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「求めれば与えられる」20250216

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「求めれば与えられる」20250216

聖書 マタイによる福音書七章七節〜十二節

 

 アメリカにキリスト教という宗教を取り戻して、建国の精神に則ったアメリカにするという内容のスピーチをトランプ大統領がしたようです。アメリカのキリスト教と言っても、一枚板ではありません。そんな宗教を国の基礎に据えれば、イスラム教徒や無宗教者への迫害が生まれる可能性があります。これもユダヤ人へのリップサービスなのかも知れませんが、アメリカという国がぐちゃぐちゃになる予感がいたします。安易に国政に宗教を持ち込んでも、かつてのローマ帝国のように失敗するのは目に見えています。そんな国家になることをトランプ大統領は本当に望んでいるのでしょうか。

 

【本当に与えられるのか】

 今日は「求めれば与えられる」というまことに信仰深く聞こえる説教題にしました。今さらこんなことを言うなんて、岩本牧師は宗教に狂ったのかと心配なさった方もおられるかも知れません。しかし、宗教への狂いはとうに去っておりますので、心配なさいませんように。

 「求めれば与えられる」とイエスは仰ったようですが、求めても与えられないというのが実感です。祈りが叶えられないのは、求め方が悪いからだとか、神はあなたが求めた以上のことを形を変えて叶えてくださっているのだと教えられたことがありますけれども、そのような教えは宗教指導者の逃げ口上に聞こえます。求めたものが与えられるなら、なんだかんだ屁理屈を言わずに、すぐに叶えてもらわなければ意味ありません。

 

【求めるものがはっきりしていない】

 そこで今日紹介したイエスの言葉が真実であると仮定して(笑)、言葉の意味を考えると、初めから躓(つまず)きました。

 「求めよ」と言われたらあなたは何を求めるか明確に答えられますか。あなたの欲しいものが明確であれば「求めてください、そうすれば与えられます」これがイエスの教えです。

 さて具体的に求める段階になるとはっきりしていないことに気づく人が多いはずです。簡単なようで、難しいことなのです。

 デパート、大型家電量販店、スーパーマーケット、あるいは、街に行かなくてもインターネットでたくさん販売されているように、今の日本では物もサービスも溢れております。しかし、本当に欲しい物はなかなか見つかりませんし、手に入りません。また、たとえ欲しくて手に入れたものでも気に入らないなどということばかりです。好きなものを手に入れたつもりでも性能や使い方などが満足できなかったりする場合がほとんどです。また、飽きたり、興味を失くす場合もあります。つまり本当に欲しいものを手に入れるのは難しいのです。

 

【叶えられる実感がない】

 一方、福音書に病気や障害の癒しをイエスにお願いして叶えられたという記事がたくさんありますように病気が治りたいという欲求ははっきりしています。しかし、ぼくの経験にはありません。諦めがあるからでしょうか、熱心に祈らないからでしょうか。熱心に祈ってもダメだという経験があるからダメなんでしょうか。辛子種ひとつほどの信仰があれば山も動かせるとイエスは言ったのですから、豆粒以下の信仰もないのでしょうね。まあ、比喩だと考えれば山を動かした人がいるのは事実ですが、実際に山を動かした人はおりません。

 

【平和は難しい】

 平和が来ますようにと毎週祈っていますが、世界平和なんて全く実現しそうにありません。そもそも、あなたとぼくの平和のイメージは異なるので難しいです。家庭内の平和もなかなか保てません。

 近頃は休みが欲しいと言う方も多くなりましたが、休みには寝ていたい人もいれば、早朝から観光地に出かけたい人もいます。感覚がズレれば、恋人同士でも、家庭内の平和も飛んでしまいます。昔話にあるように、爺(ジジ)は山へ芝刈りに、婆(ババ)は川へ洗濯に、とそれぞれが自分の好きなことをしていた方が平和だったりするもんです。

 戦場で自国の兵隊が自動小銃を肩に掛けて歩いている姿を見て平和を感じる人もいるそうです。日本では自衛隊基地の番兵も自動小銃を持っていません。たとえ持っていても弾は充填(じゅうてん)していないそうですから危険を感じないぼくらの平和とイスラエルの平和は全く異なります。

 

【本当に求めているのか】

 だから、求めることって何なのでしょうか。本当に望むことが解っていないとすれば、叶えられようもありません。ちょっと立ち止まって真剣に考え論じ合う必要があるはずです。

 一七八万円の減税を求めると言っていた国民民主党のトーンも下がってきました。真剣に求めなければ与えられないでしょう。

 人間国宝とか賞される人が自分の作品にまだまだ満足せずにさらなる高みを目指すように、どこまで行っても満足できないのが人間じゃないでしょうか。あなたはどうですか。

 

【ぼくたちは】

 本当にほしいものは手に入らないんじゃないでしょうか。大切なことは、求める心と、どこかで満足する心のバランスをとることかもしれません。

 どこかに妥協点を作って、自分を満足させるというか、落ち着かせて、そこからまた新たな挑戦を始めれば良いのだと思います。

 「求めれば与えられる」というイエスの教えは、人それぞれ、求めるものによって、得るものは違うということです。そうすれば必ず得られるという安心感を持つことも重要です。ただし、「パンを欲しがっている息子に石を与える人はいない。魚を欲しがっている時に蛇を与えない」という具体例が示されているように、大それたことを考えるのではなくて自分にできる範囲で考えればいいのです。

 ここで話に別の視点が加えられます。すなわち、自分の望みの話をしていたはずが、突然に、他人からしてほしいと思っていることのすべてをあなたが他人にしなさいという話にすり替わっています。

 上手く丸め込まれて騙(だま)されたように感じますがそうではありません。冷静に考えれば、何を求めるにせよ自分一人ではどうにもならないことばかりだからです。求めれば与えられるのは、助けたり助けられたりする関係の中でだけ起きることだからです。他人にすることが自分にされることだと知って、自分がして欲しいと思うことを他人にする。これが鉄則、つまり律法であり預言者であるとイエスは言いました。

 律法や預言者(裁き人)は、人間関係を円滑にするためにあるのですが、そんなものさえ必要としない人間関係を自ら作るようにとイエスはすすめているに違いありません。

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