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「79年間の占領」20240818

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「79年の占領」20240818

聖書 マタイ福音書 五章四十三節〜四十五節

 

 人は誰にも宗教心があると思います。それを否定するつもりはありません。ただ善良な他人(ひと)の宗教心を利用して自分のために他人を自由に動かそうとする人や組織があるので、気をつけてほしいと願っているのです。

 人を自由に動かす組織として最も質が悪い(たちがわるい)のが宗教組織です。ここで言う宗教とは、制度として確立された組織とその教義です。組織化された宗教は差別の塊(かたまり)だからです。そんな宗教の教義を批判していますけれども、誤解しないでください。個人の信仰心を否定しているわけではありません。

 

【宗教による差別】

 差別に反対するキリスト教徒は多いですけれども、教会は信じる者と信じない者を明確に差別しています。どんな宗教にも差別は付きものです。宗教を認めない共産主義は支配者の思想が国の理念であり、支配者は宗教の神と同じ役目を果たしています。支配者に従順かどうかで差別するので、形を変えた宗教国家と言えます。国家を支えている組織が差別を生み出しているのです。要するに、差別を生み出しているのは、神でも仏でもなく人間そのものなのです。

 

【自分が作った人を罰する神などいない】

 神は命令に従わない者を罪に定めて罰するとか、従うかどうかを試すなどと考えている人が多いのですが、よくもそんな浅ましい(情けない)神を信じることができるものだと呆れます。

 冷静に考えてみてください。人間同士の関係でも、自分の愛を試すような恋人など赦せません。試練を与えて信仰心を試す神など想像するのも忌まわしいことです。

 自分に従わないものを罰する神など存在しません。自分に従わないものを罰するのは世の支配者です。支配者が自分のする残虐行為を正当化するために神に忠誠を誓わせる宗教を構築したのは明らかです。

 イエスは、自分の都合によって人を罰する神などいないことに気付きました。

 現在、隣国を滅ぼそうとしている国が大切にしている律法には「隣人を愛しなさい」という言葉があるのです。ではなぜ隣国を滅ぼそうとしているのかと言えば、律法の言う隣人は同国人に限られているからです。これに対してイエスは明確に律法に反する過激な言葉で「敵を愛しなさい」と言ったのです。

 善人にも悪人にも太陽は昇り、正しい人にも正しくない人にも雨は降る。そこには「差別する神」などいないのです。喜ばしい時があり、辛い時もあるけれども、それは神の仕業ではないという常識的な判断をイエスは伝えたのです。小市民であったイエスに律法の教えを変える政治的な力などありません。人々を少しでも幸せにするためにイエスにできることは、神に対する人の思い込みを解いてあげることぐらいでした。それしかできなかったのですが、それは遠いようでありながら、唯一の一番の近道であったと思います。

 イエスは昔からの言い伝えを振り払うことによって神への忠誠を誓わせる宗教の教義を根底から否定しました。当たり前の人間関係で判断すれば最も自然な人間関係が構築できることを示したイエスは支配者と支配者を支える宗教に対立した理由で抹殺されました。

 このように、いのちを賭けてイエスが人々を宗教による奴隷状態から助け出すために説いた福音を受け継いだはずの弟子たちは、イエスの死後にキリスト教という新しい宗教を誕生させてしまったのです。

 

【イエスの福音から離れた教会】

 キリスト教の教義は、イエスをキリスト(救い主)と信じる者は永遠の命へ、信じない者は地獄へ落とされるというものです。これは、条件を受け入れるかどうかによる差別です。

 ユダヤ教の神への呪縛から庶民を解き放ったイエスの名を利用し、キリスト教会はイエスをキリスト(救い主)と結びつけて、他の宗教と同じ道を歩み始めました。

 キリスト教会は、イエスをキリストと告白することを要求し、イエスを神の子としてこの世に送り込んだ神に仕える方法として、教会に仕えることを要求したのです。

 イエスの福音宣教から二十年ほど後に、イエスこそメシアであったと言い広めるキリスト教をユダヤ教の立場から迫害していたパウロは、図らずも自分が鞭打っているキリスト教徒から、「君の罪は赦される」というイエスの福音の言葉を聞いたのでしょう。そういう仕方で、パウロは復活のイエスに出会ったに違いありません。

 誠心誠意神に仕えなければならないと考えていたパウロを支えていたユダヤ教の教えが福音によってパウロの足元から払われてしまったことをパウロは経験したでしょう。

 それ以降のパウロは、信仰心などなくても神から罰せられることなどないという事実を信じ受け入れるだけで義(ぎ・よし)とされるのだと言いました。信仰心と信仰は関係ないことを示したのです。

 

【自分のためだけに生きる支配者】

 イエスが教え、パウロが教えたにもかかわらず、教会は再び律法的な宗教の教えに囚われていきました。心優しい生真面目な庶民が元来持っている信仰心とはそれほど支配力に弱いのです。庶民の優しさに付け込んで、神に従わなければならないと宗教は教え込んだのです。

 それ以降、組織としての教会は大きく成長しましたが、イエスの福音から離れていきました。なぜ支配者たちはここまでして、宗教を利用して人心を捉えておこうとしたのでしょうか。自分たちが贅沢な暮らしをするために、庶民のささやかな富を召し上げるためだったとしか考えられません。

 支配者たちは、自分の国だけでは物足りなくなり、周りの国々も自分のものにしようとしました。十字軍の遠征は、キリストへの信仰心を煽り、他の宗教を持つ国への侵略を正当化して戦争を仕掛けた例です。イスラム教徒からキリスト教徒が聖地エルサレムを取り返すという目的を掲げた戦争ですが、その背景に富を求めた勢力争いがあったことは明白です。

 

【ぼくたちは】

 支配者たちの欲を満たすために納得できないままに、犠牲を強いられ続けてきたのは庶民です。このような惨劇を繰り返さないためには、イエスが伝えたように、自分の生き方を自分たち人間の話し合いで決める庶民を増やすほかありません。正直なところ期待薄です。しかしたとえそうであっても、伝統的律法を超えて「わたしは言う。敵を愛しなさい」とおっしゃったイエスのように、日本人が従うべき憲法は、日本人の言葉で一から作るべきです。

 日本を占領していたGHQのマッカーサーから押し付けられた憲法の元にいる日本は、表面的には独立国の振りをしながら、七十九年間もアメリカの占領下、属国であり続けてきたのです。もういいでしょう。本当に独立国家になり、堂々と世界に向けて自分たちの考えを、自分たちの言葉で話せる国家になるために、ぼくたちの代で、ぼくたちの日本国憲法を作りましょう、

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