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「自身の変革が時代を革新する」20241117

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「自身の変革が時代を革新する」20241117

聖書 ルカ福音書 四章十六節~三十節

 

 衆院選挙に続いてアメリカ大統領選挙が終わり、ネットでは今、兵庫県知事選挙が話題になっております。今年は年の初めから激変が起こりました。今まで世間が当たり前のように思っていたことの、どんでん返しが続いているようです。

 聖書の世界でも、イエスの登場によって、それまでの秩序が大きく変えられました。多くの利権者たちはイエスを認めませんでしたが、イエスは怯(ひる)みませんでした。そこが素敵です。

 今日紹介したルカの記事は三つの共観福音書に記録されています。しかし、マタイやマルコが記録していない二つの逸話(いつわ)をルカだけが書き残しているので、今日はルカを見ます。

 

【エリヤとエリシャの逸話】

 ダビデが統一した王国は、紀元前九世紀半ば、ソロモン王の死後、北イスラエル王国と南ユダ王国に分裂しました。その北王国で活躍した預言者がエリヤとその弟子エリシャです。

 預言者エリヤは異国の神の預言者との対立には勝ったのですが、異教にのめり込んでいた王妃イゼベルに命を狙われて逃げていた時に、山中でカラスに養われたという逸話もあります。その後、異邦人の土地であるサレプタという町まで逃げたのです。その地も飢饉で食べ物がなかったため、残りの食材でパンを焼いて食べた後は死ぬだけだと覚悟していた寡婦(やもめ)の家に転がり込んで、まず私のためにパンを焼いて持って来るようにと言います。女が言葉通りにしたところ女の家の粉や油はなくならず、彼女もその息子も飢饉を乗り越えたという逸話です。列王記上十七章にあります。

 もう一つは、重い皮膚病を患っていた異邦人の将軍ナアマンがイスラエルから来た奴隷の少女から預言者の噂を聞き、エリシャの元にやって来て癒されたという逸話です。列王記下五章にあります。

 

【神の独善的な選びの神学は問題である】

 ルカによれば、「イスラエルには多くの寡婦や重い皮膚病患者がいたにもかかわらず、顧みられたのは異邦人の彼らだけであった」とイエスは語ったというのです。神の救いはイスラエル民族を超えたものであり、神は自由意志で彼らを救ったと教える牧師も多いと思います。しかし、これらの逸話が、神の独善的な選びを強調しているならば、神が多くの寡婦の中の一人だけ、多くの病人の中の一人だけを救って、他の多くの人々を見放すのはなぜかという疑問が湧きます。神の自由な選びを強調する神学は、多くの人は放っておかれているという現実問題を解決できません。イエスはこのような神学を持っていなかったはずです。

 救いはイスラエルだけのものではなく異邦人にも及ぶというイエスの教えは福音書全体から言えることですが、それを今日の二つの逸話に結びつけてしまうと、イエス自身の自己主張が薄れてしまいます。大切なのはイエスの自己認識です。

 ルカが悦(よ)く表現している通り、イエスは自分を、時代を変える存在だと認識していました。エリヤやエリシャの逸話で異邦人の救いに話を向けてしまうと、今日の話の前半部分、すなわち、イエスの自己主張を弱めてしまうと感じました。二つの逸話は、蛇足に違いありません。

 

【大切なのは自己認識】

 「預言者が故郷や家族の中では敬(うやま)われない」とイエスが言ったとマタイやマルコが伝えていることから解りますのは、イエスは遠回しに自分を預言者だと自己主張していることです。これだけでも過激ですが、ルカはこれに輪をかけて、イエスの自己表現を具体的に描写しているのです。

 本当にあった出来事かどうか判りませんが、ルカの描写は、イエスが会堂で教えたというマタイやマルコの表現を遥かに超えています。

 具体的に見ましょう。会堂(ユダヤ教のシナゴーグ)に入ったイエスは、朗読するためにイザヤの巻物が手渡されたので、朗読を始めました。

『主の霊がわたしの上におられる。

 貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。

 主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。』(イザヤ六十一章一節)

 人々の注目が集まった時に、さらにイエスは自分の言葉で「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と付け加えたとルカは書いています。新しい律法解釈を教えたというのではなくて、「この聖書の言葉がたった今、実現した」とイエスは語った、というのがルカの主張です。

 昔の有名な預言者エリヤやエリシャのように、自分も故郷で敬われないと語ったイエスは、自ら預言者であると自己表明しただけにとどまらず、それに輪をかけて、自分こそが預言者イザヤの預言したメシア(油注がれし者)だと表明したのだとルカは書いているのです。

 メシアというのは人類の歴史の中にただ一人だけではありません。民族の歴史の過渡期に登場したモーセやダビデや士師記時代のギデオンやサムソンも一時代の転換期を生きたメシアです。

 キリスト教にとってメシアは究極で永遠の存在ですけれども、そこまでの自覚がイエスにあったとは思いません。そうだとしても、律法に縛られている時代に終わりを告げるメシアとしての自覚はあったはずです。しかし、たとえ一時的なメシアという意味であったとしても、自分で自分をメシアであるなどと言ったならば人々の反感を買うのは明らかでした。それでも、自分はメシアであると言い切った。これこそがイエスの生き方でした。自信のない現代人が真似るべき生き方です。

 

【ぼくたちは】

 自分の生き方は自分が一番よく解るのです。偉い人から認めてもらったり褒めてもらわなくても人は生きていけるのです。現代人は批判に弱すぎます。

 盗んだり、殺したり、公共の福祉に反することは許されませんが、他人の反応を見るより先に、自分の生き方は自分で考えて決めるべきです。

 イエスは自ら預言者であると自己表現したことによって、他者から攻撃されました。けれども、批判する群衆の中から悠々(ゆうゆう)と出て行きました。イエスから見習うべきことは、このような自己理解の強さを持つことです。強くなれないとあきらめている人は、周りを気にし過ぎて自分を見失っているだけです。周りを怯える必要はありません。

 さて、来月は降誕祭(クリスマス)です。いつも話しているように、生まれた時から差別されていたイエスに怖いものはなかったのでしょう。イエスは常に自分が到達した考えに立って生きました。イエスのように自覚を持った生き方が自分を強めるのです。自覚して生きるように自分を変革することが時代を革新することになるのです。

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