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「命令する神は居ない」20240929
「命令する神はいない」20240929
ユーチューブで動画礼拝説教を見て励ましのコメントをくださる方がいます。もちろん、原理主義的な教えを真面目に信じて来られたキリスト教徒は、ぼくの説教など聞くに耐えないと批判なさいます。批判なさる人の気持ちは、ぼくにもよく理解できます。なぜなら、ぼく自身も、原理的な神学を教える学校で学んだ経験があるからです。今では、そこで学んだこととほぼ対照的な話をしていますけれども、むかし学んだ事が無駄であったとは思っていません。そういう経験も土台になって今があるからです。
【教えられたことに根拠はなかった】
昔は、理解できなくても教えられたままを素直に受け入れていました。すこし変だなあと感じても、無理して信じ込んでいたのです。
その後、別の神学を学んだ時に、疑問が取り除かれたという経験をしました。教えられたままを信じることも大切ですけれども、変だと思ったことを無理して信じ込む必要はありません。
先週の聖書楽講座の席で、西南学院大学神学部で新約聖書学の授業の際に、新約聖書が正典化したのは四世紀の教会会議だったと知らされてびっくりしたという経験を話しました。
誤りなき神の言葉であると聞いていた正典新約聖書が、教会会議で決められたと聞かされたのですから驚いたのも納得いただけるでしょう。
そこで、自分でも、その種の本を調べてみますと、紀元三九七年に北アフリカ地域のカルタゴで開催された教会会議で二十七文書だけを正典と認めたことが確認できました。
この事実を知った時には一瞬力が抜けましたけれども、しっかり立ち直ることができました。歴史的な事実を知ったからには、その事実に根ざして聖書を読み直せばよいからです。教えられた教義を理解できないまま信じ込む必要がなくなったのです。多くの生真面目な信者に向けてぼくが言いたいことは、歴史的な事実を踏まえて聖書を読めば、聖書の記述に囚われている状態から自由になれるということです。聖書の神話で生身の人間の生き様を支配される必要はないのです。
【教会が作った教義は神話】
新約聖書の正典が定められた四世紀ころには教会会議がいくつも開かれており、現在のキリスト教の教義(信条)の基礎が作られました。
ローマ皇帝コンスタンティヌスが三二五年に召集したニカイア会議では、イエス・キリストは父なる神と同等ではないと主張していたアリウス派を異端としました。判断の基準などなかったのですから、何が正しいかなんて誰にも解りません。正しいかどうかではなくて、教会組織の抗争に敗れた者たちを異端と呼び、権力を奪ったのです。。権力争いに勝った方が判断の基準(カノン)となったのです。
ローマ皇帝テオドシウス一世が招集したコンスタンティノープル公会議では、三位一体の教義が決められました。キリスト教の教義として今も信じられていることですが、いずれも初期カトリックの教会が集まって決定した教義です。なぜか、宗教改革後もそのまま用いられています。ちなみに、三位一体論をぼくは信じていません。正直に言えば、三位一体論など、誰も理解できていないはずです。教会会議は権力争いの場です。それらの教会会議がローマ帝国の皇帝によって召集されたということが権力争いであることを証明しています。個人の信仰心を、時の権力者が招集した教会会議で決めた信条に合わせる必要はありません。
イエスは、ユダヤ教が作った信条や教義の権威を押し付けられるのを拒んだ人です。そんなイエスの教えを受けたにもかかわらず、権威を作って権威の下で他者の信仰を異端と決めつけて排斥したキリスト教は、イエスに対立する存在になってしまったのだと言えます。
教会会議が作った教義は、しょせん人間が作り出した神話です。そこで語られる神もキリストも神話の神であり、神話のキリストです。これに対して、イエスは神話のキャラクターではなくて、実在の人間であるということが重要なのです。
「神は天と地を創造なさった」と旧約聖書創世記の冒頭に書いたのは、神を見たことも声をきいたこともない人間です。「わたしが天と地を創造した」と言う言葉は、人間が書いた神話の中の神話の神の台詞(せりふ)なのです。「わたしが人を造った」も「大洪水で人も動物も殺す」も台詞なのです。人間が神話の神の台詞を書いたのです。
世界中に神話があるのは、神的存在は神話で語るしかないからです。しかし神話で語るから間違った概念を植え付けてしまいました。そこまでして神的存在を植え付けたい人間がいるのです。
とにかく、神話の神は命令ばかりします。多くの人は神の命令に従わなければならないと思い込まされていますが、存在しない神の命令に従わなくても罰はあたりません。もちろん従ったからと言って報酬を受けることもありません。
【十戒は不平等契約阻止する砦】
そもそも神話の神と人の契約は、神に従えば報酬を与えるが逆らえば罰を下すという一方的な押し付けです。契約などと呼べるものではありません。また神から与えられるものを「恵み」と言う人は多いですが、神に従ったから与えられるのは報酬で、条件なしに与えるのが恵みなのです。
従う者を富ませ安全を保障するという神は恵みではなくて報酬を約束しているだけなのです。
神話の神が持ちかけてきた契約は不平等契約であり、神話の神が与えるものは恵みではなくて報酬なのです。このような、不平等契約を無理やり結ばせて庶民を隷属化しようとしているのは、神話の神の背後に居て、神話の神を操(あやつ)っている権力者(人)に他なりません。
歴史的な事件や実話が神話の中に散りばめられているので騙される人が多いのですけれども聖書は神話です。しかし、そんな神話の中に重要な秘密が書き込まれています。神話の神が下さったことになっている律法の集大成はモーセの十戒です。興味深いことに、創世記を書かされた学者たちはこの十戒に重要な秘密を書き込みました。それは「わたしの他の何者も神にしてはならない。偶像を作ってはならない。神の名をみだりに唱えてはならない」と言う言葉です。すなわち神話を書かされた著者たちは「絶対的支配者のような人間を作ってはならない」と戒めているのです。
【ぼくたちは】
利己的な者を支配者にしてはならない。利己的な支配者に従ってはならない。民衆が生き抜く道はこれしかありません。だからぼくは、いろんな経験をした後に、今は自分で考え自分で決めることを大切にしているのです。おすすめです。