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2017-09-02 17:31:00

“中国で最も有名なラーメン”が日本に! 連日大行列

「蘭州ラーメン」の店が続々オープン

2017年08月30日

 中国を起源としながら、日本で独自の進化を続けているラーメン。だがこの夏、“中国で最も有名なラーメン”といわれている「蘭州(らんしゅう)ラーメン」の新店が相次いでオープンし、話題を集めている。蘭州ラーメンとは、中国北西部にある甘粛省(かんしゅくしょう)の省都・蘭州で古くから食べられているラーメン。牛骨や牛肉を10種類以上のスパイスと一緒に長時間煮込んで作ったスープ、小麦粉の生地を手で延ばして手打ちする麺、パクチーやラー油、煮込んだ大根などのトッピングが特徴だ。

 2017年8月10日には、蘭州ラーメンを看板料理にした「蘭州拉麺店 火焔山(以下「火焔山」)が池袋にオープン。8月22日には中国で100年以上も続く老舗で、数ある蘭州ラーメン店(一説には約2000軒以上とも)の中でも唯一、中国政府から「中華老字号(中華老舗ブランド)」に認定されている蘭州ラーメン店「馬子禄 牛肉面(マーズルー ぎゅうにくめん/以下「マーズルー」)」の、日本1号店が神保町にオープンした。

 特に注目されているのが、「マーズルー」。中国では蘭州ラーメンを食べさせる店は等級付けされており、「一級」「二級」といったプレートが店内に飾られているが、マーズルーは「特級」とされているそうだ。いったいどんな味のラーメンなのか。オープン初日の同店に足を運んだ。

2017年8月10日にオープンした「蘭州拉麺店 火焔山」(東京都豊島区池袋2-47-7)。池袋駅北口から徒歩数分。営業時間は11~15時、17~23時。無休。スタッフは全員中国出身、お客もほぼ中国人で、店内では中国語しか聞こえてこない
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蘭州拉麺店 火焔山の「漢方入り蘭州ラーメン」(税込み980円、以下同)。注文後に麺を伸ばし始めるので、麺の太さを「細麺」「並」「平麺」から選ぶことができる。写真は平麺
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2017年8月22日にオープンした「馬子禄 牛肉面(マーズルー ぎゅうにくめん)」(千代田区神田神保町1-3-18)。営業時間は11~14時半、17~21時。無休。中国国内には数軒のチェーン店があり、神保町店が海外初出店となる
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マーズルーの「蘭州ラーメン」(880円)。牛肉、大根、手作りラー油にパクチーと葉ニンニクが散らされている。パクチーとラー油は多め、少なめを選ぶことができるが、麺は細麺、平麺、三角麺から選べる(写真は細麺)
 

2017-09-02 17:26:00

世界で戦う「商品ラベル」を作る老舗の正体

ラベル1枚に印刷技術の粋が詰まっていた!

商品をアピールする縁の下の力持ち、ラベル・シールを作るシモクニ。創業から96年、常に技術革新をし続け、世界からの評価も高い(写真:シモクニ提供)

「ぶっかけ特盛りそば」「天然活〆」「表示価格より30円引き」――。

お店に行くと、目に飛び込んでくる色とりどりの商品ラベル・シール。“無言のセールスマン”とも言われ、商品の内容・品質・商標などを表示するとともに、その魅力を引き出して消費者に伝達する役割を担う。決して目立つ存在ではないが、なくてはならない存在だ。

創業96年目、ラベル・シールの老舗「シモクニ」

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日本におけるラベル・シールの歴史は古く、大正元年にまでさかのぼる。その草創期である1921年(大正10年)に創業したシモクニ(北海道・札幌市)だ。創業社長が開拓した、シール印刷を主体とした特殊印刷を3代にわたり継承。伝統にあぐらをかくことなく、現在もなお新しい技術を追求している。

シモクニの作るラベル・シールは、国内外から高い評価を受けている。全日本シール印刷協同組合連合会の「シールラベルコンテスト」ではこれまで複数回の受賞を重ね、2015年には、コーヒー豆の袋に貼るラベル・シールで同コンテストの最高賞、経済産業大臣賞を受賞した。さらに、世界ラベルコンテストにおいても、2000年、2012年(2部門)、2014年と4作品が部門別グランプリを受賞している。

ラベルコンテストで最高賞を受賞したコーヒー豆のラベル(筆者撮影)

いったい、何がすごいのか。たとえば経済産業大臣賞を受賞したコーヒー豆のシールを例に挙げてみよう。

同シールには、原価を引き上げる箔やホログラム原紙を使用せずに、高級感を出すための工夫が詰めこまれている。コーヒーカップの図柄の上にデザインされた花、椰子の木、ロゴの部分は、光の当たり方によって反射の仕方が微妙に変化し、ホログラムのようだが、実際には使われていない。これは、同社が現在特許出願中の「疑似ホログラム印刷」により表現されているものだ。シモクニは、こうしたオリジナルのアイデア製品を多数展開している。

http://toyokeizai.net/articles/-/185534?utm_source=morning-mail&utm_medium=email&utm_campaign=2017-08-30
 

2017-08-27 10:15:00

今回は、前回に引き続き、「マ-ケット・リ-ダ-戦略」について説明しよう。

 

個性化戦略(14)

 

7.マクドナルドの躍進の原動力

 1968年には、1,000店目が第1号店の近くにオ-プンさせたが、1990年代の人気商品の1つである「ビッグ・マック」が登場し、40億個目のハンバ-ガ-を販売し、1969年には売上高4億5100万ドル、店舗数は1,298店に達した。

また、フランチャイズ不動産会社を設立し、リ-ス・システムを採用して急速にフランチャイズ店を開発した。そしてセントラル・スタンダ-ド・ライフ社を設立し、機関投資家を募った。

 これら、「マクドナルド」の躍進は、創業者のレイ・クロックがリ-ダ-シップを発揮して事業展開をしたが、その陰には財務の専門家ハリ-・ジュ-ンの力と、もう1人レイ・クロックの片腕となったフレッド・タ-ナ-とのコンビネ-ションが事業の拡大に大きく貢献した。

 

8.マクドナルドの権利の取得

 1960年代の最大の出来事は、1961年に270万ドルという巨額なお金を投じて、「マクドナルド」に関するすべての権利を買い取り、今日の「マクドナルド・エンパイア」を築く第1歩を踏み出したことである。この時に、巨額な資金が調達できなかったら、いまの「マクドナルド」の姿はあり得ず、この不屈の精神こそ「マクドナルド」のバイタリティなのである。

 

9.海外進出

 1970年代に入り、店舗デザインのロ-カリティの導入、ブレックファ-スト・メニュ-の開発といったように、次々とイノベ-ションを行ったが、最大の「経営戦略」は「海外進出戦略」であり、カナダ、オランダ、ドイツ、日本へと続々進出していった。

 

10.日本への進出

 わが国の「マクドナルド」の第1号店は、1971年(昭和46年)7月20日に東京・銀座にオ-プンした。「マクドナルド」の日本進出は他のチェ-ンに先駆けて、ハンバ-ガ-のファ-ストフ-ドというシステムを事業として可能性があることを立証した。

 

11.売上高がトップへ

 創業17年目の1972年に売上高のトップに立ち、いまもその地位を維持するばかりでなく、確固たるものにしていて、誰もその牙城は崩せないでいる。そして、1970年代のキャンペ-ンのなかでは、1971年に始まった「今日は一休みしてもよいはず(You deserve break today)」キャンペ-ンをヒットさせた。

また、公共サ-ビス活動、大学のキャンパス、動物園、病院などへの出店、ダウンタウンへの出店、クロック財団を設立し、糖尿病、関節炎などの研究への資金援助などがあり、1972年には新商品の「クォ-タ-・パウンダ-」を誕生させた。

 

12.ユニ-クな店舗の開発

 1980年代は、店舗デザインも一歩前進して、ミシシッピ-の外輪船、ハリウッド映画を模したもの、スポ-ツをテ-マにしたものといったように、ユニ-クな店舗が続々開発されると同時に、子どもの部屋とかドナルド・ランドの併設といったようにお子様の人気を一層獲得する方策がとられた。

 ドライブ・スル-・システムの採用、あらゆる立地への出店、小型店の開発、ハンバ-ガ-・パテを両面から素早く焼く新型グリドル(クラムシェル)の導入といった新しい戦略が続々打ち出された。

 

13.新しい時代に

 1982年に「バ-ガ-・キング」が、徹底したチャレンジ広告によって、「マクドナルド」の快進撃は止まったかに見えたが、新商品ではチキン・ナゲット、マックDLT、ブレックファ-スト・メニュ-の改善、パック・サラダの導入により、依然として快進撃を続けている。

 しかし、1984年1月14日に創業者のレイ・クロックは、カリフォルニア州サンディゴのスクリップス診療所で81歳の生涯を閉じた。アメリカのフ-ドサ-ビス産業、いや全世界のフ-ドサービス産業の一時代は彼の死とともに終わり、彼の死とともに新しい時代が始まったといえる。

 

14.マクドナルドのリ-ダ-とは

 「マクドナルド」は、マ-ケット・リ-ダ-として、「QSC」の店舗運営の原理原則と、「3S主義」の原理原則に立って、きわめてオ-ソドックスな「経営戦略」と、お客様の「ニ-ズ」を先取りした「マ-ケティング戦略」と、価格については「プライス・リ-ダ-」の位置を確保し、先制主義による店舗開発、画期的な新商品の導入、ユニークな販売促進、設備投資の集中化などといった総合力により、No.1の地位を維持している。

 

 

 

 

 

 

 


2017-08-27 10:08:00

外国人の「日本酒」爆買いが止まらない。世界に広がる地元のSAKE

2017.08.23

 

世界的に日本食ブームが広がる中、日本産のビールやウィスキーは海外でも愛好家が増えていますが、いま海外でブームなのが「日本酒」。欧米ではSAKE、Japanese Sake、Japanese Wineなどとして呼ばれている日本酒ですが、この日本酒の輸出額は近年過去最高を更新しました。欧米を中心とした海外では日本酒人気が広がっているようです。

外国人の「日本酒」の爆買いが止まらない?

寿司やラーメンなどをはじめとした世界的な日本食ブームが起きていることもあり、海外でも日本酒は、”Japanese Sake” として知名度が高まっています。

昨年度の日本酒輸出額は約 430 億円(対前年比 110.2%)となり、5年連続で過去最高を記録。中でも、日本酒の2016年度の売り上げは156億円と7年連続で過去最高を記録し、この10年間で3倍にアップしています。

輸出額1位はアメリカ。続いて、香港、韓国と続きます。食文化に共通点があるアジアで日本酒が好まれるのはわかりますが、アメリカ以外にも、カナダ、オーストラリア、英国など、欧米諸国でのシェアが増加しているのは意外ですよね。

出典:財務省貿易統計

さらに先日、EUの経済連携協定(EPA)で「日本酒の輸出にかかる関税の即時撤廃」が決まったことから、今後も欧州への輸出拡大が予測されています。外国人の日本酒の「爆買い」はまだまだ続きそうです!

 

欧米スタイルで人気が加速

欧米といえば、ワインを片手にディナーのイメージですが、今ではワインの代わりに日本酒をワイングラスに入れて楽しむ人が急増しています。日本酒は米から作られた醸造酒を意味するRice Wine(ライスワイン)とも呼ばれているので、日本版ワインのような感覚で捉えているのかもしれません。

 

「ワイングラスで酒を飲んでいるよ!」

 

「ワイングラスに酒と氷を入れて飲んでいるよ」

欧米スタイルのまま日本酒を楽しむ人々が増えているようです!

 

飲み方だけでなく、酒そのものも欧米スタイル。

日本酒ブームが浸透中のアメリカでは、なんと「アメリカ産の日本酒」も登場しています!有名なのが、日本酒造メーカーの「桃川」とタッグを組んだオレゴン州ポートランド発の「Sake ONE」という酒造メーカー。米国産の米を使い、アメリカ人の口に合うように作られた酒はアメリカ国内でも人気を博しているようです。

 

 

もはや日本酒は日本産だけに限らなくなってきましたね!

 

また、「ワインソムリエ」ならぬ、「Sake Sommelier(酒ソムリエ)」もじわじわと浸透しているようです。

日本酒ソムリエとは、日本酒にマッチする料理や醸造方法、産地などに関する知識を学び、飲み手の好みやリクエストをききながら、日本酒とその楽しみ方を提供できるエキスパートのことをいいますが、日本国内のみならず、海外でも「酒ソムリエ」の人材育成に始まっています。

 

例えば、ロンドンを拠点に世界に展開する「酒ソムリエ協会」では「日本酒入門コース」から「マスターオブ酒」までの各レベルのコースを設けており、酒のエキスパートを育てています。この「酒ソムリエ」の資格を得るために熱心に授業に参加する人々の姿も!

 

 

海外で旅行に行って、日本食レストランでお酒をオーダーしたら、日本人ではなくて、外国人の酒ソムリエがお好みの日本酒を選んでくれるなんてこともあるかもしれませんね!

 

では、次のページでは、欧米で人気の日本酒を紹介したいと思います。

http://jimococo.mag2.com/zenkoku/166923?utm_medium=email&utm_source=mag_W000000201_fri&utm_campaign=mag_9999_0825&l=fuu0438480

 


2017-08-27 10:05:00

2017.8.25

中国で「王将」の焼き餃子など日式中華が苦戦する理由

       
       
       
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※写真はイメージです

ラーメンや天津飯、中華丼、冷やし中華、焼き餃子などは日本で独自に発展した中華料理であり、「日式中華」と呼ばれる。これら日式中華のうち、豚骨ラーメンは中国でも大人気だが、焼き餃子については過去に「餃子の王将」「大阪王将」が進出して撤退するなど、苦戦しており、微妙なポジショニングといえよう。果たして、日式餃子は本場中国で成功するのか、日式中華が中国でウケるにはどうしたらいいのか、検証してみた。(ゼロイチ・フード・ラボCEO 藤岡久士)

過去「王将」は
中国(大陸)で失敗している

 中華の本場で日式(日本式)の中華が通用しない。「そんなの当たり前だろう」という声が聞こえてきそうな話だが、一見無謀のように感じるこのチャレンジを行なった企業がある。皆さんよくご存じの「王将」だ。

「餃子の王将(王将フードサービス)」が大連に進出したのが2005年。最大6店舗まで店舗を増やしたが、2014年に撤退した。

 また「大阪王将(イートアンド)」が上海に1号店を出店したのは、尖閣問題が発覚し各地で反日デモが巻き起こっていた2012年末。2店舗を展開するも2014年に撤退(※「大阪王将」はその後、2016年香港から広州へ再進出を果たしている)。

 撤退の原因については「コンセプトの問題」「オペレーションの問題」「出店エリアと価格設定の問題」等、ネット上では多くの「王将」ファンが憶測を元にさまざまな評論をしている。

 筆者も、自らが「大阪王将」の上海進出を現地法人の代表として執行していたこともあり、王将撤退に関しては、独自の見解を持っている。

http://diamond.jp/articles/-/139697?utm_source=daily&utm_medium=email&utm_campaign=doleditor