神の支配などから抜け出して、自立して生きるべきなのです。