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「著者たちは仲が悪い」20240630

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「著者たちは仲が悪い」20240630

聖書 マルコ福音書 三章十三節〜十九節

 

 聖書は誤りなき神の言葉だと信じておられる方々は、ぼくの話が聖書に根ざしていないと非難なさいます。しかし、ぼくは何十年も聖書を大切に読んできたのですから、聖書を知らないで話しているのではありません。四世紀終盤に公認された二十七文書は、初めから揃ったものではありませんでした。中には対立した主張を持っているものもあるのです。違いをそのまま扱うことが聖書を大切にすることです。違いを認めず聖書に矛盾はないと言うのは著者を軽んじた発言です。

 

【イエスの弟子たち】

 さて、イエスにはどれほどの人が同行していたのでしょう。女たちもいたはずですが、イエスは十二人の男だけを特別に選んで、使徒(アポストロス・遣わされし者)と名付けた、と今日の箇所には書かれていました。自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ、悪霊を追い出す権能を持たせるためだったと書かれています。

 十二という数は、イスラエル十二部族にちなんだ数だと思われますが、イエス自身が十二という数にこだわっていたのかどうか判りません。いやいや、聖書にそう書いてあるのだから、イエスがお決めなさったのだという批判が出てきそうですが、十二という数字に拘(こだわ)ったのは、後の教会であったように思います。

 裏切り者の汚名を着せられたイスカリオテのユダが排除されたために、使徒が十一名になってしまったので、不足を補うために弟子たちが二人の候補者を立てて、くじを引かせ、マティアという弟子を十一人に加えた(使徒言行録十五節〜二十六節)と報告されています。つまり、マティアはイエスが選んだ使徒ではないのです。イエス自身による選抜かどうかよりも、十二という数合わせを大切にしているのだと思えます。ちなみに、この場面以外にマティアへの言及はありません。

 マルコ福音書では、大事な場面にイエスが同行を許した弟子はペトロとヤコブとその兄弟ヨハネ(マルコ五章三十七節、八章二節)、またこの三人とアンデレ(十三章三節)だけです。実際に終始イエスと行動を共にしていたのは、彼らだけだった気が致します。

 

【聖書の成り立ち】

 聖書の文書は一つの真理を多方面から描いているのではありません。それどころか、互いに主張をぶつけ合っていると感じます。

 たとえば、今日取り上げたマルコ福音書は、福音書の中では最も早く、たぶん紀元七十年前後、すなわち、イエスが殺害されてから四十年ほど後に纏められた物語集です。すでにその頃にはマルコが批判したいほど組織立った教会(エクレシア)があったと考えられます。

 イエスの殺害から二十年も経たない内に、つまり五十年代前後に書き残されたパウロの手紙の中に教会内での揉め事についての言及があることでも判ります。すでにその頃、エルサレム教会と異邦人(ユダヤ人以外の全ての人)との間で、信者への対処の仕方に違いがあったのです。

 ちなみに、新約聖書正典の中で著作年代が最も早いのはパウロの手紙です。このパウロはイエスをキリストだと信じる人々を捕らえては獄に繋ぐ迫害者でした。迫害旅行の途中で復活のイエスを知って、イエスこそ救い主だと伝える人になったということです。そんなパウロを信じられない人や裏切られたと思ったユダヤ教徒から命を狙われて、エルサレムから逃亡したのがパウロです。パウロは必然的に異邦人の地で伝道活動したために、異邦人教会ができたのでしょう。

 このようなパウロが、後に伝道旅行に出掛けた先で作った教会(たぶん誰かの家を拠点にした集まり)の人たちに宛てて書いた手紙類が、正典新約聖書中の最も古い文書類です。ちなみに、パウロの名で書かれた十三書の内で本当にパウロのものは七書だけです。とにかく初期の頃の信者は新約聖書のかけらも持っていなかったのです。

 ところで、パウロが伝道し始めた頃はまだクリスチャンという呼び名さえありませんでした。異邦人伝道が始まったシリアのアンティオキアという町でバルナバが誘い出したパウロと共に一年間熱心に教えた結果、弟子たちが初めてクリスチャンと呼ばれるようになった(使徒十一章十九節〜二十六節)と書かれています。すなわち、現在の教会では当たり前のように考えているものは何も揃っていなかったということです。

 

【使徒の権威に頼った教会とイエスの福音】

 お手本がなかった頃の信者は、使徒という称号が与えられたイエスの直弟子たちに頼りたかったのでしょう。使徒を中心に組織化を進めたのも頷けます。しかし、組織とイエスの福音は合わないものです。出来上がった教会組織はイエスの生き様に対立するものであったことは明らかです。

 組織化された教会で育てられたけれども、教会が進んでいる方向が、イエスの生き様と違うと感じ、イエスの生活振りに目を注ぐ必要があると感じたのがマルコだと思います。そこで、マルコは、民衆のなかに残されていたイエスの物語(ストーリー)を集めて編集したのです。

 マルコ福音書はイエスの具体的な生き様を示すことによって、弟子たちと弟子たちの作った教会(エクレシア)の有り様を結果的に批判することになりました。

 

【ぼくたちは】

 形あるものがほとんど無い頃に、教会とはどうあるべきかを考えて、具体的な指示を手紙に書いたパウロ、それよりも二十年ほど遅れて、イエスの具体的な生活振りを通してイエスが伝えようとしたことを物語形式で綴ったマルコ、この二人が文書を残した功績はとても大きいものでした。彼らの主張に触発されて書かれた書物の中には、パウロやマルコと相反する主張があるのです。

 イエスは自分をキリストにして祀りあげる教会が出来るなど、予想もしていなかったでしょう。

 マタイ十六章には、イエスを神の子メシア(キリスト)だと告白したペトロの告白を土台にイエスが教会を作ると言ったと書かれていますが、同一場面を描いているマルコのイエスはペトロを誉めるどころか叱責しているのです。先に書かれたマルコの伝承に対抗して、教会を守るためにマタイが福音書を書いたことは明らかです。教会という組織を守ろうとするグループとイエスの生の福音を大切にしようとするグループがあって、互いに反目する文書を残しているのですから、著者たちは仲が悪かったどころではなく、否定し合っているのです。ぼくらがしなきゃならないことは、このような文書を読み比べながら、自分で解釈して、自分が進む道を自分で決めることなのです。

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